すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「ウッツ男爵 ある蒐集家の物語」 ブルース・チャトウィン (イギリス)  <文藝春秋 単行本> 【Amazon】
1967年、<プラハの春>の一年前、私はプラハの町に一週間ほど滞在することになった。プラハに知己のない私は、だれか紹介してほしいと、 ある歴史家に依頼した。ならばウッツが良いでしょう、と彼は即答した。ウッツは男爵ではあるようだが、あまり名家の出ではない。ただ、財産家では あるようで、驚くべき数と質のマイセンの磁器の人形を蒐集していた。
にえ 1989年、48歳で急死してしまったブルース・チャトウィンの小説です。私たちにとっては初チャトウィン、 残念ながら現在、絶版本です。
すみ おもしろい小説だったよね。伏線がいっぱい張られてて、謎がたくさんあるんだけど、答えはないの。
にえ ヒントはいっぱいあるから、自分でいろいろ考えられるよね。謎は冒頭で、今はもう亡くなっていることが わかっている、ウッツの生前の行動に関する謎なんだけど。
すみ 置かれた状況が状況だしね。<プラハの春>前後のチェコスロバキア。なにがあってもおかしくない。
にえ でも、ミステリ小説ってわけではないよね。美しく、印象深い小説なの。
すみ 当時の混沌としたプラハの町の細やかな描写も印象深いしね。それになんといっても、少しふつうとは違う男女の愛のあり方。
にえ 小説の冒頭はね、1974年で、ウッツの葬式が行われてるの。それから時を1967年に巻き戻して、回想が始まるんだけど。
すみ 1967年、つまり<プラハの春>の前年、一人のイギリス人が一週間の予定で、プラハの町に訪れる。それが私、つまり語り手なの。
にえ 紹介されて初めて会うウッツは、印象に残らない容姿をした、ちょっとよそよそしい紳士。それが話をするうちに、親しくなって家に招かれるのよね。
すみ ウッツが住んでいるのは、ワンフロアごとに住人のいる五階建ての集合住宅。四階には、昔有名だったオペラ歌手が住んでいるのよね。で、最上階がウッツの住処。
にえ ウッツはマルタという女性と暮らしているの。この人は、ウッツに人生のすべてを捧げたようなお手伝いの女性。 いろんな意味を含めて醜女と呼ばれるにふさわしいような女性かな。でも、ウッツへの敬愛は純粋そのもの。
すみ 部屋のなかには驚くべき数の、そして驚くべき品ぞろいのマイセンの人形のコレクション。これが詳しく描写されてるんだけど、美しくも楽しい人形たちなのよ。
にえ それから、ウッツが蒐集家となったきっかけの子供の頃の思い出や、ここまでのコレクションとなるにいたる半生が語られているんだけど、 これが聞いたときはそのまま聞き流しちゃいそうになるの。でも、あとから考え直してみると、疑わしいというか、なにか裏があるなと感じさせるものが多いのよね。
すみ どうしても気になる、そして最大の謎は、ウッツの膨大なコレクションがどこに消えてしまったか。
にえ それを説く鍵はさまざまな形で散りばめられているのよね。だいたいからして、チェコスロバキアの暗黒の時代、他の知識人や資産家と同様、 迫害を受けていたはずのウッツは、どうしてコレクションを増やし、奪われずに済んだのか。
すみ もっと言えば、どうしてチェコスロバキアから出なかったのかってところに行き着くよね。いちおうの説明はされてたけど、 後から考えると疑問が残る。
にえ ちなみにチェコスロバキアは現在、チェコ共和国とスロバキア共和国に分かれているけど、当時はひとつの国で、共産主義国家。 とくに1968年の<プラハの春>でソビエト連邦など東邦5ヶ国の軍事介入があってからは知識人への弾圧がひどく、多くの著名人が国を捨て、自由を求めて他国に脱出しているの。
すみ そんななかで、ウッツは海外に出る許可さえ受けながらも、プラハに居続けたのよね。ただ一人、マルタに支えられて。
にえ なんて言っていると、暗黒色の複雑怪奇な迷路小説をイメージされちゃうかもしれないけど、小説はじたいは意外にも、さらりとシンプルで、 柔らかく、透明感があるの。
すみ 読み終わってから、いろいろと仮説を立てて推理していくのも楽しいよね。終わり方がまた憎ったらしいのよ(笑)
にえ 私はあるていどの推論は立てたけどね。答えのない小説じゃなく、答えはあるけどわざと隠してるって感じで、秋の夜長にあれこれ考えるには ピッタリでしょう。
すみ なんとも極上の小説を読ませていただいたわという読後感。美味しいお酒は水に近いというけれど、 もっと言えば、水のようにさらりと喉ごしがいいけれど、口の中にはいつまでも芳醇な味と香りが広がるってものでしょ。そういう小説でした。