すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「ションヤンの酒家(みせ)」 池莉(チ・リ) (中国)  <小学館 文庫本> 【Amazon】
映画「山の郵便配達」の監督、霍建起(フォ・ジェンチィ)が現代中国女性の生き方をさわやかに描いた最新作「ションヤンの酒家」の原作「ションヤンの酒家(原題:生活秀)」他2編を含む作品集。 映画の公式サイト
にえ 日本での上映館数はちょっと少な目だけど、来週あたりから夏にかけて見られる映画「ションヤンの酒家」の原作ということで読んでみました。
すみ 映画がなかったら、この池莉さんの小説の邦訳を気軽に読むことができなかったのかと思うと、本当に映画化されてラッキーだと思ったね。良かった〜。
にえ 3作ともおもしろかったよね。文章うんぬんより、ストーリーで読ませていく作家さん。「ションヤンの酒家」以外にも、映画化、ドラマ化された作品が多いっていうのも、うなずける。
すみ でも、第一回魯迅文学賞を受賞しているそうだし、軽い扱いは決してできない作家さんだよね。それにしても、おもしろかったけど。この人の中短編集だったら、何巻あってもスルスルと読み続けられそうだな。
にえ あとさあ、ストーリーで読ませるっていっても、奇抜な話じゃないんだよね。どこかにいそうな人たちの、でも、ちょっとだけ変わった出来事が描かれていて、 読んでると自分が、街角ウォッチャーじゃないけど、第三者的にすべてを見てしまった、ちょっとした目撃者にでもなったような感じがして、へえ、と思いながらも考えさせられてしまったりもして。
すみ どうしても現代中国文学というと、莫言さんとか、亡命したけど高行健さんとか、スケールの大きな作家を連想してしまうけど、こういうこぢんまりと、でも味わい深いところのある作家さんの本も、もっともっと読みたいなと思ったな。 大衆小説の味わいとでもいうのかしら。持ち歩きやすい文庫本で読むのが、妙にシックリくるの。オススメです。
<ションヤンの酒家>
日が落ちて日が昇るまで、夜のあいだにだけ賑わう吉慶街で、最初に「鴨頸(ヤージン:アヒルの首を材料とするスナック)」売りをはじめて、吉慶街を屋台の集まる場所に発展させた来双揚(ライ・ションヤン)は、 今では料理屋「久久」も経営する、吉慶街の顔だった。
にえ これが映画「ションヤンの酒家」の原作。原題は「生活秀」と書いて、「ライフショー」と読ませるのだそうな。
すみ 来双揚という、屋台街では尊敬も集め、愛されもしている一人の女性が主人公なんだよね。
にえ 来双揚は頭がよくて、そうとうなやり手のうえに、色香の漂う、なかなかのいい女なの。映画の女優さんは写真で見るかぎりでは、ちょっと原作とイメージが違う気がしてしまったけど。
すみ もともとは、母親が亡くなり、父親が再婚して出て行ってしまって、兄と妹、弟の3人を食べさせるため、鴨頸売りをはじめたのがきっかけで、ここまで来たって女性なのよね。
にえ だけど今はというと、頭のあんまりよくない兄は、狡賢い妻にそそのかされて、来双揚の財産横取りしようとしているし、妹は報道の仕事をしていて、自分では成功者だと思いこんで、来双揚の生き方を批判してばかりいるし、 弟は麻薬中毒で立ち直れず、と恩知らずぞろいなんだよね。
すみ それでも来双揚は、身内を見捨てたりはしないんだけどね。つねに損得よりも愛情のほうが勝っているから。
にえ とはいえ、自分を犠牲にして愛に生きる、なんて女性ではないよね。かなり、したたか。頭の回転もよければ、度胸もあるから、策を凝らし、驚くほどの行動力で、自分の思い通りにことを進めていくの。
すみ 生きるだけで精一杯かと思えば、来双揚に惚れて、二年も来双揚に通いつめてる大会社の重役、なんて人もいたりするしね。
にえ とにかく情景を思い浮かべるだけで、うっとりしてしまうね。吉慶街は地域住民からは嫌われ、屋台は何度も撤去されてるけど、そのたびにまた息を吹き返し、繁盛していく夜の街。そんな街で、 みんなに一目置かれ、自分はゆったりと座って、美しい指でお金を触ったりは絶対せず、優雅に鴨頸を売る、熟れ時の女性。
すみ でも、その地位を保つために、みんなが見えないところでは、激しく行動を起こしているのよね。鮮やかな来双揚の艶姿に、ニンマリするお話だった。
<愛なんて>
大病院勤務の若手外科医、荘建非(チョアン・チェンフェイ)は、インテリ一家の出だったが、漢口の花桜街に住む吉玲(チーリン)と知り合い、結婚した。両親と妹は吉玲を馬鹿にして、若い夫婦は親の援助なくして生活を立てることとなったが、 それでもなんとか暮らしていた。ところがある日、吉玲が実家に帰ってしまった。あわてふためく荘建非だが、吉玲は自分の実家に荘建非の親があいさつに来ないかぎりは、絶対に戻らないと言う。
にえ これはちょっとコミカルで切ない、新婚家庭で起きたゴタゴタを描いたもの。インテリ家庭で育った夫と、いかがわしい花街で育った妻のお話。
すみ 吉玲はけっこう、したたかだよね。前の「ションヤンの酒家」の来双揚とはまたちょっと違って、いかにも女って感じのしたたかさだけど。
にえ 四人姉妹の末っ子で、自分だけはもっと上のクラスにあがるんだって、子供の頃から努力してたのよね。学校の成績はあまり良くなかったみたいだけど、 社会に出てからは、少しずつ着実にましな仕事に就いていって、とうとう荘建非みたいな人をゲットしたという。
すみ だからって計算ずくだけの、イヤな女ってわけでもないのよね。結婚してからは荘建非が快適に過ごせるようにと、かいがいしく働いていたみたいだし。
にえ 吉玲の家族がおもしろかったかな。ふだんは下品そのものかもしれないけど、そこはさすが花街の人々。ここぞって時には、別人のように振る舞うこともできるの。
すみ 奥さんが出ていって、大事なアメリカ留学の話まで遠のいていっちゃいそうな荘建非、過去の恋人にまで相談に走り、必死で吉玲を連れ戻そうとするけど、どうなるのでしょう。
<このひと夜、バラのごとく>
蘇素懐(スースーホワイ)はまだ若さも残る女性だが、自分の外見よりも中身を大切に思っていた。それもそのはず、蘇素懐はノーベル化学賞の表彰台も近いと目され、大学では尊敬を一身に集めていたのだ。 ある夜、蘇素懐は珍しくいつもの取り巻き連中に解放され、たった一人で歩いていた。大学前の大通りで、蘇素懐の横にタクシーが止まった。運転手は意外にも容貌に品のある男で、 「お嬢さん、どうぞお乗りください」と声をかけてきた。
にえ これは短いけど、前の2編とはまた雰囲気が違ってシリアスで、グッとくるお話だったね。
すみ みんなの尊敬を集め、地位を築くためには、女であることを忘れたように振る舞うしかなく、自分でもすっかり忘れたような気になっているときになって、 ふと出会う、女であることを意識させられるひととき、よね。
にえ それを軽く受けとめられる人ならいいのだけど、さばくに水一滴じゃあ、かえって喉の渇きを意識してしまうってところかしら。
すみ せつなく、残酷だけど、夜だけにひっそりと咲く花のように、美しいお話でもあった。タイトルからして惹かれたけど、タイトルに負けない、素晴らしい余韻のある短編だった。