すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「フェッセンデンの宇宙」 エドモンド・ハミルトン (アメリカ)  <河出書房新社 単行本> 【Amazon】
1904年オハイオ州生まれ。77才で死去したSF作家エドモンド・ハミルトンの9編の短編集。
フェッセンデンの宇宙/風の子供/向こうはどんなところだい?/帰ってきた男/凶運の彗星/追放者/翼を持つ男/太陽の炎/夢見る者の世界
にえ キャプテン・フューチャーのシリーズが有名で、私たちでも名前だけは知っていたエドモンド・ハミルトンの短編集が出たので読んでみました。
すみ ちょっと前に、今年はチェーホフ没後100周年ですって言ったばかりだけど、2004年の今年は、エドモンド・ハミルトンの生誕100周年でもあるんだってね。
にえ 1972年に早川書房から同じタイトル名「フェッセンデンの宇宙」で短編集が出てるけど、それとは収録作品が違って、全編が新訳なんだって。だから、まぎらわしいけど復刊本ではないの。
すみ どっちも日本オリジナル編集版なんだよね。なんでかっていうと、日本では最初っから、短編の名手として認知されていたけど、英米ではキャプテン・フューチャーなどの人気シリーズ物が逆に災いして、 通俗作家として片づけられ、短編の名手ってところはあんまり認知されてなかったからっていう事情からきたものらしいんだけど。
にえ それでも生誕100周年を迎え、ようやく英米でもエドモンド・ハミルトンの短編小説が読みたいって気運が高まってきているらしいね。
すみ それにしても、翻訳本ってホントに、最初に日本にその作家を紹介してくれた人の影響が大きいよね。エドモンド・ハミルトンの場合は、単なるスペース・オペラものの通俗作家だって認識じゃなく、この作家は短編がうまいんだ!ってきっちり認識してる方が最初のうちに紹介してくれたから、 その影響で早くからSFファンに、優れた短編作家だって知れ渡ったわけでしょ。
にえ 逆に最初の紹介のされ方が悪くて、世界中で認められてる優れた作家が、日本では軽く無視されちゃってる、なんてこともあるしね〜。
すみ 人間関係と同じで、翻訳本も初対面が大事ってことよね。初対面のイメージってのはなかなか壊せないっ。
にえ さてさて、この短編集なのだけど、ちょっと古めかしい雰囲気のSF短編ぞろいで、それぞれに工夫を凝らされた味のある作品ばかり。楽しめたね。
すみ 古いSFって、なんかいいよね。今の科学と照らし合わせると、ん?ってところはあったりもするんだけど、それはそれで赦せちゃうし、妙に安心して読めるというか。今読むからこその楽しさがあるかも。
にえ おや、こういうストーリーのSF小説だったら、前にもう読んだよって思うのが多いんだけど、エドモンド・ハミルトンは、のちにSFの定番となるアイデアの数々を考案したことで奇想SFの名手といわれているそうだから、 その「前にもう読んだよ」ってSF小説のほうが、ハミルトンのパクリである可能性が高いみたい。つまり、こっちがオリジナル。
すみ その読んだことあるってのと比べても、こっちも負けず劣らずおもしろいしね。あと、人の善意を信じるとか、どんなときにもまっとうな道徳心を見失わないとか、そういう作者の歪みのない真っ当さがすごく感じられて、その点でも安心して読めた。もっとひねって意地悪なほうが好きって方には物足りない可能性もあるけど。 古いSFの短編集をノンビリ読むのが好きな人にはぜひオススメしたい本です。
<フェッセンデンの宇宙>
アーノルド・フェッセンデンは史上最高の科学者でありながら、かなりの変わり者でもあった。しばらく大学に顔を出さないフェッセンデンを訪ねた私は、フェッセンデンが作りだした、恐るべき小宇宙を見せられた。
にえ 科学者が小さな、小さな、でも本物の寸分違わない宇宙を作り出す。どこかで読んだようなストーリーだな、と大多数の人が思うだろうけど、この作品がこれほど有名なところをみると、これがオリジナルなのかも。
すみ 読んだようなと思っていても、ハミルトンの描く極小宇宙に、けっこうウットリとしてしまったけどね。
<風の子供>
トルキスタンの最奥の高地は、風の高原と呼ばれていた。高原の手前にある、チュルク族のユルガンという小さな村にたどりついたブレントは同行者を求めたが、チュルク族の人々は、 風の高原は風の聖地であり、行けば風に殺されると断った。
にえ 風の高原で、風たちによって庇護され、育てられた少女に出会う男の話。幻想的な雰囲気が、とっても素敵だった。
すみ 風に育てられ、風とだけ会話をしていた少女がやがて年頃になったときに初めて出会う人間の男、いいよね。この短編集のなかでとくに好きな2編のうちの1つだな。
<向こうはどんなところだい?>
火星での長い任務を終え、地球に戻ったぼくは、ようやく病院から出ることができた。しかし、すぐに故郷には帰れない。火星で死んだ多くの仲間のうちの3人の親に、会いに行く約束をしていたのだ。 だれもがぼくに訊く、「向こうはどんなところだい?」と。生き地獄に送り込まれたようなものだったとは答えられないぼくは、相手の望む嘘をつくしかなかった。
にえ 火星での過酷な条件のなか、どんどん自分を見失い、死んでいった仲間たち。でも、地球の人々が訊きたいのは、そんな残酷な話ではなく、夢と希望に満ちあふれた経験談であり、 立派に死んでいった息子の最期なの。
すみ これが好きな2編のなかのもう1つ。作り話をしながらも、怖ろしい記憶から逃れられない主人公の悲痛な心の叫びが聞こえてくるようだった。
<帰ってきた男>
ジョン・ウッドフォードは目ざめると、自分が柩のなかにおさめられていることを知った。私はまだ死んでいない! 納骨堂から抜け出し、家に戻ったジョンが見たものは・・・。
にえ これも今ではありがちな話だと思うけど、たぶん読んだことがあるぞって思った人の記憶にある話より、ずっとやさしく、思い遣りにあふれているのではないかな。
すみ 現代的な、ひねった意地悪な短編ばかり読んでると、この作品の善に、逆に意外性を感じてドキッとさせられるかもね(笑)
<凶運の彗星>
リュックサックひとつの徒歩旅行で休暇を過ごすマーリンは、地球に近づきつつある緑色の彗星が気になっていた。新聞によると、科学者たちは心配には及ばない、 やがて彗星は地球にぶつかることなく通り過ぎると言っているらしいのだが。
にえ 彗星の裏には、じつは地球にある悪い狙いを持っている宇宙人の存在が・・・。というと、いかにもって感じのチャチなSFを想像されてしまうかもしれないけど、 実は発想もおもしろく、深みのあるお話なのでした。
すみ これはヒューマニズムというか、窮地のなかでの人間の勇気や正義、人類愛みたいなものを信じきって書いたような作品。これまた、この清々しさが逆に新鮮だったな。
<追放者>
ぼくを含めたSF作家4人は、あの夜、SFの話をはじめた。それがきっかけとなり、ある架空の惑星にまつわる素晴らしい物語をいくつも著わしているキャリックは、ぼくたちに驚くべき話をした。
にえ これは読みはじめてすぐ、あれ?と思ったら、書き出しが「フェッセンデンの宇宙」とそっくりだった(笑) あんまりそういうところにこだわらない作家さんなのね。それから気にしてみれば、 美しい翻訳文でずいぶんと救われてるけど、文章のほうはそれほど巧みではないというか、褒めるほど上手な作家ではないかもしれない。
すみ これはごく短い短編だけど、最後でドキッ、そしてニンマリとする、ひねりの利かせ方がとっても良かったよね。
<翼を持つ男>
産婦人科病棟で、ハリマン医師は生まれたばかりの赤ん坊デイヴィッド・ランドのことを心配していた。デイヴィッドの両親は、一年前に地下鉄の電気爆発事故に遭い、その後、父親は亡くなり、母親もデイヴィッドを産んで亡くなってしまった。 そしてデイヴィッドの背中には、二つのコブがあった。
にえ これは電気爆発事故の影響で、両親の遺伝子に変化が起こり、そのために鳥のように空を飛べる身体で生まれた男の子のお話。
すみ 「風の子供」とちょっと似てるかな。世間的には異常とされた世界から、正常とされる世界に連れてこられ、でも、本人にしてみれば、異常な世界のほうがむしろ正常で、離れがたい、いや、なぜ離れなきゃいけないのっていう。 こういう話は、なぜだか読んでいると、わかる〜って気持ちになるのよね。
<太陽の炎>
水星での重要な任務を放棄して、ヒュー・ケラードは長く離れていた自宅へと戻った。しかし、それで赦されるはずもなく、探査局の上司ハーフリッチがすぐに訪ねてきた。 ハーフリッチは、水星で何が起こったのかを知りたがったが、ケラードにはなにも話すつもりがなかった。
にえ ヒュー・ケラードは、水星の昼側でなにを見たのか。それは、語れば一笑に付され、経験すれば宇宙開発への情熱すらも見失う出来事だったの。
すみ 甘く、切なく、でも背筋がゾゾゾって経験よね。こういう経験って、へたな恐怖体験よりすうだん精神的にまいるだろうなと納得。それでも、最後には明るい未来を信じる人類の姿が。それにまたしても驚く私は、どれだけ毒されてるんだ?(笑)
<夢見る者の世界>
赤い色をした太陽が沈み、薔薇色の月が二つ空に浮かぶ夜、ジョタン王国の王子カール・カンは、砂漠民の天幕を見つけた。砂漠民の族長、老ブラドミールの娘はその美貌から、「黄金の翼」と呼ばれているらしい。 カール・カンはどうしてもその顔を見てみたくなった。一方、保険会社に勤める平凡な男ヘンリー・スティーブンズは、夜毎に見る不思議な夢に悩まされていた。
にえ これも今読めば、ありがちなパラレルワールドのお話かと思うかもしれないけど、ドキドキ、ワクワクする素敵な物語になっていたな。
すみ 二つの世界で、まったく異なった生き方をする一人の男、というか、二人の男がコインの裏表になってしまっているというか、そういう話よね。 カール・カンの側の話が、戦記物のファンタジーに仕上がっていて、これが美しくて良かった〜。