すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「チャンピオンたちの朝食」 カート・ヴォネガット・ジュニア (アメリカ)  <早川書房 文庫本> 【Amazon】
多くのSF短編小説、長編小説を書き上げながらも、発表の場の多くが原稿料ももらえないポルノ雑誌とあっては 作家の芽の出ようもないキルゴア・トラウトは老年に達していた。3度の結婚に失敗、話し相手はオウムだけ、貧しい暮らしから 抜け出る道もなさそうだった。ところがある日、キルゴアのもとにアート・フェスティバルの招待状がまいこんだ。 彼をアメリカの偉大な作家の一人として招待したいという。その地でキルゴアは、運命の男ドウェイン・フーヴァーと出会い、 人生の一大転機をむかえることになる予定だ。
にえ 私たちにとって4冊めのカート・ヴォネガットです。
すみ この本まではカート・ヴォネガット・ジュニアって名前なんだけどね。 この本のあとでジュニアを外し、カート・ヴォネガットになったんだって。ジュニアってついてる時とついてない時があるのはなぜなのか疑問だったんだけど、 これでやっとわかったね。
にえ それにしても、ヴォネガットの本は一気に読んじゃうつもりだったのに、 なかなか進まないよね。読もうかなと思ってパラパラッとめくると、普通の小説の形式をとってないから、なんか引いちゃって、また今度ってなっちゃう(笑)
すみ この小説の目立った特徴は、普通の文章の書き始め、一文字ぶんスペースがあるべきところに矢印があるってところと、 やたらと挿し絵が入っているところ。
にえ 挿し絵はヴォネガット自身が書いたものなんだよね。シンプルで、小さめで、 多くは文字が入ってるの。太めの線で描かれてて、ヘタウマって感じの絵。
すみ あらま、楽しげな感じね、と思ったけど、これが読んだら読後はドスンと重い気持ちになるお話で、意外だった。
にえ そうなのよね、全編を通して何度も出てくるのは、「さよなら、ブルー・マンデー」というフレーズと、ヴォネガット自身の母の自殺の話。
すみ 巻末の解説を読んだら、ヴォネガットが「スローターハウス5」と「チャンピオンたちの朝食」はもともと1つの本だったのを 2つに分けたんだってインタビューに応えてたって書いてあって、え、どういうこと?と思ったけど、経歴を調べてみて納得した。
にえ ヴォネガットの母親が自殺したのはヴォネガットが従軍中の1944年5月のことで、この年は従軍中の ヴォネガットがドレスデンの工場で働いてた年。で、その翌年の2月にはドレスデン大爆撃が。つまり、母の自殺とドレスデンはヴォネガットにとっては つながった出来事なのね。
すみ つながってはいても、ひとつの話にはまとめられなかったっていうのは、わかるような気がするな。
にえ それは別としても、この小説は冒頭から、かなり辛辣で、皮肉たっぷりだったよね。
すみ アメリカ批判からはじまってたもんね。それからあとも、差別問題とか、環境汚染とか、とにかく キツメのユーモアでたっぷり皮肉られてた。
にえ 主人公は二人なの。貧乏なSF作家のキルゴア・トラウトと、裕福な事業家のドウェイン・フーヴァー。
すみ 正反対なようで、共通点も多い二人なんだけどね。二人とも今は独身で、 キルゴアは飼ってるインコに話しかける癖があり、ドウェインは飼い犬に話しかける癖があり。
にえ キルゴアは売れないSF作家。そして、いつものように冒頭から結末が予告されているんだけど、 どうやらそのうちに転機が来て、ノーベル賞ももらえるほどの人物になるみたい。
すみ かたやドウェインは、頭がおかしくなることが約束されているのよね。
にえ ドウェインは成功者だけど、奥さんが自殺したことが大きな心の傷となっている人。
すみ キルゴアは招待されたアート・フェスティバルに参加するために、 ミッドランド・シティに向かい、ドウェインはミッドランド・シティで少しずつおかしくなっていく、そういうストーリーなの。
にえ もちろん、それじゃあこの小説を説明したことにはまったくならないんだけどね。
すみ キルゴアの書いたSFの筋がいくつか紹介されてるんだけど、これはおもしろかったよね。 皮肉たっぷりだけど、笑えた。
にえ とにかく最後は、ヴォネガットの心の痛みに共鳴しちゃって、落ちこんでしまった。だからって イヤだとか、キライだとかいうんじゃないけどね。読んでよかった。
すみ ラストがまたズシンと来たよね。「スローターハウス5」同様、あとからいろいろ思い出して考えこんじゃいそうな小説だったな。