すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「シカゴ育ち」 スチュアート・ダイベック (アメリカ)  <白水社 uブックス> 【Amazon】
1942年、シカゴ生まれの作家スチュアート・ダイベックがシカゴを描いた短編集。
ファーウェル/冬のショパン/ライツ/右翼手の死/壜のふた/荒廃地域/アウトテイクス/ 珠玉の一作/迷子たち/夜鷹/失神する女/熱い氷/なくしたもの/ペット・ミルク
にえ 単行本で読んでいなかったスチュアート・ダイベックの短編集「シカゴ育ち」が、 白水uブックスになったので読んでみました。
すみ 短編集と言っても、分けて1作ずつがどうのっていうより、全部をまとめてひとつの 作品という印象だったな。
にえ うん、連作というわけではなくて、1つずつが独立してはいるんだけど、 1冊のスケッチブックをパラパラとめくっていくような感覚で読んだよね。
すみ とりあえず、収録作品は14作ってことになるんだけど、長めの短編小説らしいものもあれば、 たった1ページで終わっているものもあり。
にえ どれもストーリーがあるような、ないようなってところで、さまざまな角度から、文章でシカゴの街を 描きあげていくって感じなのよね。
すみ 詩のようでもあるけど、ダイベックの描き出すシカゴの街は、けっして美しいというものでもないの。 どちらかというと、荒廃してるというか。
にえ でもそこに青春時代の熱を振り返っているような郷愁があったり、心地よくかさついた余韻があったりするのよね。
すみ そのなかでも長めなのだけ紹介すると、たとえば「冬のショパン」では、18番通りのアパートに住んでいる 少年が語り手。少年の部屋では放浪癖のある祖父が戻ってきて、凍傷でダメになった足をお湯で温めてる。上の部屋では、音楽で奨学金をもらって 大学に行っていた娘が妊娠して戻ってきて、ピアノを弾いている。そういう風景。
にえ 祖父のジャ=ジャは聴こえてくるピアノの音に、ショパンの『華麗なるワルツ』だとか、『革命』練習曲だとか 言いながら、ショパンについての蘊蓄を少年に語ったりするのよね。
すみ ピアノの娘の母親は、少年の部屋に来て、少年の母親に泣きごとを言う。娘は父親の名をあかさないの。 少年はそれを聞きながら、必死で苦手なスペリングの練習をしている。
にえ こういうのって知らない情景でも、不思議と懐かしく思えてくるな。
すみ 少年はピアノの娘に淡い憧れのようなものを抱いているのよね。ダメ人間の祖父にも親しみを感じてるし。
にえ 「荒廃地域」はバンドを組んでいる4人のティーンエイジャーの少年のお話。住んでいた町は「公認荒廃地域」が 指定され、通りにはよそのように素敵な名前も付いていなくて、ただ番号が振られているだけだと気づいたの。
すみ だからなんだよってところだけどね。で、少年たちはアル中のおじさんに買ってもらった酒を飲んだり、車を乗り回したりしながら、 ノラクラと時をやり過ごしてるの。
にえ でもそのうちに、少年たちは一人、二人と町から旅立っていくんだな。 あのころはあんなにいつも一緒にいたのに、今じゃあいつら、どうしてんのかな〜って。そういうの、なんだかわかるよね。
すみ こういうのって一時期のことで、その時も、あとから振り返ったときも、一時期のことだなってわかっているからこそ、だらけた生活をしているようでも、 キラキラと輝いて思えるんだろうね。
にえ 夜の景色が綺麗だった。荒廃した町に車のライトが流れていく。やるせない夜を群れて過ごす少年たち。
すみ それから「熱い氷」は、働いていた肉市場の冷凍室に閉じこめられた酔っぱらいが、 アイスボックスのなかに美しい女性の冷凍死体を見たって話と、その話に興味を覚える少年たちの話。
にえ 大人だと、そういう話は眉唾物だと乗ってこないけど、子供は飛びつくよね。かならずどこの町にも、 そういう子供騙し的な、ちょっとオドロオドロシイ伝説が存在しているような。
すみ あとは短いのもちょこっと紹介しておきましょ。たとえば「右翼手」は野球をやっている最中に、 いつのまにか死んでいた男の話。
にえ 「壜のふた」はビール壜のふたを拾ってきて、コレクションしている少年のお話。「失神する女」は 教会の日曜ミサでかならず失神する女性のお話。
すみ どれも、だからなんだ、とか、結論がこう出たってストーリーがあるわけじゃないのよね。ただ、 こういう人がいたよ、こういうことがあったよってお話。それを積み重ねていくと、シカゴの街が見えてくるってわけ。
にえ 多国籍の人種が暮らし、綺麗だともいえないし、歴史を語って誇りに思うってこともないけど、 忘れがたい街シカゴ。う〜ん、しみたね。涼しくなったら、もう一度読み返したい。
すみ ちなみに、「荒廃地域」「熱い氷」「ペット・ミルク」はO・ヘンリー賞受賞作品だそうです。