=「すみ」です。 =「にえ」です。 | |
「奇跡も語る者がいなければ」 ジョン・マグレガー (イギリス)
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私はいまだに三年前、ここからは何百キロと離れたあの住宅地の一角での一日を思い出す。彼が出ていったあと、一人残った私も借りていた部屋を出ようとしていた。 荷物が多すぎてどう片づけていいかわからなくなった私は、大家に電話をかけて延期を申し出たが、翌日にはもう新しい住人が来る予定だと言われた。窓の外では双子の男の子たちが騒がしく遊んでいた。 その妹は退屈そうだった。バーベキューをやろうとして喧嘩になりかけている若者たちがいた。デッサンが下手だと言われ、練習のために住宅地をスケッチしている青年がいた。とびきりおしゃれをして出掛ける老夫婦が歩いていた。そして、あの事件が起きたのだ。 そして現在の私は、妊娠したことをだれかに相談したいのに、それができずに悩んでいる。 サマセット・モーム賞、ベティ・トラスク賞受賞作品。 | |
イギリスの若手作家ジョン・マグレガーのデビュー作で初邦訳本です。いきなりサマセット・モーム賞とベティ・トラスク賞を受賞し、ブッカー賞の候補にもなった作品だそうです。 | |
読めば、文学賞に選ばれるっていうのはわかる気がするよね。文学上での新しい試みみたいなものがあって。突飛だとか、奇抜だとかいうことはないんだけど、読みはじめちょっと戸惑ったかな。 | |
冒頭は夏の最後の一日についての描写なんだよね。小説の登場人物もわからず、物語の始まる気配もなく、ただ、夏の最後の一日における街の様子が描写されてて。 | |
夏の一日っていうのは正確に言えば、1997年8月31日、日曜日にあたるみたい。イギリス人ならこれだけで、ああ、あの日かとピン来るんだろうな。私は来なかったけど(笑) | |
ダイアナ妃が亡くなった日なんだよね。もうひとつ私たちと感覚が違うのは、イギリスの大学は8月に卒業式があって、8月31日といえば、卒業生たちが大学のそばに借りていた部屋を出て行く日。 | |
あとになってようやく出てくる「わたし」も、大学を卒業して、この日に部屋を出ることになっていたのよね。 | |
現在の「わたし」はその3年後で、どうやら結婚する気もない男の人とのあいだにできた子供がお腹のなかにいるみたい。 | |
この小説では、その「わたし」が一人称語りで現在を語るところと、3年前、ある住宅地に住んでいた人々を描写するところとが交互に出てくるんだよね。 | |
住宅地に住んでいた人たちについては、ほとんどが景色の一部とでもいいたげに、名前すらないのよね。でも、それぞれの人物像がしだいに浮かび上がってくるんだけど。 | |
「わたし」にも名前がないもんね。でも、この小説で登場人物にイチイチ名前があったら、かえって変かも。だれとも特定できないような匿名性が大事って気がする。 | |
「傷だらけの手をした男」とか、「ヘアバンドの女の子」とか、そういうふうに呼ばれる人たちが次々に交代で現れるから、混乱しそうにもなるけど、小説が始まる前のページに、それぞれの人物が住んでいた場所と、特徴が書き込まれた住宅地の地図があるから、別にメモをとらなくても良かったよね。 | |
むしろメモとかとってしっかり見分けないで、ズルズルっと読んだ方がいいんじゃない。登場人物たちはそれぞれ別の特徴を持った人物として書かれているけど、わざと同じ特徴を複数の人に持たせてあったりして、どこか溶け合って繋がっているような、じつは同一人物かと思わせるような、不思議な雰囲気を持たせてあるの。 だから、それをキッチリ分けてみるのは興ざめかもしれない。 | |
うん、その感触はなんとも変な感じがして良かった。って、変な言い方だけど(笑) | |
私はじつは登場人物のなかの一人だけに注目が行ってしまうのを必死に抑えて全体を読むように努力したんだけどね。 | |
わかった、あのおじいちゃんでしょう。 | |
そうそう、そうなのよ。二人だけで通じ合う冗談があったりする仲のいい老夫婦で、共有する思い出があり、互いに想い合い、でとっても素敵なんだけど、じつはおじいちゃんのほうは死に至る病におかされているみたいで、 こっそり病院に通っているの。いつかはお婆ちゃんにも話さなきゃとは思っているんだけど、なかなかきっかけがなかったりして。 | |
その話さなきゃいけないことがあってタイミングを計っているというのは、現在の「わたし」と共通するところなんだよね。妊娠しているんだけど、そのことを親友にも、母親にもなかなか切り出せなくて。 | |
独身で、相手の男とは一度かぎりの関係だからね〜。 | |
幼い頃からの両親とのぎこちない関係も要因としてはあるでしょ。とくに母親はアイルランドの出身なんだけど、ハッキリとはわからないけど母親から逃げてきた人みたいで、娘との関係もどことなくぎこちないの。これじゃあ、話しづらいかな。 | |
そんな「わたし」の前に、不思議な男性が現れるんだけどね。この人は名前があって、マイケルというの。マイケルには双子の兄がいて、その兄が3年前、あの住宅地にやっぱり住んでいたみたい。 | |
双子はリンクしまくってたね。まあ、そりゃいいとして(笑)、その住宅地で起きたある出来事、ある奇跡と言ったほうがいいかな、とにかくそれが最後にわかるんだけど。 | |
それについては衝撃的なラストとか、だれにも語られなかった小さな奇跡に大感動とか、そういうものを期待していたわけじゃないんだけど、でも、なんていうかな、もうちょっとだけ余韻深かったらな、とは思ったよね。なんというか、読み終わって本を閉じたときに、もっとこの小説の漠としたイメージの世界がパーっと広がっていくような。 なんか、なるほど、そういうことかで終わってしまったような。といっても、悪くはないんだけどさ。全体としてはなかなか良かったってことで。 | |