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 「山猫」 G・T・ランペドゥーサ (イタリア)  <河出書房新社 文庫本> 【Amazon】
1860年、シチリア島の貴族サリーナ公ドン・ファブリツィオは、古びてはいるが壮麗な屋敷で、自分の種族と遺産の消滅を意識していた。シチリア上陸に始まる一連の流れは、近い将来、貴族が過去の遺物となることをはっきりと暗示していたし、 サリーナ家の財政が早い速度で逼迫していっていることもまた明白だった。しかし、若き甥タンクレディの到着で、ドン・ファブリツィオの憂鬱はしばし晴れた。親の代で財産を失っていたが、野心に満ち、新しい時代の到来に向け、精力的に活動をつづけるタンクレディは、明るく愉快な青年だった。 タンクレディが去ったあと、ドン・ファブリツィオは思う。タンクレディは娘のコンチェッタに求婚するのだろうか。コンチェッタはすっかりその気になっているようだが。もはや財産も期待できず、新しい時代に対応していけるとも思えないコンチェッタで、あの野心的な青年が満足できるのだろうか。 そんなドン・ファブリツィオの懸念は、大きな緑の瞳を持つ、驚くほどに美しい娘アンジェリカの登場で現実のものとなった。
すみ ヴィスコンティ監督が映画化し、1963年にカンヌ映画祭グランプリをとった同名映画「山猫」が完全修復されて劇場公開されることになったということで、改訂新装出版された原作です。
にえ 作者のG・T・ランペドゥーサは、略さないと、ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサという長い名前。1896年、イタリア、シチリア島で最も由緒ある貴族の家に生まれた公爵なんだって。1958年に出版されたこの作品がデビュー作で、そんな身分の高い人が書いたんだって当時はそうとう話題になったそう。でも、ご本人はその前の年の1957年にはお亡くなりになっていました。
すみ 著者は作家ではなかった、ということができるよね。でも、文学的にはものすごく高い評価を受け、世界的なベストセラーとなり、いまだに読み継がれている、というのは、読めば納得よね。
にえ 翻訳文で読んだかぎりでも、文豪と呼ばれる人たちの小説と比べて、なんら遜色はないんじゃないかな。ぎこちなさその他のマイナスがない、というより、自信を持って優雅にゆったりと、でも適切に書いてあるって感じ。
すみ とはいえ、あんまりメリハリのきいたストーリー性のある小説を期待しないほうがいいけどね。これからおもしろい展開になりそうって、エピソードがいくつかあるんだけど、決してそちらが主ではないから、区切られた時間の中の出来事が語られているだけで、その後の展開についてはさほど触れられていなかったりして。
にえ あさましい庶民の意見じゃのう、読んだだけ全部おもしろい話を与えてもらおうと、がっつきやがって(笑) この小説はそういうみっともない庶民根性の対極にあるような内容なのよっ。
すみ あ〜はいはい、そういう根っから庶民のくせに、貴族ぶろうとして、よけいみっともなくなっちゃう登場人物もいましたよねっ。
にえ 庶民はガチャガチャうるさいのう。この小説はね、要するに「斜陽」、なのだけれど、スッと背筋の伸びた生粋の貴族である主人公は、その斜陽さえも泰然として受け止めるという、そういうお話。
すみ 舞台は19世紀後半から、20世紀初頭。イタリア統一戦争のさなかで、これまでの王政は倒され、民衆に権力が移りそうな流れ。しかも、イタリアがヨーロッパの中心からは、はずれていきそうな気配。
にえ つまりは、イタリア貴族そのものが過去の時代のものとなって存在的には忘れられ、さえない部類の一般庶民に加えられてしまいそうな予感。主人公サリーナ公ドン・ファブリツィオは、そのイタリアのなかでも中心地ではなく、シチリア島の貴族だから、その置いて行かれ感はなおさらでしょう。
すみ とはいえ、中途半端な貴族じゃないのよね。王と親しく会話をするような仲で、上院議員を選ぶとなると、まず名前が挙がるような、本当に身分の高い人。
にえ でも、王政を熱烈に支援するわけでもなく、上院議員になるのも断るし、新しい思想や運動に対しても、進んで耳を傾けるし、正しいと思えば、むしろ支援するような。でも、自分たち一家の凋落が迫ってきていることも、はっきりと把握しているのよね。 時代にうまく乗っていこうとするようなところもなくて。
すみ まさに、これが本当の貴族ってところを見せてくれたよね。身分を意識して人を見下したりするのでもなく、他人に媚びるなんて思い至ることもない。すべてを、新しい時代の到来も、凋落も、すべてを泰然と受け止める。
にえ ドン・ファブリツィオを囲む他の登場人物としては、まず奥さんのマリア=ステルラ公爵夫人でしょ。この方は、敬虔なキリスト教信者で、敬虔なキリスト教信者であることこそが美徳と考える、賞賛に値すべき貴族の妻。なのだけれど、ドン・ファブリツィオはそういう古さというのか、そういうものにちょっと嫌悪を抱いているよね。
すみ ヒステリックなところがあって、そこがまた貴族の妻らしいところだよね。ちょっと前のヨーロッパの小説を読むと、貴族の女性はなにかというと、気つけ薬だからね。
にえ 娘のコンチェッタも、そういう前時代的な美徳を引き継いでるよね。あくまでも奥ゆかしく。そこが若い女性の魅力としては物足らなさにつながってしまっているみたいだけど。
すみ そのコンチェッタと愛しあっているのかな、と思われたのが、ドン・ファブリツィオの甥、タンクレディ。親のせいで財産を失ってしまっているけど、とても魅力的で活動家。「青年イタリア党」に加わったりと、新しい時代を切り開いていくのに積極的。
にえ ドン・ファブリツィオは、自分の子供たちより以上に、このタンクレディを愛しているんだよね。古い時代に固執している人たちより、新しく切り開いていこうとしている若々しさのほうに惹かれるみたい。
すみ ところが、タンクレディは予想に反し、コンチェッタではなく、村長ドン・カロジェロの娘、アンジェリカを愛してしまうのよね。
にえ ドン・カロジェロってのは、身分が低くて、人前に出せないような奥さんがいるらしいんだけど、みずからの才覚で、地位と財産をどんどん築いていってる人。上品に立ち振る舞おうと努力しているみたいだけど、やることなすことがやぼったいどころか、下卑てさえ見えるんだけどね。でも、こういう人でさえ、 新しい時代を切り開く力を持った人として、ドン・ファブリツィオは愛そうとしているみたいだけど。
すみ アンジェリカはとびきりの美人で、両親と違ってちゃんとした教育を受けたから、上品に振る舞えるし、知性もあるんだよね。でも、じつはかなり野心的な娘みたいだけど。
にえ つい、そっちのラブロマンスの方に気が行ってしまうけど、あくまで主役はドン・ファブリツィオだよね。ドン・ファブリツィオの言動には、心の広さや思いやり深さもあるけど、そういうものじたいが傲慢だともとれたりして。
すみ あと、ピローネ神父という存在も気になるところだったな。この人も貴族に保護されている立場だから、前時代的な人といえるんだけど、あくまでも内輪の人間ではないぶん、意外と辛辣に見ているところがあって、ハッとさせられた。
にえ だれもが無邪気には振る舞えない時代だけに、無邪気な飼い犬ベンディコの存在感が際だって感じたよね。ズシンと時代を感じさせる小説でした。