すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「カフカの友と20の物語」 アイザック・B・シンガー (ポーランド→アメリカ)  <彩流社 単行本> 【Amazon】
1978年、ノーベル文学賞を受賞したアイザック・バシェヴィス・シンガー(イツホク・バシェヴィス・ジンガー)が1970年に発表した短編集の全訳。21編を収録。
カフカの友/ある冬の夜の客/鍵/ベーベル博士/ストーブを囲んで聞いた話/カフェテリア/教師/鳩/煙突掃除夫/謎/アルテレ/冗談/めかし屋/シュロイメレ/植民地/涜神者/賭け/息子/宿命/神秘的な力/そこに何かがいる
にえ アイザック・B・シンガーは1904年にポーランドでラビの息子として生まれ、1935年にアメリカへ移住、イディッシュ語で作品を発表しつづけ、1978年にノーベル文学賞を受賞した作家。で、私たちは気になっていたのだけれど、読むのは初めてです。
すみ これまでにも邦訳出版はされているけれど、短編集を丸ごと1冊、そのまま翻訳したものはこれが初めてなんだってね。
にえ なんというのかな、本当に堂々とした、貫禄があるといったら変だけど、落ち着いた余裕のある作品群だったから、ノーベル文学賞受賞後の作品だと思いこんで読んだのだけれど、あとで巻末解説を確認したら、受賞よりだいぶ前に発表された短編集だったのね。
すみ すでに英訳され、世間的には認められていたんだろうけどね。でもホントに、じっくり読ませてくれる短編集だった。ユダヤ人作家、ユダヤ教信者の作品を読んだことがないとは言わないけれど、なんかここまでユダヤ教というものを読んで実感できるものを読んだものは初めてって気がして、それがすごく新鮮だった。
にえ そうだね、なにかと決まり事があって戒律が厳しいとか、そういうイメージが強くて、そんな知識ばかりは断片的にあっても、実際にユダヤ教を信じて、落ち着いた暮らしをしている人たちを多く垣間見る機会ってなかったかも。こういうことを言うと叱られるかもしれないけど、どの宗教を信じるにしても、人に親切に、心穏やかに生きるっていうのが正しいっていう基本は同じなのね。ああ、ユダヤ教もまったく同じなんだな〜と思ってしまった。
すみ 語り手はほとんどがアイザック・B・シンガー本人だったよね。といっても、実話をそのまま書いているとかじゃなくて、題材が現実にあるとしても、あくまでも創作された小説で、語り手である著者自身も、話にあわせて立場とかそう言うものがちょっとずつ変えてあったりするんだけど。
にえ 女性の登場人物が印象的だったかな。よく働き、でも、どこか精神的に危ういというか、感覚が鋭すぎるような多かった。
すみ イディッシュ語からの訳出ではなくて、翻訳されたものの翻訳ってことで、読んでいてちょっとそれを感じるようなところはあったけど、でも、読んで良かったね。やっぱりこういう人生経験の裏付けがある作家の書いたものは読んで深い味わいがある、とあらためて思ったのでした。興味がある方にはオススメです。
<カフカの友>
私は夕方、クラブでジャック・コーンに会った。ジャックはイディッシュ語劇場の元役者で、無名の頃のカフカと親しくしていた。
にえ ジャックはカフカの他にも著名人を多く知っていたの。これは実話をもとにしていると信じて読んだのだけれど、どうでしょう。ただ、著名人の逸話を楽しむお話ではなくて、あくまでもジャックという人物の生き様にスポットの当たった小説としての味わいがある作品。
<ある冬の夜の客>
ラビである父のもとに、伯母のイッテ・フルーマが訪ねてきた。伯母は遠く離れた町に住んでいたが、貧乏な隣人が娘の持参金に困り、伯母の家を勝手に持参金として花婿に渡してしまったから、家を明け渡して出てきたのだという。
すみ 伯母のイッテは本当の意味の聖人で、度を過ぎた聖人というのは家族にとっては意外とありがたくない存在だったりするのだけれど、最後にはやっぱり、こういう心の広い人と一緒にいるのはだれにとっても落ち着くこと、嬉しいことなのでした。
<鍵>
ベッシー・ポフキンは老いた独り暮らしの身で、隙あらば彼女の部屋からなにか盗み出そうと考えている隣人や、彼女を追い出したくてたまらない大家、そして、あらゆる物を隠して喜ぶ悪霊や小鬼や悪魔の存在に悩まされていた。これって私の頭の中では、キリスト教徒にも、仏教徒にも置き換えられちゃう話だから不思議なのだけど。
にえ 一人で自分の身を守って生きていかなければならないベッシーは、あらゆるものを疑い、信じることを忘れた老嬢。それがアダとなって、進退きわまるところまで追いつめられちゃうのだけれど、最後にはっていう温かいお話。
<ベーベル博士>
作家クラブで、学者風の容貌から博士をつけて呼ばれるマルク・ベーベルは、ずっと独身で、金を稼がずにうまく暮らしていた。しかし、そんな根なしの暮らしも素晴らしい女性との結婚で終止符が打たれた……はずだったのだが。
すみ これはありがちな話ではあるかな。独身で、フワフワと浮き草暮らしをしている男性には、どうしても結婚をして、落ち着いた暮らしをするようアドバイスしてしまうのだけれど、でもねってお話。
<ストーブを囲んで聞いた話>
こんこんと雪が降る日、学びの家でストーブを囲み、自分たちが知っている悪魔の仕業としか思えない話を出し合った。ブローニュの近くに住む男の家では、ある日、納屋が跡形もなく忽然と消えたそうだ。
にえ 納屋が忽然と消えたり、また現われたり、その他にも不思議な話が紹介されているの。ちなみに、学びの家というのは、ユダヤ教信者が集まって、礼拝や律法の研究をするための場なのだそうです。
<カフェテリア>
私はポーランドからアメリカに移り住んだ作家として成功し、裕福になっても、カフェテリアで食事をする癖が抜けなかった。いつも通うカフェテリアで、エステルという活き活きとした魅力的な女性と知り合った。
すみ エステルという美人ではないけれど魅力的な女性と出会い、一時期は結婚も考えるのだけれど、うまくタイミングが合わないの。で、そのまま互いに歳をとっていくのだけれど、う〜ん、こういう活き活きとして見える女性に限って、そういうものなのかも、ちょっと悲しくなるけどってお話。
<教師>
1955年にイスラエルを訪れたとき、私はヘブライ語の教師をしていたときの教え子、フレイドルと再会した。フレイドルはかつて10才年上の教師である私にいちゃついてくる8才の少女だったが、今は神経科医として名を知られている。フレイドルには夫と娘がいたが、二人とは離れて暮らし、噂では、浮気の相手には事欠かないということだった。
にえ フレイドルは著作もあって有名人、美人で若く見えて、男性に囲まれて華やかな暮らし、をしているように見えるけど、ってお話。こういう混乱した女性を書かせると上手い方なのねえ。
<鳩>
ヴラディスラヴ・エイベシュッツ教授は、<ポーランドの鷲>の会に所属するユダヤ人嫌いの学生達の無頼の行状にうんざりして、ワルシャワ大学を辞めてしまった。妻に先立たれ、目のよく見えない女中の世話を受けて、年金で暮らすヴラディスラヴを楽しませてくれるのは鳥たちだった。
すみ ヴラディスラヴは鳥に囲まれ、本を読み、静かに暮らすことしか望んでいないのだけど、ユダヤ人というだけで攻撃の対象になってしまうの。
<煙突掃除夫>
黒ヤシュと渾名される煙突掃除夫は、年老いた母と二人暮らしの独身だった。いつも裸足で家々を訪ね、わずかな賃金をもらって煙突を掃除するだけの暮らしだったが、ある時、屋根から落ちて頭を打つと、千里眼になっていた。
にえ 頭が足りないと思われていた煙突掃除夫が、頭を打つことで奇跡の予言者のようになってしまうお話。人柄までは変わってしまわなくて良かった。
<謎>
オイツェル・ドウィドルには、妻ネヘレの行動が理解できなかった。食材の日の前日にとるべき行動を無視し、沐浴場に行くべきときにもいかないし、頭の毛も剃らなくなった。一体どうしたというのだろう。
すみ 妻の態度が急に変わり、悩んでしまう夫のお話。悩みつづける苦しさに比べれば、いっそのことスッキリしちゃったほうがマシという気持ちはよくわかるよね。
<アルテレ>
共同墓地で生計を立てる祖母ホデレに育てられたアルテレは、結婚しても子供ができないので、ホデレに連れられ、奇跡を起こすと言われる人たちのもとを訪ねる日々だった。ホデレがなくなると、今度は一人で奇跡を求め、一年の大半を夫のいる家で過ごさず、奇跡を求める旅に費やした。
にえ 結婚して子供ができないからといって、夫をほったらかしにして、ひたすら旅をする女性の話。貧民院に泊めてもらったり、道端で寝たりと、苦行の旅ではあるのだけれど、その旅に生き甲斐を感じてしまうようになっちゃったのね。愚かで哀れだけれど、ちょっと気持ちはわかるかも。
<冗談>
ガリチア出身で、ニューヨークに来て株と土地で金持ちになったリープキント・ベンデルは、ドイツ語の文学雑誌「言葉」を発行した。リープキントはさらにイディッシュ語の文学雑誌も発行したいと考え、敬愛する哲学者アレキサンダー・ワルデン博士に寄稿を依頼した。しかし、博士は承知してくれなかったので、女性になりすまして文通を始めることにした。
すみ これは裕福な女性と偽って博士と文通をつづけたはいいけれど、とうとう博士が会いに来ちゃってどうしましょうというお話。喜劇なのか、悲劇なのか、でも最後には落ち着くというか。
<めかし屋>
アデレは裕福な家庭の娘だったが、結婚もせず、ひたすら衣装を買いこんで、着飾ることだけに情熱を捧げつづけた。
にえ だれにも迷惑をかけず、ひたすら着道楽に生きた女性の話ってことで、これはこれで素敵な生き方じゃないのと思ってしまったけれど、でも、アデレはそれだけじゃなかったの。
<シュロイメレ>
アメリカに来たが、イディッシュ語の作家である私は注目もされず、貧しい暮らしをしていた。ある日、シュロイメレという青年が訪ねてきた。シュロイメレは演劇の世界で大成すると信じている青年で、私の短編のひとつを芝居にしたいと申し込んできたのだった。
すみ やたらとでっかいことばかり言うシュロイメレと売れない作家の私の長きにわたる半生のお話。ちなみに、この作品で芝居にしようとされている短編っていうのは、バーブラ・ストライザンド監督主演の映画「愛のイェントル」の原作の「イェシバ学生のイェントル」です。主演女優が向いている、向いていないって話に、ついバーブラ・ストライザンドを思い浮かべてしまって、それが楽しかったりもして。ちなみに、映画はこの作品の発表より、ずっとずっと後です。
<植民地>
アルゼンチンでポーランドの同郷人たちと親交を深めたあと、依頼された講演をするため、私は植民地へ向かった。その旅には、女流詩人ソーニャ・ロパタが同伴していた。すぐに私たちは関係を持ったが、ソーニャによると、ソーニャの夫は私とこんな関係になったことを大喜びするはずだということだった。
にえ これまた混乱した女性のお話。尊敬する詩人と結婚したつもりが、その生活は……っていうお話の展開がなんとも皮肉でおもしろかった。幸せそうではないけど。
<涜神者>
私たちの村マロポルに、ハツケレという少年がいた。貧しく、なにかと体罰を与える両親に育てられたが、ハツケレはタルムート学院でとびきり優秀な生徒だった。しかし、ハツケレは聖書とタルムードに矛盾が多いことに気づき始め、やたらとそれを指摘するようになった。
すみ 聖書とタルムードを徹底的に研究し、その矛盾点をひたすら突くことに人生を費やした男性のお話。こういう人こそ宗教家になるべきだったのに。悪いのはハツケレではなく、ハツケレに応えられなかった学校やラビなどという気がする。でもって、神を冒涜するようになったハツケレを肯定的に書いてあるのが興味深かった。
<賭け>
安息日の祝いに集まった人のなかに、アブロム・ウオルフという客がいた。アブロムはそこそこ裕福な金物屋の次男だったが、今は貧しい放浪者だった。そんな暮らしをするきっかけは、50年前、無法者をきどる若者がやってきて、アブロムの遊び仲間達と、一晩中、死体と一緒に死体公示所のなかで過ごせるかどうかの賭けをしたことだった。
にえ ちょっとした悪ふざけで、一生を棒に振ることになったアブロム。同情を期待していたようだけど、でもね。
<息子>
ニューヨークのドックに、イスラエルからの船が着いた。ユダヤ人だけを乗せたその船は、再会を喜ぶ人たちに迎えられた。私は5才のとき以来、20年間会っていない息子の姿を探した。
すみ 5才で別れてしまい、一己の人間として対峙したことのない息子に会うことになった父親。しっくりいくはずがないと心は乱れっぱなしなのだけれど。
<宿命>
金持ちの未亡人やオールドミスたちが多く集まるパーティーで、ベッシー・ゴールドという女性に出会った。ベッシーは貧しい家に育ち、成長するとすぐに逃げ出した他の兄弟と違って、最後まで親たちを支え続けた。その後、ハンサムな青年と結婚したが、青年は働くことを嫌い、ベッシーは働いて彼を支えた。しかし……。
にえ ひたすら思い遣りを持って生きてきたはずなのに、なぜだか、愛する者を失うだけの人生を送ってきた女性のお話。ズキズキしてしまったなあ。
<神秘的な力>
イディッシュ語の新聞に小説を載せている私のもとに、熱烈なファンらしき男性が訪ねてきた。彼は若く見えるが63才で、これまで何度も地獄を経験してきていた。いまだにこうして生きていられるのは、彼が神秘の力を持っているためだった。
すみ 神秘の力を持っているという男性。その予知能力のようなものを興味深く聞くうちに、能力よりも、この人の人間性のほうが気になり始めるの。
<そこに何かがいる>
ベヘフのラビ、ネヘミアは、死ぬ前の二、三ヶ月間、突如としてラビの立場を捨て、神に反旗を翻すような行動をとるようになり、ワルシャワへ旅立った。
にえ なぜだか、死を前にして、しっかりと信じていたものを疑うようになってしまうラビのお話。そのラビが出した結論とは? というちょっと難しいお話。
 2006. 7.19