すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「あなたはひとりぼっちじゃない」 アダム・ヘイズリット (アメリカ)  <新潮社 クレストブックス> 【Amazon】
1970年ニューヨーク州生まれ。10才でイギリスに渡り、14才でアメリカに戻る。スワースモア大学でジョナサン・フランゼンに師事し、アイオワ大学のライターズ・ワークショップを修了。イェール大学で法律を学びながら創作活動を続け、現在、法律事務所に勤める。 「ゾエトロープ」で短編「私の伝記作家へ」が掲載されて注目を浴び、本書で各種の文学賞の受賞、全米図書賞、ピュリッツァ賞の最終候補にもなったアダム・ヘイズリットの初邦訳短篇集。
私の伝記作家へ/名医/悲しみの始まり/献身的な愛/戦いの終わり/再会/予兆/父の務め/ヴォランティア
にえ アメリカの期待の新人作家アダム・ヘイズリットの初邦訳本です。なんか癒し系、みたいなタイトルで、ちょっと読む前は引いてたんだけどね(笑)
すみ でも、それで読むのを止めなくてよかったね。最初の短編「私の伝記作家へ」から、これは身を入れて読まなきゃって気にさせられた。
にえ 1作ずつが、ズシーン、ズシーンと重く心にのしかかってくるようだったよね。とにかく登場人物一人一人の悲しみというか、不幸というか、背負ってるものが重く迫ってくるのよ。
すみ 共通するものの多い短編群だったから、これから先もまったく同じじゃ、ちょっとどうかな、なんて余計な心配はしてしまったけれど、とにかくこの1冊はスゴイとしか言いようがないね。
にえ ほとんどが精神を病んでいる人か、ゲイの人のお話なのよね。それについては作者本人のインタビューが巻末にあったのでそのまま書き写しちゃうけど、「父親が精神を病んでいたのでそういう精神状態にいる人やその家族の気持ちを理解できるし、ぼく自身がゲイなのでゲイの男性が作品に登場するが、精神を病む人やゲイをテーマに小説を書いたのではない」とのこと。
すみ 納得するよね。精神を病んでいる人、その家族の苦しみや悲しみ、ゲイであることの切なさ、そういうものが本当にリアルで、実体験のない人にはここまで書けないだろうなと思わせるけど、 それがテーマではなかった。もっと深い、生きる悲しみや切なさやその他もろもろが、痛いほどジンジン伝わってきた。
にえ でも、痛々しいだけじゃないんだよね、どの作品にも柔らかな光の輪郭みたいなものに包まれていて、どこかやさしいの。
すみ 美しいよね、でもホントに切ない。ずっと以前に読んだエイミー・ブルームの「銀の水」をちょっと思いだしたけど、それよりも読後感は重いかな。でも、ホントによかったです。
<私の伝記作家へ>
73才になったフランクリンは今、躁の期間に入っている。だが、医者からもらった薬を飲むつもりはない。自転車に関する新しい発明と、いつかは自分の伝記を書こうとするであろう作家のために残すメモを書きながら、 姪に借りたサーブを駆り、29才の息子グレアムのもとを訪れた。
にえ これは双極性障害で、躁状態と鬱状態を激しく繰り返し、おそらくは家族にもそうとうな迷惑をかけ続けている老人フランクリンの視線で書かれた短編。
すみ フランクリンが訪ねていった息子のグレアムはゲイで、やっぱり同じ病気で苦しんでるみたいなんだよね。突飛な行動をどんどんやってしまう父と、それをなんとか止めようとする息子の関係が切なかった。
<名医>
友人や家族から3200キロも離れた郡立の診療所で働く青年医師フランクは、この3年間の勤務で医学校時代の貸付金が相殺できるはずだったのに、当てが外れた。 それでもフランクは患者の話を聞くという自分の能力を生かすことのできる、この職を離れるつもりはなかった。今日は一年間、一度も診療所に来ずに電話で薬の処方だけを頼んでいる女性を訪ねた。
にえ フランクは訪ねていった女性患者から、どういった経緯で精神を病んでしまったか聞かされるんだけど、それは青年医師が簡単に受けとめられるような悲しみではなかったのよね。
すみ 思い通りにいかない人生に押しつぶされてしまいそうになりながらも、どうにか気丈に振る舞う女性だけど、ちょっとだけかいま見えた女性の家族に不安も残ったな。
<悲しみの始まり>
母親が自殺して一年後、交通事故で父親を亡くしたぼくは、あと一年半、高校に通って卒業するために、85才と60才の母子が住む隣人宅に身を寄せた。 ぼくが気になるのは、同じ工芸技術の授業をとっている、グラム・スレーターという怒った天使のように美しい顔をした少年だった。
にえ この主人公の少年は、母の自殺のあと、父に心配をかけないつもりが、つい学校で独りぼっちだともらしてしまい、その翌日には父親が事故死してしまったんだよね。
すみ 自分を傷つけてもらうという歪んだ愛情しか求められなくなっている少年の心がヒリヒリと痛々しかった。
<献身的な愛>
法律事務所に勤めるオーウェンと、学校教師の姉のヒラリーは、結婚もせず、ずっと二人で暮らしている。6月のある日、二人の共通の知人であるベンが訪ねてくることになった。 ベンとは二人とも、もうずいぶん会っていない。いそいそとベンを迎える支度をするヒラリー、オーウェンは靴箱に隠した手紙を取り出した。それはずっとずっと前、ヒラリー宛てに届いたベンの手紙だった。
にえ かつて、ベンという同じ人を愛してしまった姉弟、隠してしまったベンからの手紙、それでも二人は身を寄せ合って、生きているのよね。
すみ ベンはもう妻も子供もいる身なんだよね、それでも再会を楽しみに待つヒラリー。悲しいお話ではあるけれど、ラストで救われ、ホッとしたな。
<戦いの終わり>
ポールが精神を病んでいることを知りながら結婚したエレン。エレンはポールの快復を待っているが、いっこうに改善は見られず、ポールは一年前に職を失った。 エレンは大学の教員の職を得るため、論文を書こうとしている。エレンが大学の図書館で調べものをするため、二人はペンシルヴァニアの大学町を訪れた。一人で散歩をしていたポールは、初めてあった老婦人に誘われ、老婦人の家を訪ねた。
にえ 忍耐強くなり、なんとかポールと一緒に暮らしていこうとするエレンと、エレンが自分でも気づかずにやっているだろう仕草を敏感に気づき、自分がエレンの重荷になっていることを繰り返し痛感するポール、お互いが相手に持っている感情は、愛だけのはずなのにね。
すみ ポールが老婦人の家で得たものは救いなのかな。やるせないね。
<再会>
不動産会社に勤めるジェームズは、四週間の休暇を申し込んで受理されたが、本当はもう会社に戻るつもりはない。毎日、父に手紙を書き、映画を見て、日が暮れたら公園で、ゲイ男性の誘いを待つ。 その繰り返しだけで日々を過ごした。
にえ 繰り返しだけの生活で、自分の存在を自分で消していっているようなジェームズ。自分のみを自分で持て余しているような状態なのに、でも、そんなジェームズに出会ったことで、自分が救われたと感じた女性がいたのよね。
すみ きっとジェイムズに自分の本心を投影しただけで、ジェイムズだったからどうということではないんだろうけど、でも、結果としてはジェイムズがいたから救われたんだよね。
<予兆>
11才のサミュエルはラテン語教師のミスター・ジェヴィンズが亡くなることを、前の日から気づいていた。はっきりと予感したのだ。 しかし、両親に話しても信じてはもらえなかった。しかし16才の兄にその話をすると、父も以前に、従弟の死を予感したことがあったという。
にえ これだけがちょっと色調が違っていて、それだけに今後を期待させる作品でもあったよね。
すみ 身近な人の死を予感したって話はよく聞くけど、どうなんだろうね。自分の予感を100%信じられるのは、 サミュエルがまだ11才の少年だからなんだろうけど、もしかしたら少し先の未来では、そういう予兆も科学的に解明されるのかもしれない。
<父の務め>
電車の中で、ダニエルは担当の精神科医が、もう一人の担当医に宛てた手紙を読んだ。ダニエルはなぜ哲学を学ぼうと思ったかというインタビューを集めている。 その中には、同じように精神を病む父へのインタビューも含まれていた。
にえ これは大部分がインタビュー形式で綴られている作品。ユーモラスな回答もあったりするんだけど、ダニエルが自分を追いつめているような気がしちゃったせいかな、 これだけは読んでいて途中で息苦しくなってしまった。
すみ 父の本心を知ろうとする息子と、それを拒もうとする父っていう構図は、他の小説でもよく描かれてるけど、父と息子ってやっぱり難しいものなのかな。
<ヴォランティア>
ヴォランティアで精神病院に通う少年テッドは、エリザベスという入院患者と親しくなった。エリザベスは17世紀に出産で亡くなった、ヘスターという女性といつも一緒にいる。
にえ これは部屋に閉じこもった母親、初恋の彼女への思いに揺れるテッドと、死産を期に現われたヘスターとひたすら会話をするエリザベスの二人の視線で交互に語られていたから、ちょっと他より複雑だったかな。
すみ テッドの純粋さ、思い遣り深さに、かえって危うさを感じてしまったりもしたんだけど。そのせいか、エリザベスが守護天使のように思えてしまった。