すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「ヨアキム」 トールモー・ハウゲン (ノルウェー)  <河出書房新社 単行本> 【Amazon】
朝、ヨアキムは小さな物音に目が覚めた。廊下を歩く足音、電話をかけている。そのあとで主治医のフリッツ先生がやってきて、 パパとママを黄色のトヨタに乗せて行ってしまった。パパは帰ってこない。精神病院に連れていかれてしまったのだ。 ヨアキムは物陰でそれを見送った。手をふって、「パパー、ぼくだよ!」とは叫ばなかった。
にえ ということで、「夜の鳥」の続編です。
すみ 前は「少年ヨアキム」って題名だったけど、復刊本は「ヨアキム」になってるのね、「夜の鳥2」って副題がついて。 個人的には作品のナイーヴなイメージからして、こっちの「少年」なしの「ヨアキム」って題名のほうがピッタリって気がする。
にえ 先が見えない状態で終わった「夜の鳥」のモー一家に、結論が出るまでのお話なのよね。
すみ 「夜の鳥」では悲しい不安から、ヨアキムはどんどん幻想の別世界に 足を踏み入れてしまっていくような感があったけど、こちらでは、ぐいっと引き戻されてる印象、かな。
にえ 「夜の鳥」では不安に押し潰されそうになっていたけど、こっちでは、なんでも隠そうとする大人たちへの怒りを はっきりと出しはじめてたよね。なんかホッとした。
すみ うん、怒りを表に出しはじめるってのはよい兆候だよね。ハウゲンさんはそういうところをきっちり書いているのだな〜と思った。
にえ でもさあ、パパのずるさはクッキリ見えてきたよね。「夜の鳥」では切ないお父さんって感じだったけど、 こっちでは、やっぱりこういう人かと思うところがあった。それもまた、ヨアキムの視線に成長があったからかな。
すみ どっちで暮らしてもいいよって言うシーンでしょ。そう言わなくちゃいけない流れだからそういうセリフを口にしたけど、 男手で子供を育てていこうって気がまったくないのは見え見えだったよね。
にえ 逆に「夜の鳥」ではパパを追い込んじゃってるって印象のあったママは、 辛い時期でも息子を守り、成長をうながそうという気概が見えたな。
すみ お掃除のシーンが良かったよね。ジンと来た。
にえ ママ自身、辛そうではあったけど、最後のほうでは希望の光が見えてきてるっていう 明るさも感じられたよね。
すみ さてさて、「夜の鳥」の紹介であまり触れられなかったモー一家以外の登場人物なんだけど、 これがまた良いの。
にえ まず、サーラとローゲルの姉弟だよね。サーラは乱暴者で、いつも怒っている女の子だけど、 弟のことをとっても心配しているし、ヨアキムにもやさしい思いやりを見せるの。弱さもかいま見せるし。
すみ ただ、老婆を見れば魔女だと言い、地下室に行く人を見れば殺人鬼だと言い、 とにかく想像が暗く怖いほうに言ってしまう子で、本気で信じて話しちゃうから、ヨアキムを怖がらせることになるのだけど。
にえ ローゲルのほうは不良少年なのよね。悪仲間がいるんだけど、この子たちの小さな権力闘争みたいな ものは、読んでてなんとも複雑な気持ちにさせられた。
すみ ローゲルが良い子になることはないのかねえ。かなり悪に向かって突き進んじゃってた。
にえ サーラとローゲルの家庭環境も考えさせられるものがあったよね。他のこの家庭環境もいろいろ想像をかき立てるものがあったけど。
すみ ヨアキムが淡い恋心を抱くマイブリットって少女もいるんだけど、 この娘も単なるマドンナ的な存在で終わるかと思いきや、いろいろ見えてきたね。
にえ ユーリって少女と、その子分みたいな存在のトーラって娘がいるんだけど、この娘たちが くっついたり、離れたりする流れは、だれしも経験あり、か、見覚えあり、じゃないかな。ユーリのさりげない言動も、なるほどというものがあったし。
すみ 子供の人間関係もこうしてあらためてみせられると複雑だよね。そういえば、 自分たちも単純明快じゃなかったな、こうしてグチャグチャしちゃって悩んだりとか、いろいろあったんだよなと思い出した。
にえ 児童書だろうがYA本だろうが、ちょっとでも気になると、嘘臭いとか、不自然だとか、 ケチつけてばっかりの私たちも、さすがに唸らされまくりだったよね。読み終わったあとは、すべての子供たちに明るい未来が待っていますようにと 祈るような気持ちにさせられてしまった。
すみ 人や景色やその他もろもろ、この世界をしっかり把握して、独自なものに再現するという作家能力(?)みたいなものが、 とにかく突き抜けて素晴らしい方なのよね、ハウゲンさんは。こういう作家さんにジャンルの壁はないのだと思う。