すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「ハサミを持って突っ走る」 オーガステン・バロウズ (アメリカ)  <バジリコ 単行本> 【Amazon】
兄は両親がいやで家を出ていった。マサチューセッツ大学の数学の教授でアル中の父親と、詩人で精神を病んでいる母親は諍いが絶えず、ついには離婚することになってしまった。 母親に引き取られた12才のオーガステンは不登校。同性愛の恋人とよろしくやりたいためなのか、母親はオーガステンをかかりつけの精神科医の家に預けてしまった。その家は高級住宅地のなかにあったが、 ピンク色のあばら屋で、そこに住む家族の生活も常識はずれそのものだった。
すみ これは「ニューヨーク・タイムズ」のベストセラーリストに52週連続ランクインしたという、オーガステン・バロウズの初邦訳本です。
にえ 自伝的小説ってことだけど、私の許容範囲が狭すぎるのか、とてもノンフィクション要素があるとは思えず、全編がフィクションにしか思えなかったな。
すみ ぶっ飛んでるというか、あまりにも小説ちっくで、出来すぎのような気がしてしまったよね。
にえ ジョン・アーヴィングの「ガープの世界」も自伝的といわれているから、そういう感覚で捉えればいいのかな。現実にあったことに沿って書いているというより、自分の経験をもとに小説を書いているんだなってぐらいで。
すみ そうね。私はラストのほうになってから、う、やっぱりリアルな話なんだ、と思ったりしたんだけど。なんかそういう現実ならではの不可解さの衝撃みたいのがあって。
にえ あ〜、かもしれないね。とにかくまあ、これは小説として書かれているんだから、小説として読めばいいよね。
すみ そうそう。主人公はオーガステンくん、って当たり前か(笑) で、オーガステンの10才ぐらいの話から始まるんだけど、しっかり順を追って話されていくのは12才からで、17才までの話。訳者あとがきと1才ずつずれるけど、これでいいはず・・・。
にえ 父親はマサチューセッツ大学の数学の教授ってのも、あとがきでは自然科学系の大学教授となっていたね。まあ、父親の仕事は物語に関わってこないからいいか。この父親は重度のアル中なの。
すみ 父親自身、家庭に問題があったりしたんだろうね。そのためか、二人の息子にもまったく無関心だし、妻と良好な関係を保つ努力もあまりしていなくて。
にえ そういう人の悲しい典型で、同じように精神的に問題のある伴侶を選んでしまっているんだよね。オーガステンの母親は入院歴もある精神に病を抱えた人。
すみ こちらも息子への愛情というものが感じられないよね。父親にしても、母親にしても、暴力をふるったりとかするわけじゃなく、表面的には愛しているようなことを言うけど、行動からはハッキリ子供に関心がないことが表われていて。
にえ 救いなのは、オーガステンが愛されていないことで自分をあまり責めていないことだよね。普通だと、愛されないのは自分に欠点があるからだと親を責めずに自分自身を責めてしまうと思うんだけど、その点、オーガステンはかなりクール。
すみ 常に実年齢より上に見られることを強調しているよね。それは容姿じゃなくて、自分の置かれた立場を達観できる大人視線があるからってことみたいで。
にえ そこがフィクションみたいって思ってしまった第一要因だったりもするけどね。とはいえ、この小説は大人になって書いたんだから、小説として不必要と判断して、削っている部分も多々あるはずだし、だから嘘だってことでもなんでもないんだけど。
すみ とにかくオーガステンに問題が起きてないわけではないよね。不登校児で、過剰なまでに美意識が高いところがあって。あ、これは同性愛傾向があるためか。
にえ 両親の離婚に前後して、介入してくるのが精神科医のフィンチ先生だよね。この方については、最初のうち、かなり懐疑的に見ていたんだけど、途中でいいなあと思いはじめて、思いはじめたらやっぱり疑いはじめてって感じかな。
すみ 総合すると、人間的に良いところも悪いところもあるってことでしょ(笑) とにかくぶっ飛んだ先生だよね。住んでるところはピンク色のあばら屋みたいな家だし、診療所に自愛の部屋があったり、愛人が何人もいることを公言していたりして、 養子も含めた自分の子供たちには、放任主義というのかなんというのか、とにかく常識はずれな暮らしをさせていて。
にえ ウンコ占いとかやったりしてね(笑) でも、怒りを溜めるなって教えたり、まんざら間違った人とも言えないんだけど。でもでも、治療の様子とかからすると、なんとも言えないかなあ。
すみ だけど、オーガステンにとっては、フィンチ家が救いであったのもたしかだよね。フィンチ家のせいでまともじゃない暮らしを続けたまま、17才まで行っちゃったとも言えるかもしれないけど、フィンチ家がなかったら、果たして17才まで生きていたかどうか。
にえ フィンチ家とたまに母親に会いに行く生活は、学校に行かないで、とりあえずマクドナルドに行ったり、映画を見に行ったりするぐらいの金は与えられて、気に入らなければ天井を壊すとか、そんなことをやっても怒られもしない生活。羨ましいと言いたいところだけど、やっぱり先の見えない不安がつきまとって、楽しそうとも言い難いか。
すみ 十代ならではの未来への不安に、普通と違うことでの不安が重なって、それでも鬱々としていなくて、この年齢じゃないと出せない燦めきがある日々だったりもして、なんというんだろう、生きてるってことが眩しいほどの鮮やかな小説だったねえ。
にえ 自分の十代と重なるところはほとんどないのに、なぜかちょっぴり懐かしく切なくなるのは、やっぱり一世代前のアメリカに対する郷愁みたいなものを覚えるからかな。自伝的な内容をここまでパワーのある小説にしてしまってるってやっぱり凄いよね。これもまたひとつのアメリカンな青春小説か。オススメです。