=「すみ」です。 =「にえ」です。 | |
「オディール」 レーモン・クノー (フランス)
<月曜社 単行本> 【Amazon】
1920年代、モロッコでの戦争からパリに戻ってきた青年ロランは、数学の研究をしながらも仕事はせず、 金持ちの伯父がくれる小遣いだけでホテル暮らしをしていた。名家の出だが、両親からは縁を切られている。 ロランはコミュニストと知り合い、シュールレアリストたちと交友を深めはじめた。 | |
私たちにとっては、2冊めのレーモン・クノー本です。 | |
これはかなり自伝的要素の強い小説で、物語的なまとまりには欠けるんだけど、 いろいろ心情的に考えさせられる内容だったよね。 | |
うん、ユーモアはなしだし、ストーリーを楽しむってのでもないんだけど、細かいところが興味深かったりした。 | |
ただ、主人公のロランが数学者もどきって設定だから、数学の理論の話がたくさん出てきて、 そこは辛かったけど(笑) | |
そうそう、前は小説の中に数学の話とか出てくると、とりあえず理解しようと努力ぐらいはしてたんだけど、 最近は考えることからもう拒否しちゃってるのよね。私の脳のそういう部分はずいぶんと退化しちゃったんだなあとシミジミ思ってしまった(笑) | |
戦争から帰ってきて、シュールレアリストたちのグループに参加し、 メンバーとなるんだけど、だんだんと共感できなくなって離脱する。主人公ロランの姿は、そのまま若き日の レーモン・クノーの姿なのよね。 | |
でもさあ、シュールレアリストってわかったような、わからないような状態で今日まで来たんだけど、 ここまで子供っぽく、くだらない集団だったのかと驚いた。 | |
まあ、さんざんいろいろあって離反したクノーが書いたことだから、どうしても 悪い面が強調されてしまっちゃってると考えたほうがいいのかもしれないけど。 | |
それにしても、降霊術のようなオカルトに傾倒して、グループに加えようとするメンバーがいたり、 グループ内で仲間はずれみたいなことをしてみたり、なんというか、若いよね、青いよね〜。 | |
入るときはけっこう楽で、歓迎されるけど、出るときはボロクソに批判されるっていうところが、 何度も書かれてたよね。 | |
そんなグループのなかで、ロランはなんとなくで参加して、仲間だといわれると喜ぶけど、 はっきりと自分の立場を示せといわれれば言葉を濁す、ずっと中途半端な状態なの。 | |
シュールレアリストたちがかっこよく見えて、その仲間になれるのは嬉しいけど、 主張していることにすべて共鳴できるわけじゃないし、彼らの幼稚さにも気づいてる、そんな感じよね。 | |
なんとなく、日本の学生運動の時代が舞台の青春ものを連想したりしたな。強烈に活動してる人たちじゃなくて、 その周辺で、中途半端に参加してウダウダしてる学生の一人、みたいな。 | |
ロランはそういう混沌とした暮らしのなかで、オディールに出会うの。 | |
オディールは、ある男性の愛人で、なんとなく暮らしている女性なのよね。ロランにとっても似てる。 | |
もとの家柄がいいのも、家を出て、なんとなくでパリに暮らしてるところも、同じだよね。 | |
性格的なものとか、どういう考えを持ってるとか、そういうところは極端なまでに隠されているの。ただ、 オディールという女性が存在してるって感じで。 | |
オディールに惹かれながらも、愛ではないと言い続けるロラン。実家に戻ることになってしまった オディールをパリに連れ戻すため、結婚までするけど別居して、まだ愛ではないと言い続けるのよね。 | |
何か一つでも、たしかなものがあることを避けてるというか、なんとかしたいと言いながら、 ほんとうは常に脱力した状態に身を置いていたいんじゃないかというようなところがあるよね、ロランは。 | |
21歳で、足を泥につっこんで誕生したと言い、自分は捨て子だと言う。でも、 「これが人生さ」と答えるほど愚かではない。そういう青年像。なんとなくでわかるな〜という気になってしまった。 | |
スンゴク良かったから読んで〜っていう本ではないけど、なんとも青い苦みがキュキュっと来る本でした。 | |
わりと漠然とした流れのなかで、ラストのほうだけ、きっちり小説になってるという印象。そこが月並みではあっても、 かなり感動的でした。こういうおセンチさには弱いな。 | |