すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「トラウマ・プレート」 アダム・ジョンソン (アメリカ)  <河出書房新社 単行本> 【Amazon】
アダム・ジョンソン(1967年〜)。雑誌「サンドッグ」「ニューイングランド・レビュー」「エスクアイア」などに掲載された短編小説に修正を加えた9編の短編集。
ティーン・スナイパー/みんなの裏庭/死の衛星カッシーニ/トラウマ・プレート/アカプルコの断崖の神さま/大酒飲みのベルリン/ガンの進行過程/カナダノート/八番目の海
にえ なんだかこのところ、どんどん新しいのが出ているような、河出書房新社のModern&Classicシリーズの1冊です。
すみ 変な紹介(笑) でもさあ、これは私たちのイメージするModern&Classicシリーズとは、ちょっと違う感じがしたよね。
にえ うんうん、なんて言うんだろう、亜流じゃなくて最先端って感じのところがね。この著者のアダム・ジョンソンは、そうとう注目されている新人作家みたい。
すみ 読めば納得だよね、こりゃ注目するわ、と。さりげなく語られる非日常世界、淡々と事実を綴った話の進行に垣間見える、悲哀、繊細さ、やり場のない感情、ほろ苦くも温かい人間関係・・・。
にえ 悲しみが語られているようでいても、ジメジメはしてないよね。空気は乾燥していて、「人生なんてね」と肩をすくめる微かな笑みがいつもある、みたいな。全体的にはきわめてアメリカ的なのだけれど。
すみ ストーリーじたいもおもしろいんだよね。SFと純文学を足して炭酸で割った、みたいな感じ。どちらにもこだわってしがみついているようなところがなくて、融合してるとか、そういう言葉で説明すると重くなり過ぎちゃいそう。もっと軽くて、自然なの。
にえ とはいえ、最初の3つの短編がちょっと受け入れがたい設定で、苦戦してしまったよね。4つめからはグッと来るものが多かったんだけど。
すみ う〜ん、私は3つめからグッと来始めたんだけど。でも、最初の2つは、人殺しと動物殺しだから、ちょっときつかったかな、やっぱり。フィクションなんだし、文学なんだからって頭では思っていても、もう生理的に受け入れられないのだなあ、こういう話になると。
にえ あと、ひとつずつの話は違うんだけど、共通するものもかなりあったよね。家で猛獣類を当たり前のように飼っていたりとか、登場人物の仕事の種類とか、なんか著者の好みみたいなものが見えてきたような気もした。
すみ とにかく、この方はちょっと今後も注目だね。次は長編を発表予定なんだとか。今のうちからチェックしておいたほうがいいかも。
<ティーン・スナイパー>
15才で天才狙撃手のティムは、パロアルト警察の狙撃班で、第一狙撃手の”ブラックバード”として働いている。親友はROMS、気のいい爆弾処理ロボットだ。
にえ 15才で、人質立て籠もり犯などを射殺する狙撃手として働いている少年のお話。なんとまあ、アメリカ的な設定なんでしょ。毎日のように人を殺すことでノイローゼのようになってるんだけど、それは病んでるんじゃなく、人間として正常なことじゃないかしら? で、ティムは同僚の娘シーマに恋をするけど、シーマの前ではまともに振る舞えないのよね。それもまた、15才の少年なら正常なことのはず。でも、それを教えてくれる大人はいなくて、相談相手はロボットだけ。なにげに青春ものなんだけど、爽やかなラストまで薄ら寒く感じてしまった。15才の子が政府公認で殺人を職にしてるなんて、設定が怖すぎ・・・。
<みんなの裏庭>
俺は警察を辞め、現在は動物園で警備員をしている。9才の息子はそれが納得できないらしく、今でも近所の子供たちに、「パパはまた警察官になったんだから気をつけろ」と言っているらしい。
すみ 警察官を辞めて、動物園でやっている仕事は、夜回りと不必要な動物の処理。罪のない動物たちを毎晩のように殺すことと、どんどん心が離れていく息子に、主人公は精神的に参っている様子。とりあえず、まず転職先を探すべきだと思うのは私だけかしら。自分がそれを仕事にしておきながら、息子に動物殺しを嫌悪する優しさを求める矛盾が悲しすぎる。
<死の衛星カッシーニ>
毎週木曜日、19才のベンはチャーターバスの運転手をやっていた。乗っているのはとびきり明るい「ガン生き残りクラブ」で、亡くなったベンの母も創始者の一人だった。
にえ 髪の毛もなくなって、死が目前に迫っていて、それでも仲間で集まって陽気に騒ぎ、おしゃれに着飾ってダンスを踊る。ベンの母もそんな仲間の一人だったの。もうホントに偉いなあと思うんだけど、私がこういうグループにはぜったい参加しないタイプのためか、痛々しさばかりを感じてしまった。
<トラウマ・プレート>
防弾チョッキのレンタル店を営む夫婦は、このところ暇を持て余していた。近くに<ボディアーマー・エンポリアム>という大型店ができて、安く防弾チョッキが買えるようになってしまったからだ。娘のルーシーは16才、子供用の商品を宣伝するため、いつも防弾チョッキを着せられていた。
すみ これは防弾チョッキのレンタル店、なんて、銃社会アメリカならではの発想なのだけれど、内容は暴力的ではなくて、淡々と沈んでいくような感じ。夫、妻、娘が3つの章に分かれてそれぞれ語ってるんだけど、家族がずり落ちていきながら、なにも手を下そうとしない、その退廃感がなんともいい雰囲気だった。ちなみにトラウマ・プレートとは、心臓を守るために防弾チョッキの胸ポケットに入れるプレートのことだとか。
<アカプルコの断崖の神さま>
1985年、ハイスクールを出て、かすみがかったような2年間を過ごしている最中だった俺は、友達のジンボと車でヴェガスに向かっている。いつもは飛行機で行くのだが、ジンボがヴェガスで会う友人へのプレゼントとして持っている、12匹のレッドスコーピオンが入った箱のために、飛行機には乗れなかったのだ。
にえ 主人公の父親は西アフリカで殺されたみたいなんだけど、それは人づてに聞いただけ。それを知らせに来た父の友人と、母はさっさと新しい人生を歩みはじめたみたい。父の死も受けとめられず、母は他人のように感じられ、そんな中で倦んだ日々を過ごす青年、行った先は風変わりな家、と、そういう話。
<大酒飲みのベルリン>
かつては南ルイジアナ一(いち)のカジノの胴元として、「大酒飲みのベルリン」といえば知らぬ者のいなかったパパも、川船で営業するカジノが合法化されてからは、落ちぶれるばかりだった。もうじき、ATFが家宅捜査に来るらしいから、娯楽室のスロットマシンも、カードテーブルも、すべて川に沈めてしまわなくてはならない。
すみ これは「トラウマ・プレート」と似てて、やっぱり両親と娘という構成の家族がずり落ちていくお話。ただ違うのは、最高の楽しい日々を過ごしたあとで最低のところまで落ちちゃったところ。そのへんでまだパパに大物感が残っていたりして、すっごくいい感じの退廃ぶりだった。
<ガンの進行過程>
ラルフのお父さんはタイル職人で、くすねたタイルを毎日のように持って帰った。それを裏庭の小屋、タイルの宮殿に整理して、片づけるのがラルフとぼくの仕事だった。
にえ 病気でちょっと弱々しい感じのする友人のラルフ、でっかくって、いかにも強そうなラルフの父、その家の裏庭にある小屋に詰まった、さまざまな色形のタイルに惹かれまくる主人公。タイルに惹かれる気持ちはすごくわかるなあ。私も子供の頃はそういうものが好きだった。そして、ちょっと距離感をもって観察する友だちの家。これは文句なしに引き込まれるお話だった。
<カナダノート>
カナダ政府によってひた隠しに隠されながら、殺人光線を開発しているツンドラ研究所に、マルルーニー長官がやって来た。カナダ情報局が、ロシアが月ロケット打ち上げをを計画しているという情報をつかんだらしい。
すみ これはあの、人類初の月面着陸に世界がわきかえるちょっと前の頃を時代背景にした、とんでもない設定のSF小説。敵兵の体毛をぜんぶ剃らなきゃ効力を発揮しない殺人光線とか、SFらしい部分はとってもオバカな感じなんだけど、閉ざされた世界での男たちのお話としては、とっても素敵なの。研究員の他に、半分野生化したような男が現れるんだけどね。
<八番目の海>
19才の青年ロナルドは、よって警察の馬に放尿をしたために、社会人再教育の講習会に参加することになった。そこで知り合い、つきあうことになったローレンは、大学で同じ授業を受けているシェリルの母親だった。
にえ ロナルドは両親が離婚して、母親に引き取られて新しい家に引っ越し、母親のものとなった家を父親が借りることになって、父親のブロック塀を作る仕事を手伝っている、という青年。ローレンは夫が狂信的なキリスト教徒で、重量挙げで布教活動をしているという、19才の娘を持つ女性。この設定だけでも、なんか良い感じのお話が始まりそうって気がしないかな。なにか特別なことが起きるって話じゃないけど、期待通りの味わいだった。