すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「フラナリー・オコナー全短篇」 下 (アメリカ)  <筑摩書房 単行本> 【Amazon】
39才で亡くなったアメリカ南部女流作家フラナリー・オコナー(1925年〜1964年)の全短篇集。 下巻は短篇集「すべて上昇するものは一点に集まる」の9作と、後期作品の2作を収録。
短篇集「すべて上昇するものは一点に集まる」
すべて上昇するものは一点に集まる/グリーンリーフ /森の景色/長引く悪寒/家庭のやすらぎ/障害者優先/啓示/パーカーの背中/よみがえりの日
後期作品
パートリッジ祭/なにゆえ国々は騒ぎ立つ
にえ さてさて、「フラナリー・オコナー全短篇」の下巻です。収録されている短篇集「すべて上昇するものは一点に集まる」は 亡くなって一年後に出た短篇集なのだそうです。
すみ フラナリー・オコナーは16才で父親を亡くしてるの。死因は紅斑性狼瘡という難病だったんだけど、 その十年後に、フラナリー・オコナーも発病し、39才で亡くなってます。
にえ つまり、大部分の作品が、病と闘いながら書かれたものなのよね。
すみ 闘病、若死に、南部女流作家、となると、私たちはどうしてもカーソン・マッカラーズを思い出しちゃうね。
にえ マッカラーズのほうが8才年上で、亡くなったのはマッカラーズが1967年、オコナーがその3年前の1964年か。 どちらも長生きしてたら、どれほどの作品を遺してくれたかって考えちゃうね。
すみ うん、どちらも年齢を重ねて、ますます冴えてきそうな予感をさせるよね。
にえ 作風というか、匂いもかなり近いものがあるんだよね。やっぱり同じ南部の、同じ時代の作家さんなんだなと、今回読んでみて強く思った。
すみ でも、マッカラーズはマッカラーズだし、オコナーはオコナーだよね、当たり前だけど。こういうはっきりとした色のある作家は 何年経っても色あせないんだねえ、なんてシミジミ。
<すべて上昇するものは一点に集まる>
ジュリアンは母の過去に縛られた偏見が気に入らなかった。母が根は悪い人でないことを知っているから なおさら気に入らない。母がYMCAの減量教室に通うことになり、一緒にバスに乗ることになったジュリアンは母を罰することを思いついた。
にえ いい歳をした息子が、母親の旧態然とした差別意識を嫌い、罰してやろうとするお話。読んでてかなり胸が苦しくなった〜。
すみ 上巻も下巻も、1作目がとくに読んでて辛いものになってるって気がするよね。気のせい?
<グリーンリーフ>
ミセス・メイの農園に一頭の牛が紛れ込んできた。持ち主はグリーンリーフの息子たちに違いなかった。 グリーンリーフ夫妻はミセス・メイの使用人だったが、どうしたことか、息子二人はうまく出世して、今では洒落た屋敷に住み、 ちょっとした農園を所有していた。
にえ ミセス・メイにも、グリーンリーフ夫妻にも、2人の息子がいるのよね。
すみ 使用人のくせに、自分よりも立派に息子を育てやがって、とミセス・メイのなかでくすぶる怒りがなんとも 痛々しかった。
<森の景色>
娘夫婦と暮らす老人にとって、かわいい孫はメアリ・フォーチュン一人だった。孫のなかでメアリ・フォーチュンだけが、 老人にそっくりだった。老人は広大な土地を所有しているが、娘夫婦に分け与えるつもりはなかった。嫌がらせのように 時々一角を売り払いながら、遺書にはメアリ・フォーチュンただ一人が受け継ぐように指示していた。
にえ 娘婿を罰するために土地を少しずつ売り払う老人と、老人に可愛がられるあまり、父に 折檻されつづける少女のお話。
すみ 老人は少女を可愛がっているようでいて、自分のエゴを押しつけてるだけ。 少女の気持ちなんて、けっきょくは考えてないのよね。
<長引く悪寒>
病気の身となったアズベリーは、死を予感して母のもとに戻った。母は60才で、アズベリーが治ると信じて疑わない。 姉は校長だが、アズベリーの病を精神的なものとしか考えない。しかし、アズベリーはどんどんやせ衰えていくばかりだった。
にえ 重病だ、自分はもうじき死ぬ、と悶々と思い続けるアズベリーと周囲の人のズレ感が滑稽なお話。
すみ とくに母の農園の使用人の二人の黒人の反応がおかしかったよね。そりゃそうだよな、みたいな。
<家庭のやすらぎ>
35才のトマスは家を出ることにした。母が不幸でかわいそうだと言って、留置所からおかしな娘を引き取ってしまったのだ。 父が生きていれば、こんなばかなことは決して許さなかっただろう。
にえ 35才にもなって母親に依存しているトマスは、自己反省などまるでなく、 ひたすら闖入者である娘を憎むの。
すみ こういうときに、ひたすらトマスの心理だけを追っていきながら、読者に考えさせるという手法はオコナーならでは、かな。 うまいよね。
<障害者優先>
一年前に妻を亡くしたシェパードは、10才ですでに守銭奴、頭が悪く、利己主義の息子ノートンが気に入らない。 シェパードは慈善行為として、少年院にいたルーファスの面倒を見ることにした。ルーファスは脚が悪く、素行も悪いが、 頭が良く、無限の可能性を秘めていた。
にえ じつはこれが全作品中、一番気に入ってしまった短編。なんだかこんな酷い話を好きだというと、 性格を疑われそうだけど(笑)
すみ 呆れ果てるばかりのシェパードの独善ぶりが、初っぱなから不幸を招く予感をさせるよね。
<啓示>
ミセス・ターピンは、夫が怪我をして病院を訪れた。待合室で感じのいい女性と話をはじめたが、 なぜかその娘はミセス・ターピンをずっとにらみつけていた。
にえ 農園で黒人たちをうまく使う方法を話し合うミセス・ターピンと、 感じのいい女性。二人ともとっても朗らかなのよね。
すみ にらみつけるだけの娘の心理が不思議なほど、はっきりとこっちに伝わってくるの。 こういう書き方のできる作家って他には思いつかないかも。
<パーカーの背中>
パーカーは体中に入れ墨がある。辛い気持ちになったとき、入れ墨をせずにはいられないのだ。女はみんな、 パーカーの入れ墨が好きだった。ところが一人だけ、醜く、面白味もない大柄な娘だけは入れ墨を嫌った。どうしたわけか パーカーは、その女と結婚することになってしまった。
にえ 入れ墨を入れることだけが心のよりどころの男パーカーは、なぜか愛すべきところのひとつもない女性に 執着してしまっているの。
<よみがえりの日>
アラバマ南部で生まれ育ち、黒人の使用人コールマンと余生をともに過ごしていたタナーは、ニューヨークの豪華アパートに住む 娘と一緒に暮らすことになった。そうせざるを得なかったのだ。しかし、せめて死んだあとは懐かしい故郷に帰りたいと思っている。 そんなある日、隣の部屋に俳優だという黒人が越してきた。
すみ これは、上巻の「ゼラニウム」とかなり似た作品。老人が住み慣れない場所でゆるゆると苦しむ話っていうのは、 痛々しいね。ズキズキと哀しくなってしまう。
<パートリッジ祭>
祖父が創始者であるパートリッジつつじ祭に参加しようと大叔母たちの家を訪れたカルフーンには、 じつは別の目的があった。つつじ祭の寄付金を出さなかったために罰せられた男が報復のために6人を殺害した 事件を調査し、小説を書こうと考えていた。
にえ 若さによる自惚れか、自分こそが真実をつかんでいると思いこむ青年が、 自分の姿をそのまま鏡に映したような女性と出会い、ともに行動することになるお話。
<なにゆえ国々は騒ぎ立つ>
ティルマンには死期が近づいていた。ティルマンの妻は息子ワルターが、農園のすべてを引き受けることを期待していた。 ところがワルターは28才になってものらくら暮らしているだけで、家業を継ぎたくないと平気で言う。
にえ これはかなり短い、途中じゃないかってところでプツリと終わる作品。余韻深くて、ラストにふさわしいのでは。
すみ なんだか言い損ねちゃって最後になったけど、私はあえて選ぶなら、上巻の「人造黒人」が一番気に入ったかな。 どれがいいとか選ぶ必要もないような、きっちり整った作品群だったんだけどね。
にえ ちなみに、4回受賞したO・ヘンリー賞のうちわけは、「生きのこるために」(1953年)「グリーンリーフ」(1957年) 「すべて上昇するものは一点に集まる」(1963年)「啓示」(1965年)です。