すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「エロイーズ 愛するたましいの記録」 ジャンヌ・ブーラン (フランス) <岩波書店 単行本> 【Amazon】
ピエール・アベラール(1079〜1142年) エロイーズ(1101〜1164年) 
中世キリスト教哲学者アベラールが22歳年下の弟子であるエロイーズを妊娠、出産させ、エロイーズの後見人である 叔父によって去勢された有名な事件をもとに、臨終の床にあるエロイーズがすべてを振り返り、告白するという形式をとった小説です。
にえ 私たちにとって初ジャンヌ・ブーラン本です。敬虔なカトリック教徒の作家さんだそうです。
すみ 小説を読んだあとにあとがきで知って、ちょっと意外な気がしたんだけど。 思いっきりキリスト教徒の話で、聖書とかからの引用が多いんだけど、なぜかキリスト教徒が書いたんだなっていう感じがしなかった。
にえ そう? お説教くさくないのと、あくまでも神よりも一人の男性に愛を捧げた女性の物語だったからかな。
すみ 単純に理解しやすかったからかもしれない。時々キリスト教的道徳心みたいのが前面に出てて、 ついていけない小説ってあるけど、そういうわからないって感じはなかったから。
にえ にしても、凄まじいというかなんというか、圧倒されるお話だったよね。
すみ 私は読んでて、エロイーズが18才とか、19才とかの時でもすごく思慮深くって、 いくらなんでも、と思ったりしたんだけど、そのあとで、ああ、これは死の床にある63才のエロイーズの回想だから、 蘇った記憶としてはそれもありだよな、なんて考えたりしたの。つまりは、そんなこと考えるほど、この小説は現実味があったってこと。
にえ うん、なんかすごく説得力があったよね。うわっ、ここまで愛しちゃうのか、なんてリアルに受けとめてしまった(笑)
すみ 二人は、アベラールが39才、エロイーズが17才のときに出会うのよね。道で偶然の出会い。 おたがいに一目惚れというところかな。
にえ アベラールは当代きっての賢者と謳われ、エロイーズは当代きっての才媛と謳われ、 こうなると知性と知性が惹かれあう、みたいなところを想像するけど、違うのよね。
すみ そこが特にリアルなのかも。学問一筋だったアベラールは、エロイーズに会って初めて肉欲の虜となり、 エロイーズもまた知識を授けてもらうことより、身を委ねることだけをひたすら望んで。
にえ 積極的に行動するのはアベラールだよね。あくまでもエロイーズの視線から見たお話のためか、 全体的にアベラールがかなり身勝手で、エロイーズが引きずられてしまったという印象もあるんだけど。
すみ アベラールは下宿人兼家庭教師として、エロイーズの叔父の家に住むことになるのよね。どうやら最初っから、 エロイーズが目的だったみたいなんだけど。
にえ エロイーズは、両親を亡くして修道院に預けられていたんだけど、叔父に引き取られ、育てられたのよね。 とにかく叔父は、エロイーズの才媛ぶりが自慢。
すみ 夜、二人っきりで勉強にいそしむのだけれど、当然のようにいつしか愛しあうように。
にえ 63才のエロイーズは当時を振り返り、アベラールは愛というより欲望を感じていたのではないかと思い、 みずからも、それに応えることしか考えられなくなっていたことを痛々しいまでに正直に告白するのよね。
すみ たとえ肉欲であろうとなんだろうと、全身全霊でアベラールを愛するエロイーズ。 17才、18才という年齢とあっては当然だけど。
にえ どんなに激しく、狂おしいものであったにせよ、ふつうは成長するとその初々しい愛からは脱していくのも当然って気がするけど、 エロイーズは違うのよね。
すみ しかも、二人の蜜の時は短く、二人が一緒にいられた時間なんて、人生ぜんぶを通してもわずかなも。しかも、そのあとに 受けた罰は多すぎるのよね。
にえ それでも、エロイーズは生涯をかけてアベラールを愛しつづけるの。執着なのか捨て身の愛なのか、 読んでて戸惑うほど、ずっと激しく。
すみ アベラールに失望する機会は何度もあるのよね。それがわからないほどエロイーズも愚かではなくて。でも、 すべてを理解したうえで、やっぱり愛しつづけるのよ。
にえ 現代とは事情が違うからしかたがないってところもあるけど、エロイーズはたった一度の愛のために、 すべてを失うどころか、ろくに感謝も理解もされない状態で、生涯を捧げることを強要され、乾ききった茨の道のような人生をまっとうすることに。 それでも、アベラールを愛しつづけるのよね〜。
すみ 普通の人なら一時的なものを永続的にやり遂げたというか。とにかく、なんとも凄まじい愛の記録だった。 真似できないし、したくもないのに、なぜここまで説得力があり、共感できてしまうのか。は〜っ。