すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「シェル・コレクター」 アンソニー・ドーア (アメリカ)  <新潮社 クレスト・ブックス> 【Amazon】
1973年生まれのアンソニー・ドーアが、驚くべきことにすべて二十代で書いた8つの短編小説。
にえ アメリカ期待の若手作家アンソニー・ドーアが二十代で書いた8つの短編小説をまとめた、初翻訳本です。
すみ これは素晴らしかったよね〜。かなり期待して読んだんだけど、期待をはるかに上まわってた。
にえ うんうん。でも、なんて褒めればいいんだろう。とにかくね、文章全体が素晴らしいの。シンプルなんだけど、 静謐でもあり、圧倒されるほどの迫力もありの描写で、自然のものがクッキリと描き出されていてて。
すみ ストーリーも読んでしばらく経ったあとで考えてみると、意外と珍しくはない話だったりするんだけど、 読んでるあいだはとにかく圧倒的な筆力に引っぱられて、作品世界にのめりこんじゃうよね。
にえ 美しさを超える力があったな。読んでいて、何度か胸が苦しくなった。
すみ たとえば子供の頃に見て、こんなにきれいな昆虫がいたのかとか、こんなに綺麗な貝殻が存在するのかとか、 自然のものに感動したことって、だれしもあると思うんだけど、あまりにも感動すると、なんだか怖くなるじゃない? 自然についてはホドホドのところに収まって、 なごませてほしいと思っているのに、そのホドホドの基準をはるかに超えた美を見せつけられると。そういう迫力があったな。
にえ でもさあ、私たちが自然に恐怖すらおぼえるのは、どぎついほどの青い鳥を見たときとか、ありえないほど緻密な蝶の羽の複雑な模様を見たときとかだけど、 この方はもっとさりげない、白と茶の巻き貝や熟れたトマトなんかに、感動以上の感動をおぼえ、文章にしてあるのよね。それが凄い。羨ましいほど凄い。
すみ 自分ももっと敏感になりたい、と強く思っちゃったよね。私たちはこういう特異な人の目を通してしか、 自然の迫力に気づけないのかなあ。
<貝を集める人>
貝に魅了され、ひたすら貝について学びつづけた盲目の貝類学者は、大学教授の仕事を早めに引退し、他に住む人のない ケニア沖の孤島で、シェパード犬と貝を蒐集ながら、静かに暮らしていた。ところが、マラリアに罹ったアメリカ人女性が偶然にもイモガイの毒で治癒してしまったときから、 のマラリアが貝毒で偶然治癒したことから、彼の静かな生活は掻き乱されることとなった。
にえ 盲目の貝類学者が受けた、受難ともいえる騒動の悲しい顛末記なのだけれど、 主役は貝と海、とも言えるよね。
すみ 少年の頃、目が見えなくなった貝類学者が、はじめて海の砂浜に立ち、 巻き貝の形に触れて感動するところが、とにかく凄かった。一緒に触っているような気になって、打ち震えてしまった。
にえ でも、単なる自然賛歌ではないのよね。自然はともすれば残酷で、この老いた 貝類学者は、だれよりもそのことをよく知っていたのだけど。
すみ 貝類学者の住む孤島に手こぎの舟で渡ってくる少女がいるんだけど、この少女の存在がまた自然に完全に溶け込んでいるようで美しかった。
にえ 他の人たちの存在が、あまりにも浮いていて、煩わしいばかりなだけにねえ。
<ハンターの妻>
狩猟のガイドを生業とする男ハンターは、20年ぶりに妻に会いに行った。妻は死によって愛する者を失う 人々の心を癒す魔術を使い、世界中を飛び回っていた。二人が出会ったのは、ハンターが30才、妻がまだ16才の 少女で、巡回マジックショウに出演していた頃だった。O・ヘンリー賞受賞作品。
すみ これはね、山の中に暮らす若夫婦が、冬のあいだ、冬眠をするさまざまな動物にそっと接するんだけど、 それがまた怖いくらいに美しいの。
にえ ハンターの妻は、眠っている動物に触れるとその夢を、死んでいる動物に触れると、その意識の飛んでいく先を みることができる力があるのよね。
すみ 動物たちの生態を知りつくし、心があるなんて考えたこともないハンターと、 生態についてはなにも知らないくせに、その心の奥にいきなり触れてしまう妻。二人が理解し合うのは難しいよね。
にえ 難しいからこそ惹かれあうんだろうね。なんとも悲しく、それでいて悲しさを超越していて悲しくはないお話。
<たくさんのチャンス>
オハイオ州ヤングズタウンに住む14才のドロテアは、掃除夫の娘だった。ドロテアは掃除夫の娘らしく、 目立たないように暮らしていた。ところが、ドロテアの父は船の設計士になるために、メイン州のハープスウェルに 引っ越すと言いだした。そこでドロテアは、初めて海を見た。
にえ これは内気な少女が海に出会い、なにかに目覚めていくお話。
すみ ドロテアは引っ越し先で、釣りと恋を両方一度に知ることになるのよね。
にえ 恋が激しく燃え上がるわけでもなく、バンバン魚が釣れるようになるわけでもないんだけど、 ドロテアのなかで目覚め、膨らんでいくものの大きさに圧倒された。
すみ 14才の少女の瑞々しい感受性が、とにかくかけがえのないものに感じられるほど美しかったよね。
<長いあいだ、これはグリセルダの物語だった>
姉のグリセルダは、背が高く、年齢以上に成熟した体つきのために多くの噂が飛びかっていた。妹の ローズマリーは背が低く、冴えない少女だった。姉妹の母は、紡績工場の交代制勤務で二交替ぶっつづけで働いて一家を支えている。 ところがグリセルダは18才にして、「金物喰い」の芸人と出奔してしまった。
にえ これは生活というものが重くのしかかってくるようで、中盤は息苦しいほどだった。最後に突き抜けるんだけど。
すみ 「金物喰い」はスターになり、美貌のアシスタントとして世界中を渡り歩く華やかな姉と、 同じ場所で、同じ労働と生活を繰り返して生きなければならない妹。でも、光と影ではないのよ、けっして。
<七月四日>
マンハッタンにある釣り人の集う会員制クラブで、アメリカ人数人と、イギリス人数人が言い争いになった。 決着をつけるため、勝負が行なわれることになった。世界を股にかけ、どちらがより大きな淡水魚を釣り上げるか競争だ。 アメリカ人たちはフィンランドのトナカイ地方へ、ヘルシンキへ、ワルシャワへ、次々と場所を移しながら、巨大な釣果をめざして 釣り糸を垂れた。
にえ これはコミカルで、楽しげなお話。
すみ この人たちは一ヶ月間も世界のあっちに行きこっちに行き、金を使いまくって釣りをして酒を飲むだけで、 どうしてやっていけるのかとヒガミ半分に読んだりもしたけど(笑)
にえ でも、その荒唐無稽さにすっとするものはあったじゃない。次から次へと、笑っちゃうぐらいひどい目に遭ってるし(笑)
<世話係>
35才まで、ジョセフはリベリアで母とともに暮らしていた。国営セメント会社の事務員として働きながら、 少しばかり自分のために会社の金を横流す。それから内乱が起きて、セメント会社を馘になると、今度は盗品を扱って 金を稼いだ。それほど悪いことをしているつもりはなかったが、すべては母に内緒だった。ところが、市場に行った母が爆撃にあい、 とうとう帰ってこなかった。ジョセフはリベリアを脱出し、アメリカに渡った。
すみ これは半生記ということでやや中編小説の趣のある、長めの短編小説。
にえ ようやくアメリカで安全な暮らしというものを手に入れたけれど、襲いかかってくる過去に押し潰されそうになり、 歯車を狂わせてまで新しい生き方を模索せざるをえなかった青年のお話なの。
すみ 一人の少女との出会いという救いがあるのだけどね。
にえ 死にゆくクジラ、そして輝くばかりに実る作物の存在が、あとあとまで印象に残った。
<もつれた糸>
まだ暗いうちに、マリガンは釣り道具をまとめ、家を出た。妻は寝ている。途中、郵便局に立ち寄り、私書箱から、 彼女が自分に宛てた手紙をとりだした。
すみ これはごくごく短いお話。釣りに行った男が隠し持っている秘密のお話。
にえ 男がこの先どうしたいと思っているのかは書かれてないでしょ。たぶん、考えてないのだろうな。でも、 考えなくても転機が訪れることもあるってことよ。
<ムコンド>
ワード・ビーチというアメリカ人の男が、先史時代の鳥の化石を入手するため、オハイオ州自然史博物館からタンザニアに派遣された。 やがてワードは気づいた。発掘現場に向かうため、トラックで通っていた名もない尾根道を毎日のように走っている女がいる。女の名はナイーマ。 まるで野生児のように山の中を駆けまわる。ナイーマはワードのトラックのボンネットに飛び乗った。それが、ワードがナイーマをつかまえるために追い続ける、 スタートの合図だった。
すみ これは「ハンターの妻」に近いものがあった。知識はなくとも野生の喜びを知る妻と、 知識に沈みこんでいくような夫のすれ違いのお話。
にえ タンザニアにいても、家にじっとしていられず、野山を駆けまわることで自分の生をたしかめることができていたような ナイーマが、オハイオ州の住宅地で暮らせるものかどうかというのは火を見るよりも明らかだよね。
すみ それでも、互いは求めあっているのよ。だからワードはタンザニアの深い野山を駆けまわらなければならないの。