すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「わたしたちが孤児だったころ」 カズオ・イシグロ (イギリス)  <早川書房 文庫本> 【Amazon】
1900年初頭、上海で暮らすイギリス人の家族。アヘン貿易の会社で働く父、アヘン貿易に反対する 運動をしている美しい母、隣の日本人少年アキラと親しくつきあう息子クリストファー。危うさを含みなが らも幸せに暮らす家族だったが、父が姿を消し、誘拐の捜査がされているうちに、母もまた連れ去られた。 一人残されたクリストファーは、母国イギリスで成長し、探偵となった。クリストファーが父母を捜すため、 上海に戻ったとき、上海では中国国民党と日本軍の戦火が、世界へ広がっていこうとしていた。難しい状況 のなか、クリストファーの両親失踪の謎は解けるのか。
にえ 久々のカズオ・イシグロの新刊。『充たされざる者』の五年後に書かれた作品だそうです。
すみ それにしても、今度は探偵が主人公のミステリ仕立て。若いう ちに賞をとりすぎた作家は試行錯誤するってセオリーは崩れないね。
にえ うん、主人公が探偵でしょ、探偵を惑わすような美女が出現す るでしょ。あわわ、とうとう純文学やめて、正統派のミステリ作家をめざすことにしたの?って、またまた驚かされたよ。
すみ 最初のあたりは、1900年前半のロンドンの社交界とか、ちやほやさ れる有名探偵とか、著名な男だけを追いかける上昇志向の強い女の登場とか、ちょっとノホホンないい雰囲気が出てたよね。
にえ なんだか、主人公がわかってないのに、わかってるだろうなんて 言われてどこかへ連れて行かれたり、はっきり記憶が蘇らなかったり、ちょっと『充たされざる者』的な匂い もあったけどね。
すみ でも、その辺は、あとでちゃんと、なるほどってなるから、苛々 させられることはなかったでしょ。
にえ そうね。匂いだけにとどまってくれた(笑)
すみ で、上海の租界地での幼い頃の思い出話になってくると、 日本を知らない日本人であることの陰が感じられるアキラが、じょじょに軍国主義の影響を受けていく 描写なんて、ちょっと『女たちの遠い夏』を彷彿とさせたよね。
にえ ああ、あと、高い理想を掲げて上海に渡った男たちが、挫折し て、堕落していくさまは『浮き世の画家』を連想した。
すみ そう、だから単純に今までの作品の流れだけで言えば、『充たされ ざる者』の手法を生かして、『女たちの遠い夏』と『浮き世の画家』の味付けを加えつつ、近代歴史ミステリ に仕上げたって感じよね。
にえ そうなの、そういうこと言いたくなるでしょ。私はね、それが 自分でイヤだった。そういうあの作品のあの手法を使ってるのね、とか、あの書き方をまた使ってみたのね、 とか、そういう批評家チックな読み方をしたくないのに、してしまった。
すみ う〜ん。こう毎回手法を変えられると、どうしても、今度は どういうやり方で、どう持っていくのよ、みたいな探りが先に立っちゃって、本の世界にドップリのめり こめないってあるよね。悲しいけど。
にえ あんまりいい読み方じゃないよね。あとから思うぶんにはいい けど、読んでる最中にそういうことばかり考えるのは好きではない。でも、この本でそうなったのは理由が あるのよ。
すみ え、これはこれで、なかなか深みのある良い本ではなかっ た? イギリスでもすごく売れてて、映画化も決まってるらしいよね。
にえ 深み? そうね、すべての登場人物に対して、みごとに余韻を 残してくれたよね。
すみ うん、どの人もはっきりとした行く先とかが見えない終りかた だっかたら、この人はこれからどうなっちゃうんだろう、とか、この人はどうなっちゃったんだろうって、 読んだあと考えちゃったね。
にえ それぞれに悲しみを抱えてる人たちだったし、不安定な時代の 揺れる人々の精神状態もみごとに浮き彫りにされてたし、それはそれでよかった。
すみ 中国独特の傀儡政治の裏の暗黒さなんかも、外国人の眼を通し て、巧みに描かれなかった? なんかあの、関わるとズブズブとはまっていって抜けられなくなっていく 恐怖、伝わってきたな〜。 
にえ うん、登場人物も、時代背景の描写も、謎解きも、ラストも悪く なかった。すべてが素晴らしく上質。ただね、私は主人公に共感できなかった、それが痛かった。
すみ ああ、たしかに掴めない性格だったよね。
にえ なんか、煮え切らなくてなに考えてんだかわからないと思うと、 いきなり怒りだしたり、どういう方向に進みたいのか見えてこなかったりして、ちょっと私にはわからない 人だった。
すみ たしかに、人の都合とか事情も考えず、自分の捜査がなにより も大切なんだって主張するあたり、どうしちゃったの、この人って感じはあったよね。
にえ そう、戦争の真っ最中だったり、人の命が危険にさらされるっ てのに、そういうの無視して、そんなことより私の捜査のほうが大事ですって言いきるところ、これはいく らなんでも言ってること、メチャクチャじゃない?と思った。
すみ それまでは、けっこうおとなしくて、人に逆らわない性格だ ったのにね。むしろ、人の顔色見るってタイプ?
にえ なんかねえ、そういう統一性のなさが災いして、私には主人公 が最後までどういう人なのかわからないままになってしまった。だから、他がすべて素晴らしくっても、 本にのめりこめなかった。
すみ う〜ん。カズオ・イシグロじたいが、登場人物にのめりこませ るような書き方をする人じゃないような気はするけど。これはこれで、すごくよく書けた話だったよ。それ に主人公はともかく、他の登場人物は時代に押し流されていく感じがよかったし、せつなかった。私はオス スメするけどね。
にえ そうね、読む価値はある本だと思う。ただ、私は主人公が気 に入らなくて不完全燃焼。好きな作家には厳しくなります。以上!