すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「アデスタを吹く冷たい風」 トマス・フラナガン (アメリカ)  <早川書房 ポケミス> 【Amazon】
トマス・フラナガン(1923年〜) EQMM(エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン)のみで作品を発表する短編ミステリ小説の名手。 1948年に「玉を懐いて罪あり」で同誌の年次コンテスト最優秀新人賞、1952年に年次コンテスト第一席を獲得。
<収録作> アデスタを吹く冷たい風/獅子のたてがみ/良心の問題/国のしきたり/もし君が陪審員なら/うまくいつたようだわね/玉を懐いて罪あり
にえ この翻訳本は1961年に初版、で、1998年にハヤカワ・ポケット・ミステリの45周年で読者の復刊希望投票第1位となって復刊され、 今年の2003年にまたまた50周年記念の復刊希望投票の第1位となって復刊されました。今回は冊数が少ないのか、宣伝のほうは地味めだったみたいだけど。
すみ EQMMで短編小説をポツポツと発表するだけでの寡作な作家さんみたいね。
にえ この本の収録作は、前の4編がテナント少佐シリーズで、このシリーズはこの4作のみなんだとか。残り3作は単発もの。
すみ 翻訳されたのがかなり前だから、翻訳文のほうはどうかなと思ったけど、小さい「っ」が大きい「つ」になっている以外、さほど気にならなかったよね。 古めかしさはあっても読みづらくはなかった。
にえ さてさて、まずはテナント少佐シリーズなんだけど、これは本来、私たちがもっとも苦手にするパターンなんだよね。
すみ 舞台は第二次世界大戦後の架空の国。王制国家のあとの革命で共和国となり、一人の将軍(ジェネラル)が権力を握る軍事国家。テナントは若い頃からばりばりの軍人で、大佐から少佐に降格してるの。 これについては詳しくは語られてないんだけど。
にえ 青白い顔をした痩躯の長身で、片足が義足、軍服の着方はだらしがなく、顔に剃刀をあてた様子もない。出世の望みもなく、味方もいない一匹狼的存在だけど、とにかく頭が切れるし、なんともいえぬ威圧感があるし、でかなり知られた存在みたい。
すみ とにかく劇画タッチというか、古いタイプの男だよね。身動きのとれない軍事国家のなかにあっても、自分の信じる正義のためには人を殺すことも厭わないところがあって。
にえ となると、すべてが私たちには苦手なパターン。しかも、ミステリを純粋に愛する人たちが好きとなると、同じミステリでも側面を好きになってるようなところのある私たちとしては、ダメなことも多いし。
すみ ところが、ところが、だよね。なんでしょう、二人してすっかり気に入ってしまいました。
にえ そうなのよね。4作とも、ザラザラとした感触から始まって、ううっと思うんだけど、いつのまにやらテナント少佐のウエット感ゼロの優しさにホロッとズキッと来て、心奪われてしまった。
すみ よけいなことがあまり書かれてないのもいいよね。この舞台となっている国についても、テナント少佐についても、ちょっとずつしかわからないんだけど、なんかわからないだけではっきり形があるのが感じとれるし。
にえ テナント少佐のやっていることが必ずしも正しいとは思わないし、本人もそれを気にしていないと思うんだけど、こういう国家の中にあって、 なおかつ自分の信念を貫こうと思ったらこういう生き方しか選べなかったのかなって理解できなくもないし、ううん、なんだろう、なんか底知れぬ魅力のある人だったよね。
すみ 4作しかないってのが悲しすぎるね。1作めより2作め、2作めより3作めと、だんだんテナント少佐にハマっていくのに、4作めでお別れとは。もっと読みたいっ。
にえ ということで、思いがけずも私たちは気に入ってしまったのでした。ダークな男の世界なので、お好みでどうぞ。
<アデスタを吹く冷たい風>
通るもののほとんどなかった峠の国境監視所を、毎夜通り抜けるトラックがあった。持ち主はゴマールという男で、アデスタの町に葡萄酒を運んでいるという。 武器密輸の疑いを持ったテナント少佐は、厳しくゴマールのトラックを調べたが、葡萄酒樽のほかは何も見つからなかった。
すみ ラストについてはそれほど感銘を受けなかったんだけど、自由な世界から息苦しい軍事国家に入ってくるトラック、冷たい風の吹きすさぶ山間の道、 息を潜めて、ことを待つ軍人たち、とダークな雰囲気がゾクゾクッと来たな。
にえ ミステリ好きな人なら、室内ではないけれど、見通しの良い一本道でのトリックということで、密室もの的な楽しみ方ができるかも。
<獅子のたてがみ>
墓地で棺が埋められた。葬儀に出席したコートン博士はアメリカ領事から、殺人者であるテナント少佐について問われた。テナント少佐はコートン博士の友人だった。 テナント少佐はモレル大佐からアメリカ人医師ロジャーズ博士のスパイ容疑を聞かされ、抹殺するよう命じられていたのだ。
すみ のっけから、テナント少佐が罪もないアメリカ人を殺したって話で驚いてしまった。
にえ そこには軍事国家なりの複雑な事情があり、そして・・・なのよね。
すみ なんとなくでこのあたりから、テナント少佐の考え方みたいなものがわかってきたかな。
<良心の問題>
かつてドイツ軍の収容所にいたために腕に番号の入れ墨がある男が殺された。その男の主治医だったアメリカ人医師はテナント少佐に呼び出され、 殺したのがナチスドイツでも悪名高く、今なお平然と生き延びている国際手配の男、フォン・ヘルツィッヒ大佐であることを知らされた。しかも、テナント少佐は フォン・ヘルツィッヒを国外に逃がすつもりだという。
にえ これはもう、鳥肌ものに素晴らしかった。成人雑誌の漫画的なハードボイルドさなんだけど、ズキズキッときたな。
すみ ラストも見事よね。4作中1番の傑作かな。
<国のしきたり>
D県は小さな県ではあったが、共和国にとっては国境を越える線路が走る重要な地であった。この地を治めるバドラン大尉は、一兵士から勤めあげ、ようやくここまで出世した叩き上げで、 勤勉さと鋭い勘を武器に、次々と密輸人をみつけて、共和国に多大な貢献をしていた。将軍からのおぼえもめでたく、だれよりもこの仕事については優秀であることを自負していたバドラン大尉だったが、 チョーマン旅団長とテナント少佐という二人の上級士官が現れ、密輸が行われていることを告げられた。
にえ これはトリックよりも、バトランの目を通した軍事国家ならではの上下関係の悲哀みたいなものに胸を打たれたな。
すみ 最初からエリートコースを歩んできた二人の上官。一人は今もエリート、一人はエリートコースを外れた身、それでも叩き上げのバトランからすれば、 雲の上みたいな存在なのよね。
にえ う〜っ、どんどんおもしろくなってきたのに、テナント少佐ものはこれでおしまいっ。
<もし君が陪審員なら>
弁護士オリヴァ・アメリイは、裁判を終えると友人のランドルと食事をした。今日の被告人はカルヴィン・ラッドという男で、妻を殺した疑いをかけられていたが、 無罪となった。弁護人のオリヴァでさえも、カルヴィンが殺人を犯したことを確信していたが、目撃者以外に証拠がまったくなかったのだ。
すみ これは残酷だけど、ニヤリって話。二人の会話からカルヴィンという男についてだんだんとわかっていくうちに、 この男がどれほど怖ろしい男かわかっていきます。ゾクリっ。
<うまくいつたようだわね>
ヘレン・グレンデルは夫を殺すと、すぐに顧問弁護士ティモシイに連絡した。ティモシイは単なる弁護士ではなく、夫の親友でもあった。 ヘレンは女の魅力をかいま見せつつ、殺人を隠匿したいとティモシイに相談した。
にえ これは、衝動的に夫を殺しておきながら、のらりくらりとお遊びのように話しつづけるヘレンと、いつのまにか話に乗って、ヘレンよりも夢中になっているティモシイの軽妙な会話が魅力。
すみ オチもばっちり決まってて、ニンマリだったよね。どうしてミステリとなると、こうも夫殺しはおもしろい話になってしまうのか(笑)
<玉を懐いて罪あり>
ボルジア家からフランス王へ贈られるはずの秘宝の緑玉が、モンターニョ伯の城内で盗まれてしまった。大公からの使臣はことの真相を解明すべく迫るが、 モンターニョ伯が尋問をするべき犯人だと連れてきた男は文盲の聾唖者だった。
にえ これはいきなり舞台が15世紀のイタリアになってて、しかも歴史上の有名人の名前がどんどん挙がっていくから驚いたけど、ほんとうに驚くのは、 最後の一行。
すみ しょせんはインテリで、実務には向かないとモンターニョ伯に軽視される使臣が謎を解くのよね。さすが、さすが、お見事でした。ちなみに、最初のページにある小さい文字の訳註はネタバレものの大失敗。 くれぐれも、ストーリーを読み終わるまでは、この訳註は読まないようにいたしましょう。