すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「Y氏の終わり」 スカーレット・トマス (イギリス)  <早川書房 単行本> 【Amazon】
ほとんど注目されることがなくなった19世紀の作家、トマス・E・ルーマスを研究するため、大学院生となったアリエル・マントだったが、肝心の指導教授は謎の失踪を遂げた。戸惑いながらも大学に通いつづけるアリエル。大学の棟の一つが倒壊し、帰宅を余儀なくされた日、帰り道でふと立ち寄った古本屋に、トマス・E・ルーマス著「Y氏の終わり」があることを知った。それは、呪われた本と呼ばれており、現存するのはドイツの銀行の貸金庫にある一冊だけだと言われていた。なけなしの金をはたいて本を手に入れることができたが、それは幻の本との出会いというだけでなく、新しい世界への入り口でもあった。
にえ ちょっと興奮状態ですけど、無理に抑えてご紹介すると、スカーレット・トマスは「イギリスの新進作家20人」にも選ばれたことのある注目の作家で、ミステリでデビューしたけれど、その後発表された作品はミステリとも限らず、この作品は他国でも翻訳出版された注目作。
すみ ジャンルはなにかといえば、SFだよね。パラレルワールドもの、人の頭の中に侵入する超能力もの、というとベタな感じだけど、これはひと味もふた味も違ってた。
にえ 初っぱなから引き込まれたな〜。最初から最後まで、面白さに引っぱられるようにして夢中になって読んだ。なんかこういう経験、久しぶりかも。
すみ いきなり大学の棟の一つが倒壊してしまうという衝撃的なオープニングから、なにげなく立ち寄った古書店ですぐに幻の本が見つかるというワクワクするシーンへ、そのあたりでもう夢中だったよね。
にえ うんうん。文章もちょっとおもしろいんだよね。主人公のアリエルが語り手でもあるんだけど、現在進行形で、しかも、ちょっと客観的に語られていくから、なにか主人公とともに動きつづけるカメラの映像を見つづけているような感触なの。
すみ どうしてそういう語りにしたかは、あとになってくるとわかるよね。思考が移っていき、視線が変わるのが説明なしで、臨場感たっぷりに読めてしまうの。
にえ アリエルはちょっと複雑な女性よね。オックスフォード大学を卒業した才媛で、どちらかといえば文学系でありながらも、物理学をはじめとする科学全般について語りまくるコラムを雑誌に書いていたりするの。
すみ この小説自体でも、随所にアインシュタイン、デリダ、ハイデッガー、ボードリヤール等々、いろんな名前が出てきて、けっこう難しい理論についても語られていたよね〜。ホメオパシーの薄めれば薄めるほど効果が高まる、なんて話はおもしろかったけど。
にえ ポーの詩とか、「フランケンシュタイン」の一部とか、文学についてもあれこれ語られてたよ。
すみ そうとう本を読みまくってる著者だよね。この作品は、ミチオ・カクの「パラレルワールド ―十一次元の宇宙から超空間へ」とサイモン・シン「ビッグバン宇宙論」の中の発想に触発されて書いたのだとか。この2冊、もしくはどちらか1冊でも読んでる方には、また格別の面白さかも。
にえ 読んでないのが悔しいねえ。で、アリエルはそういう知的で、知識豊富で、知識欲タップリな女性でありながら、すぐにからまる赤毛で、年上の男とばかり付き合っていて、女友達が一人もいないという、ちょっとあばずれな一面も。
すみ 一面というか、そっちのほうが原点のような感もあるよね。なんとも絶望的な家庭環境で育った女性だから、どこか自暴自棄みたいなところもあって。でも、知識欲がそれを上まわって彼女を支えているのかな。
にえ けっこうえげつないエロ表現も多発するんだけど、彼女の根の優しさに救われたかも。特に弱い者に対する同情心が強いの。部屋に出るネズミにさえ同情して、ねずみ取りで捕まえても、外にそっと放してあげるようなところがあって。
すみ そんなアリエルが興味を持つのが、19世紀の作家トマス・E・ルーマスなのよね。ルーマスは作品よりも奇行のほうが有名で、「19世紀最大の問題発言屋」などとも呼ばれていたけど、今では忘れられた存在。
にえ 作品も風変わりなんだよね。いろいろ書いてるんだけど、小説にしても、物語を楽しませたいというより、自分の主張を伝えたいってところに重きを置いているようで、それが「精神の実験」というものにまつわるもので。
すみ 科学と文学の両方に惹かれるアリエルだからこそなんだろうけど、ルーマスに強く興味を持って、著作を読みまくり、世界でも唯一、ルーマス研究をしているバーレム教授のもとで学ぶことになるの。でも、なぜか教授はすぐに失踪。そしてアリエルは、ルーマスの最後の著作であり、呪われた本とも呼ばれている、この世に一冊しかないはずの本を偶然に見つけるの。
にえ そしてそれから、パラレルワールドとこちらの世界を行き来したり、人の頭に入ったりということになるんだけど、これがまたきちんとした理論があって、さまざまな思考でたどり着いていくことになるのよね。
すみ とはいえ、ネズミの神様が出てきたり、子供を刺客として使う二人組の男に追いまわされたり、はたまた運命の男性と思われる人との出会いがあったりとかして、難しさと面白さが程良いバランス。ドキドキ、ワクワクしながら最後まで一気に読めちゃう。アリエルの行動力も心地よいし。とはいえ、登場人物のそれぞれが心に深い傷を負ってたりもして、けっこうダークといえばダークだけど。
にえ ラストは久しぶりに早々と予測しておいたことが的中して、個人的にはムフフだったな。ぜったい名前がキーワードになってると思ってたんだよ。これ以上は言えないけど(笑)
すみ 知識の活用のハードさとか、心の闇のダークさとか、違いは多いんだけど、私はちょっとコニー・ウィリスに似てるかなと思ったんだけど。きわめて女性的でありながら、そこに甘えて終わらない、力強い物語作りのパワーがあって。
にえ とにかく、拒否反応起こしちゃう方も、ピンと来ない方もいるかもしれないけど、これはホントにお見事な小説だった。文章的にも、内容的にも、翻訳本を読み慣れている人のほうがいいかな。
すみ うん、もちろんオススメだし、この方は今後も注目だよね。要チェックですっ。
 2008.2.9