すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「僕とおばあさんとイリコとイラリオン」 ノダル・ドゥンバゼ (グルジア)  <未知谷 単行本> 【Amazon】
僕はごく普通の田舎の12歳の男の子だ。僕はおばあさんと一緒に暮らしている。僕の村はグリアのなかで、一番楽しくて美しい村だ。僕には二人のおじさんがいる。イラリオンとイリコ、二人とも僕のことをとても愛していくれている。 いつも犬のムラダがついてくるから、村では僕は「犬公つき」と呼ばれている。
にえ これは、グルジアを代表するユーモア作家ノダル・ドゥンバゼの、もっとも有名な代表作だそうです。
すみ 短い章でそれぞれ単発のエピソードが語られ、それが積み重ねられていくって形式なのよね。だから、長編小説と言うより、連作短編集みたいな感じ。
にえ 大きく二つに分かれているよね。村で暮らす、12歳の頃の僕、ズラブの話と、17歳で村を離れたあとの、もうちょっと都会の町ヴァラジスヘヴィでの大学時代の話。
すみ おもな登場人物は題名の通り、ズラブ、おばあちゃん、イリコ、イラリオンの4人。あとはズラブの初恋の少女メリ、大学時代の下宿の女主人マルタおばさん、大学時代の美人の同級生ツィラってところかな。
にえ ズラブとおばあちゃんが、孫と祖母って関係なのはわかるけど、イリコとイラリオンがわからなかったよね。あんまりそういう説明はないの。最初はズラブの父親の弟二人なのかなと思ったんだけど、そういうわけでもないみたい。
すみ おばあちゃんと、イリコとイラリオンは親子ではないみたいだよね。それでもって、イリコとイラリオンも兄弟じゃないみたい。とにかく4人は血の繋がった親戚どうしってことはたしかみたいだけど。
にえ ズラブは学校の成績は悪いけど口だけは達者ってタイプの子どもだよね。
すみ そうそう、なにか言われても、かならず小賢しく言い返すの(笑)
にえ おばあちゃんは口うるさくて怖い、イリコとイラリオンはなにかと悪ふざけをして、時にはやり過ぎちゃう人たち。
すみ 3人に共通するのは、ズラブのことをとっても愛しているってことだよね。それでもって、イリコとイラリオンは喧嘩ばっかりしてるけど仲がいいって感じで、 二人はおばあちゃんのことはちょっと怖いと思ってるの。
にえ だいたいの話は、イリコかイラリオンが相手のものを盗んだり、悪ふざけをしかけたりして、そこにズラブも一枚噛んでるって話だよね。
すみ 煙草に胡椒を仕込んであったり、木に糞尿を塗ってあったり、丸太に小さな爆薬が仕込んであったり、ドヒャって感じの悪戯の数々に、けっこう笑ってしまったなあ。
にえ 時々は、ズラブとミリ、ズラブとツィラのちょっと切なくなる恋のお話もあったりするけどね。
すみ あと、田舎らしく動物の話も多かったでしょ。山羊とか牛とか犬とか猫とか、なんだかこの小説に出てくると、みんなノホホンとしているんだけど。
にえ 大学時代の下宿先の女主人マルタおばさんも、ズラブのことが大好きで、大切にしてくれるんだよね。
すみ 場所はグルジアの西南部、黒海に面したグリア地方。このあたりの人は、陽気でおおらかな人たちみたい。 時代はソビエト時代で、集会のシーンなんか出てくるんだけど、みんなで大笑いするようなことばっかり言い合ってるの。
にえ 最初のうち、翻訳文があまりにもぎこちなくて読みづらいから、やめちゃおうかなと思わないでもなかったんだけど、そのうちに登場人物たちに親しみもわき、プッと吹きだしてしまうところも多かったりして、 読むのが楽しくなってきたかな。ちょっとぐらい日本語が変でも、気にならなくなった。
すみ さてさて、内容の紹介から先にしてしまいましたが、実はこの小説、著者の半ば自伝的な小説なのだそうです。
にえ 半ば自伝的っていうのがポイントだよね。
すみ そうなの、この小説の中では主人公はみんなに愛され、ノホホンと楽しく暮らしていたけど、実際のノダル・ドゥンバゼは、ソビエト時代の9歳の時、両親が反社会的活動を行っていると無実の罪で逮捕され、この小説のとおり、 おばあさんと暮らすことに。でも、父親の兄弟も逮捕され、明るかったはずの祖母は人が変わったようになり、たった一人の男だったノダルは、かなり過酷な労働を強いられることになったんだって。
にえ 18歳のときに、母親は釈放されるけど、父親は逮捕後まもなく銃殺されてたことがわかるのよね。
すみ そういう辛い半生を、明るく、楽しく、愛情タップリの大らかな暮らしに書き換えたのが、この小説。だからこそ、グルジアで、ロシアで、いまだに愛され続けているのかもしれない。
にえ だからって小説が、嘘じゃないんだよね。本来ならば、こんなふうに愛情たっぷりのなか、大らかに笑いながら暮らしていた人たち。ある意味では、現実のほうが嘘だったのかもしれない。
すみ 同じ旧ソビエト連邦にいた作家、セルゲイ・ドナートヴィチ・ドヴラートフもそうだったよね。暗いソビエト時代を語るときに笑いを求める人たちの、涸れていない心の豊かさに感動してしまう。興味がある方はどうぞ。