すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「幼なごころ」 ヴァレリー・ラルボー (フランス)  <岩波書店 文庫本> 【Amazon】
ヴァレリー・ラルボー(1881年〜1957年)の少年少女を扱った作品だけを集めた短編集。
ローズ・ルルダン/包丁/《顔》との一時間/ドリー/偉大な時代/ラシェル・フリュティジェール/夏休みの宿題/十四歳のエリアーヌの肖像/ひとりぼっちのグウェニー/平和と救い
にえ 作家に愛される作家だったというヴァレリー・ラルボーの、少年少女を扱った短編小説10編収録の短編集です。
すみ 10編といっても、最後の「平和と救い」は独立した短編小説というより、この短編のまとめというか、締めというか、そういう内容だから、実質は9編かな。
にえ これは復刊版なのかな、それとも新訳版なのかなと思って、調べてみたら、岩波文庫で出るのは初めてみたい。以前に旺文社文庫から別の方の翻訳で、「めばえ」ってタイトルで出てたみたいだけど、こちらは絶版。
すみ とにかく、新しい翻訳、新しい本で読めてよかったよね。ちょっと気持ち的にダレて読んじゃったのもあるけど、あとはもうホントに、ホントに素晴らしかった〜。
にえ 大人心をくすぐる子供時代の話だったよね。ノスタルジックというか、だれもが経験したけれど、戻ることのできない一時期がキラキラと眩しく、美しくもあり切なくもあって。
すみ でも、きれいなばかりの思い出話ではないんだよね。かなり残酷さを含んでいて、子供時代最高って感じでもなくて、シッカリと大人になっていく未来を予感させて。
にえ 裕福な家に育って、かなり我儘で、ひねくれたところもあって、底意地の悪さもあって、でも、そういう表面的なところを取り除いたら、なかには純粋な幼なごころがあったりとか、実はシッカリ甘やかされている自分の立場を見据えていたりとか、 そういうハッとさせられ方がたまらなかったな〜。
すみ 私のように全作品が気に入ったというわけではないとしても、これは読む価値ありの本だったよね。いくつかの作品には、本当に良いものを読めたときにしか味わえない満足感があった。なので、オススメですっ。
<ローズ・ルルダン>
ローズ・ルルダンは、田舎の寄宿学校で出会ったローザ・ケスレルのことを今でも忘れられずにいた。レーシェン(小さな薔薇)と呼ばれるのがまさにふさわしいその少女は、一学年上の、少し不良っぽさのある少女だった。
にえ これは、女の子ばかりの寄宿学校で、12才の少女が1つ年上の少女に淡い恋心を抱くお話。ですます調の丁寧な言葉で語られる思い出話が、なんともほろ苦かった。
<包丁>
ラビー一家は、夏の休暇をレスピナスの高台にある邸宅で過ごすことにしていた。もうすぐ8才になるエミール・ラビーは、大人たちの思い通りになんてなるつもりはまったくなかったが、何を言っても、なにをやっても、「エミール坊ちゃんはとっても面白い坊ちゃんだ」で済まされることに苛立っていた。 祖母が可愛がっている12才の使用人ジュリアはエミールに、農場に新しく来た私生児ジュスティーヌを虐めて楽しもうと誘った。
すみ 甘やかされるだけ甘やかされて、すっかり邪悪な子供になってしまっているエミール、でも、ジュリアはそれに輪をかけて邪悪な子供で、エミールはジュリアの悪賢い罠にかけられてばかり。途中、かなり驚いたりもしたけど、ラストにはかなりズキンと来たな。プルーストはこの作品を読んで、一年経ってもまだ胸が痛んだんだそうです、納得。
<《顔》との一時間>
ソルフェージュの授業の時間になっても、マルカット先生は現れない。このまま現れないでくれればいいと願うぼくは、運命が変わることを怖れて動けない。ぼくはマントルピースの大理石の石目に隠れている《顔》を見つけた。
にえ ソルフェージュがわからなかったんだけど、楽譜を読んだりとかの音楽の基礎勉強のことだそうです。できれば逃れたい習い事、木目や石目に顔を見つける、どれも経験のあることだけに共感しやすかった。自分が動くと流れが変わっちゃうかも、なんて発想は、そうそう、子供の頃はよくそういうこと考えた! なんて声をあげたくなったりして。
<ドリー>
ドロシー・ジャクソンは12才でこの世を去った。病んでホテルの一室に籠もるドリーのフランス語教師だった私は、友達になればいいと思い、エルシーを紹介することにしたのだが。
すみ ドリーは高級ホテルの一室で、お付きの人たちに囲まれているけど、母親は有名な女優で世界を飛びまわり、ドリーのそばにいることすらしないの。そしてドリーは、心根はやさしいのに、つい意地悪なことを言ってしまったりする女の子なの。でも、そういう子供にたいして、子供が優しく接するとは限らないよね〜。
<偉大な時代>
マルセルはいつも、アルチュールとフランソワーズという兄妹と一緒に遊んでいた。ある時は汽車となって、犬たちを乗客にして路線を広げていき、ある時は三人の国王となって、激しく領土を奪い合った。ある日、マルセルは父親が経営する工場で働く工員の娘二人と出会い、赤毛の美しい彼女たちをひそかに「野生の女王」と呼ぶことにした。
にえ これは作品のほとんどが三人の遊びで埋め尽くされていて、その合間に、かなりピリッとした現実が挟まれているんだけど、その遊びの描写が凄かった。ただ遊びを描写するんじゃなくて、子供の空想の世界がそのまま本当のことのように綴られていて、限られた広さであるはずの場所が、その空想によってどんどん膨張していって、とんでもなく広い世界になっていくの。それにしても、現実はかなり苦かったな〜。
<ラシェル・フリュティジェール>
母は少女の頃、父親の意向で、妹のジャーヌと一緒に、かなり貴族的な学校に通っていた。しかし、肝心の父親が授業料を滞納してしまうため、学校ではかなり苦しい立場だった。
すみ 少女時代に、親が授業料を払えない生徒だったら、かなり精神的に辛いと思うんだけど、独りぼっちじゃなくて、姉妹二人だから、意外とそれはそれでやり過ごせちゃったりして。そういうところにものすごく共感してしまった(笑)
<夏休みの宿題>
前期にかなり成績を落としてしまったぼくは、この夏休みのあいだは勉強に励み、学校一の優等生になるつもりだった。
にえ 勉強するぞ!って気になると、まずは道具を買いそろえ、ひたすら計画に時間を費やすってところにはものすごく共感した(笑) でも、この作品の大部分は、詩について楽しげに語られているんだけど、詩心ってものがないうえに、フランス語の韻の踏み方なんてサッパリわからない私には、ちょっとついて行けなかった。残念。
<十四歳のエリアーヌの肖像>
この2月に14才になったばかりのエリアーヌは、金髪に青い瞳の、大柄で、美しい少女だったが、母親によって隷属状態に置かれ、恋の花を開かせるのは難しかった。
すみ これは、恋に恋して、ちょっと見かけた男性を相手に想像を膨らませるしかない少女のお話。もし、あの人とつきあうことになったらどうなるんだろうとか想像したり、ちょっとした仕草に、自分に気があるのかもと思ったり、そういう過敏な時期って私にもあったな〜。
<ひとりぼっちのグウェニー>
夏のあいだを小さな別荘で過ごす私は、そのたびにいつも、世話してくれる女中を一人雇い入れた。その年はオリーヴという若く、美しい女性だったので、私は親しげになりすぎないよう気を遣っていた。
にえ 別荘の庭に入ってしまったボールを取りに来たことをきっかけに、遊びに来るようになったグウェニーという少女は、ちょっと謎めいた存在で、こういう少女が現れてくれたらいいのになって状態のときに、うまいこと現れるから、もしかして語り手の空想上の存在?なんて思ったりもして。
<平和と救い>
美しい白鳥が泳ぐ湖のほとりで、ひとりの詩人が「幼なごころ」の数々を書いている。子供たちはそれをとりまき、円陣をつくる。
すみ さすがフランスの文章家、短編集を美しく締めくくっていました。