すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「ドラウパディー」 モハッシェタ・デビ (インド)  <現代企画室 単行本> 【Amazon】
インドで最も重要な現代作家のひとり、モハッシェタ・デビ(女性 1926年〜)の7編の短編集。
ドラウパディー/乳房を与えしもの/チョーリの後ろに/漁師/10+10/ラーヴァナ/モホンプルのおとぎ話
にえ 私たちにとっては初めてですが、邦訳されるのは2冊目というインドの女性作家モハッシェタ・デビの短編集です。
すみ 両親ともに作家ということで、モハッシェタ自身は上のほうの階級に属するんだと思うけど、書いているのはすべて下層階級の人たちの話だったよね。
にえ そういう社会問題について意識の高い作家さんなんだね。それにしてもいつも思うのは、インドって本当に大変。
すみ カースト制度って要するにピラミッド型で、上から下まで生まれながらに階級が定められちゃってるんだけど、それがまた単純じゃなくて、私たちでは理解しきれないぐらい複雑だよね。
にえ そんななかでまたさらに女性の地位の社会的低さってものがあるでしょう。モハッシェタのような問題意識を持つ人が増えていくしかないんだろうなあ。
すみ ただ、この本に書かれている人たちは、可愛そうってだけの人たちじゃないんだよね、そんななかでもがき苦しみながら、はっきり叫び声をあげている人たちが多かった。
にえ だからといって、認められ、救われるってものでもなかったけどね。もうどうしようもならないような現実に押しつぶされ、それでも必死で叫んでいたり、なんとか生きていこうとしていたり。
すみ これでもう少し読みやすかったら、オススメなんだけどね。
にえ そうなんだよね〜。オススメしたいけど読みづらかった。
すみ 知らない地名、慣れない名前などなどカタカナでどんどん出てくるから、それについていくだけでも大変なのに、会話部分がね〜。
にえ そう、まいったよね。私たちにはどこの方言かわからないんだけど、会話部分に日本のどこかの地方の方言を使っていて、それがなに言ってるのかわからないほどではないんだけど、 いちいち、ん?って考えながら読まなきゃいけないから、そっちに気を取られて全体の流れがとらえづらくなっちゃったというか。
すみ たぶん、地方の、下層に属する人たちがしゃべっているんだから、原書の文章も会話部分はそういう感じになってるんだろうし、それを伝えるための表現なんだろうけどね、でもやっぱり辛かったかな。
にえ たとえば「ノシュコルは聞くに、わしゃあの言うことならな」って書いてあるの。そうすると、ノシュコルっていうのは人なのね、で、一見、え、なんだろうと思って、 考えれば「ノシュコルは聞くさ、私の言うことならね」って意味なんだろうとわかるけど、一文ずつがこの調子だと、けっこうキツイものがあった。
すみ とくに会話だけで話が進んでいくものになるね。ただ、それでもがんばって読むだけの価値はある内容だったとは思う。乗り越えた先には衝撃があった。
<ドラウパディー>
ドラウパディー・メジェンは亡き夫とともに、有名なサンタル族の反乱の主犯格とされ、指名手配されていた。彼らはもともと刈入れ労働者として三県のあいだを巡回して働いていた。 ドラウパディーは名前を隠し、ある村に潜んでいたが、追手から逃げ延びることはできなかった。
にえ 大人数対一人、男たち対女、捕らえた者対捕らえられた者、なにをとってもドラウパディーのほうが弱者なのだけど、死も拷問も恐れないドラウパディーと、自分ではなんの手も下さず、 きれい事で済ませようとする男のどちらが人として強いのか。
すみ 全身鳥肌が立つようなラストだったよね。とにかく壮絶としか言いようがない。
<乳房を与えしもの>
死んだ子も含めて二十人もの子供を産んだジョショダは、脚が不自由になった夫を支え、家族を養うため、お屋敷の乳母となった。
にえ これは力強く生きた、でも、あまりにも悲しい女の半生。いい時期も、悪い時期もあるのだけど。
すみ 豊かな乳房からは、豊かな乳が出て、一時期は女神とさえ讃えられるようになるんだけどね。これほど愛情深く、豊かに生きても、しょせん女、しょせん乳母でしかないってところに憤りを感じたな。
<チョーリの後ろに>
有名なカメラマンのウピンは、登山家の妻がいたが、その胸は本物の胸ではなかった。ジャロワでガンゴォルという赤ん坊に乳をやる女性の写真を撮ったウピンは、その豊かな胸に惹かれずにはいられなかった。
にえ ウピンは反政府的な写真も発表し、おそらくは国家権力にも逆らえる男だぞという自負があったのだと思うし、だから虐げられ、蔑まれる女ガンゴォルも自分なら救えると思ったんだろうけど。
すみ ガンゴォルという女性が、豊かな乳房を持つ女性というだけのイメージから、ひとつの人格を持った女性になるのはラスト。このラストは、まさに戦慄のラストだった。
<漁師>
もともとは網で魚を捕ることを生業にしていたジョゴットの今の仕事は、警察から依頼され、池から死体を引き上げることだった。ジョゴットの息子オボエは工業専門学校出だというのに、働いていない。自らのカーストを偽るために名前まで変え、 どうやらカーストの高い友人までいるらしい。
にえ 安い駄賃で文句も言わず、黙々と死体を引き上げるジョゴットを、警察の人たちは虫けら程度にしか思ってないのかもしれないけど、 人であるかぎりは怒りもあるし、智慧もある。それが強さかな。
すみ 重く納得するようなラストだったよね。踏みつぶそうとしても、踏みつぶされてるなりの戦い方がある。でも、歪んだ構造であることには変わりないという。
<10+10>
シャゴルはコルの旦那に逆らえないから、命じられるまま強盗を働いた。今は十年ずつ、二つの刑に服しているため、二十年は家に帰れない。シャゴルの父はなんとかシャゴルを救い出せないだろうかと弁護士を頼った。
にえ 強盗を命じたものは罪には問われず、命じられるままに動いていた者は、裁判でも言われたとおりに、はい、はいと返事をして投獄されてしまう。やりきれなさの塊のような話だった。
すみ 話のなかで、いろんな民族が入り組んで暮らすインドの、その入り組んだなかでの人間関係の奇妙さのようなものも、かいま見えたね。
<ラーヴァナ>
強盗の罪で投獄されていたケトンが保釈されたので、ショッテシュの旦那はひとまず家のベランダで寝させることにした。ケトンは強盗を働くような男ではないし、久しぶりにあってもなにも変らず礼儀正しい。
にえ これはまた、輪をかけてやりきれない話だった。妻も子供も、なにもかもを失ったケトンにどんな罪があったというのか。
すみ こういうおとなしく、礼儀正しい人の、くすぶるような内の怒りって本当に凄まじいものがあるよね。
<モホンプルのおとぎ話>
視界がぼやけて見づらくなったアンディばあさんを家族は病院に連れて行った。しかし設備もなく、眼科医もいない病院では、いいかげんな診察と、いいかげんな薬しか出せなかった。
にえ 目の悪い老婆を眼科医に診せるというだけで、どれほど苦労をするかという話。
すみ 病院を見ては入院してみたいと言いだし、だめだと言われているのに、変な治療を受けるアンディばあさんが、どこか滑稽でもあるんだけど、痛々しかったね。