すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「動かないで」 マルガレート・マッツァンティーニ (イタリア)  <草思社 単行本> 【Amazon】
15才の少女がスクーターに乗っていて事故に遭い、病院に運びこまれた。意識不明の重態、助からない可能性が高かった。 少女の名前はアンジェラ、偶然にも、その病院の外科医ティモーテオの娘だった。報せを受けたティモーテオは娘のもとに 駆けつけ、容態を見守った。仕事で海外に向かっている最中の母親はまだ来ない。ティモーレオは娘に、静かに語りはじめる。 惨めで、みすぼらしい、彼が愛したただ一人の女性、イタリアのことを。
にえ 作者のマルガレート・マッツァンティーニはイタリアの女優さん。写真で見るかぎりでは、涼やかな目をした、かなりの美人です。
すみ 女優さんが書いた小説というと、どうせ人気にまかせて自伝的な小説でも書いて、 ベストセラーになったんでしょ〜と勘ぐりたくなるけど、これは違うのよね。
にえ マルガレートの父親は作家、母親は画家、本人は正統派の伝統的な演劇を好む舞台女優で、脚本も書いている。 それでもってこの作品はイタリア文学界の最高峰、ストレーガ賞を受賞したっていうんだから、女優だからどうのなんてつっこむ隙はなし。
すみ まあ、読めばわかるけど、本当に質の高い純文学作品で、これ1冊で、どれほど優れた作家さんかわかるよね。
にえ うん、とにかくすごい小説だった。これだけのストーリーで、ここまで読者を惹きつけるとは。 純文学好きの人だったら心酔しちゃうでしょ。
すみ ようするにね、妻のある男が他の女を愛したってそれだけの不倫話なのよね。
にえ ただ、愛した女性というのが、まったくもって意外なタイプなんだけどね。現実の話として聞かされたら、 ぜったい理解できない。でも、小説で読むと納得して、共感すらしてしまう、これが文学の持つ力かとあらためてゾワゾワ来た。
すみ 語り手である主人公の男性ティモーテオは、40才になろうとしている優秀な外科医。出世コースを 順調に歩んでいる人。美人の妻は優秀なジャーナリストで、賢いだけじゃなく、とても強い女性。
にえ ティモーレオは車の故障で立ち寄った冴えない町で、イタリアという変わった名前の女性と知りあうのよね。
すみ イタリアは若くもなく、美しくもないの。安物の派手な服を着て、ふらつくような高いヒールの靴を履き、 安物の化粧品で肌を汚しているような女。
にえ みじめな人生が滲み出ちゃってるような、みすぼらしさなのよね。不潔な部屋に目の見えない猫と住み、 掃除婦の仕事をしているけど、売春婦でもあるみたい。息も臭いの。
すみ ティモーテオと知的な会話をすることなんて出来るはずもない女性よね。魅力がないどころか、話しているだけで、こちらまで惨めな気持ちになりそうな。
にえ というか、街の景色のひとつとして気づかないまま通りすぎてしまうような対象でしょう。 ようするに、生きてる世界が違いすぎるのよね。
すみ それなのに、ティモーテオはイタリアを執拗なまでに愛しつづけることになるの。
にえ ティモーテオが愛したのは、彼女の惨めさ、みすぼらしさなのよね。そういうところに、他の人といても味わえない安らぎを見いだすの。
すみ 同情を愛と勘違いしているんだろうとか、完璧すぎる生活への反動から出た発作的な行動だろうとか、 妻と真逆の女性とつきあいたくなったんだろうとか、いろいろ決めつけたくなるけど、そんな単純に説明のつくことを書いてるんじゃないよね、これは。
にえ でもそうなると、読んでまったく納得がいかないはずでしょ。それなのに、なんだろうね、この説得力は。読むと心情が理解できた気になってしまう。
すみ 私は完璧に不倫否定派だから、これまで、どんなに美しく、悲しく書かれていても、 不倫を扱った小説は、しょせん不倫じゃないのと共感しきれなかったんだけど、これは違った。まいったな〜。
にえ 二人のそれぞれの家庭環境を含む過去とかポツリポツリと語られてはいるけど、それで納得できるほどの 量ではなかったし、こんな突飛な行動を書いてるわりにはむしろ説明不足ってぐらいだったのにね。
すみ 書かれているのはひたすらティモーテオの心情だよね。卑怯なこともなにもかも、 本当に胸の内を洗いざらい告白してるの。それだけでなぜか、イタリアというみすぼらしい女性にたいしても、 いつのまにやら愛情めいたものを感じてしまった。
にえ 女性の作家が男性の心理を書いてるから、私たちにもわかりやすいのかしら。とにかく、なんかもう、やられちゃったね。
すみ 昏睡状態の娘に語りかけてるから、語り口はかなり抑えられていて静かなもの。でも、なんか物凄いものが襲いかかって くるような迫力を感じた。とにかく、マルガレート・マッツァンティーニは素晴らしい作家ですね、としか言いようがない。純文学好きにはオススメ〜。