すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「ティンブクトゥ」 ポール・オースター (アメリカ)  <新潮社 単行本> 【Amazon】
ミスター・ボーンズは飼い主であるウィリーがもうあまり長くは生きられないことを知っていた。ウィリーは詩や小説、エッセイなどで埋めつくした74冊のノートとミスター・ボーンズを、高校の時の国語教師、ミセス・スワンソンに託すつもりだった。土曜日の午後、ミスター・ボーンズが怖れていたとおりにウィリーは喀血した。ミスター・ボーンズには人の言葉がわかるが、しゃべることはできない。世界のどこかにはタイプライターを打つ犬がいるそうだが、ウィリーがミスター・ボーンズにタイプライターを教えることはなかった。ウィリーはそれを深く悔いていたが、残りの人生はあまりにも少なかった。
にえ これはポール・オースターの9作めの長編小説だそうで、初の犬目線です。
すみ 基本的には私たちの苦手なラインなんだよね。犬には犬独自の考え方や感じ方などなどがあるはずなのに、それを無視してむりやり擬人化するのはあまりにも犬に失礼って気がするし、やたらと人間社会に理解があって、口出ししてくるのが気持ち悪い(笑)
にえ 口出しだけじゃなくて、みずから行動して解決しちゃったりするよね。犬や猫の存在価値は人間に奉仕することだけなのか、犬なり、猫なりの生活の大切さは無視かっ(笑)
すみ でも、この小説はあんまり気にならなかったよね。犬が犬らしかったっていうんじゃなく、逆にもう犬を感じさせないというか。
にえ うん、人間の半生のほうがきっちり語られていたり、年老いた犬がふわ〜っと過去を思い出したり、見ていない出来事を想像したり、なんとも幻想的というか、なんか上手に誤魔化された気もしなくもないけど(笑)、たしかに気にならなかったね。
すみ そういえば、読みはじめに戸惑わなかった? ウィリーとミスター・ボーンズって名前、てっきりウィリーが犬で、ミスター・ボーンズが人間だと思ったら、逆だった(笑)
にえ ウィリーの名前はウィリー・G・クリスマス、って、これは自分で付けた名前。肺を病んで死にかけているだけじゃなく、精神病院に入院していたこともある、町をふらつく浮浪者なのよね。
すみ もともとは作家になろうとしていたみたいなんだけど。
にえ なんかポール・オースターの映し身って気がしなくもないような。そう思って読んだためか、ポール・オースターの根暗っぷりが全開の小説だなあ、なんて思ったりもしたんだけど。
すみ 救いがないといえば救いがないよね。でも、現実世界では救いのない話でも、幻想の中に救いがあったような。
にえ 犬の放浪の物語なんだよね、よくあると言えばよくあるけど、普通は犬に出会うことで人々が救われたりとか、そういうハートウォーミングな展開があったりするけど、これはもうちょっと、なんというか、良い意味でほったらかしというか。
すみ ミスター・ボーンズと出会った人たちが、この先どうなったんだろうとつい想像しちゃうよね。たぶん、予感させるその通りになるんだろうな、なんてことも思ったりして。
にえ 英語がわかるミスター・ボーンズは言葉の意味についてときおり考えるけど、キーワードはタイトルでもある「ティンブクトゥ」だよね。
すみ ティンブクトゥって私たちは初耳だったんだけど、三省堂のEXCEED英和辞典によると、「マリ中部のニジェール川近くにある都市;サハラ砂漠南縁にある隊商路の終点として14-16世紀ごろに栄えた; 非常に遠い所」ということで、行けるか行けないかわからないぐらい遠いところを指す比喩として使われる言葉みたいね。「from here to Timbuktu」で、「ここからはるか遠方まで」という意味になるのだとか。
にえ ミスター・ボーンズはそれを天国というような意味で理解しているみたいだったよね。
すみ つまりはティンブクトゥを夢みながら、まだもうちょっとティンブクトゥには生きたくない、老いた犬の放浪の物語なのよ。あえて説明するなら(笑)
にえ なんか暗いな〜なんてことも思いつつ、けっこうジーンと来たかな。人生はなかなか思い通りには行かなくて、でもどこかに優しく包みこんでくれるところもあるのかも、なんてシミジミ。
すみ 読むかどうするかは、あんまり犬好きかどうかってところは意識しなくていいかもね。なんとなくポール・オースターも家庭を持って、だんだん明るくなってきたのか、なんて寂しい気がしはじめてきた方には、ポール・オースターが戻ってきたって感じかもしれない。また違った面を見せられたと思うかもしれない。ということで、明るく楽しい話ではないよって前提で、やっぱり読む価値ありだったからオススメです。
 2006.12. 6