すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「透明な対象」 ウラジーミル・ナボコフ (ロシア→)  <国書刊行会 単行本> 【Amazon】
ホテルの前で、タクシーから降りたヒュー・パーソンは、記憶にあるそのホテルの外観と、実際の姿を 思い比べていた。アメリカに住むパーソンにとって、これが4度めのスイス旅行だった。最初の旅行は22才の時で、 父と一緒だった。その旅で父は帰らぬ人となった。2度めは文芸編集者となっていた32才のときで、 スイスに住む大作家Rのもとを訪れた。その旅で、パーソンは生涯の伴侶となる、た若く美しい女性アルマンドと 出会った。3度めは二人の作家と、アルマンドの瀕死の母を見舞うためで、その旅の翌日、事件は起こった。
にえ 「ロリータ」しか読んだことのなかったウラジーミル・ナボコフの未翻訳作品が 邦訳出版されたということで、読んでみました。
すみ 長編小説だけど、けっこう短めなんだよね。ストーリーも単純といえば、単純。
にえ ヒュー・パーソンという男がスイスのホテルに現れ、人生の転機のたびに訪れることになったスイスに現れ、 自分の過去をたどっていくというお話。
すみ 最初のスイス旅行では父を亡くしちゃうのよね。父親は洋服屋の更衣室で亡くなっていたという、 まあ、なんとも惨めな死。
にえ 2度めのスイス旅行では、妻になるアルマンドに出会うのよね。アルマンドは若く、美しい魅力的な 女性だけど、とんでもない尻軽で、上品ぶった態度の裏には思いやりのかけらもなく、あるのはただ自己愛だけって感じの女性。
すみ それでも、パーソンはひたすらアルマンドを愛するのよね。そして3度めのスイス旅行から帰ってきた ニューヨークで、パーソンは意に反して取り返しのつかないことをやってしまい、そこからは転落の人生をたどることに・・・。
にえ っていうのがストーリーだけど、じつはこの小説、ストーリーはさして重要視されてないのよね。
すみ 私はなんか変な小説だなあと思いつつ、そのまま最後まで読みおえちゃったから、巻末の翻訳者さんがつけてくれた 「ノート」と解説を読んでそういうことだったのかと焦りまくり、もう一度最初から通して読むことになってしまった。
にえ その「ノート」なんだけど、本では白黒で掲載された図版がカラーになってたりする、 翻訳者さんによる嬉しいページがございました。こちらです。
すみ とにかく、裏にいろいろ隠されていて、それを楽しむための小説って感じなんだよね。
にえ けっこう卑猥な表現というか、言葉が多く隠れてたりするの。私は最初のほうのシーンで、 3Pってデッカイ字のあと、父親が3本のスラックスに絡まって死んでたところから、こりゃなんじゃ、と気づき始めたんだけど。
すみ 3はいろんなところで登場するよね。アルマンドの取り巻きが、ジからはじまる似たような名前の 3人の青年だったり、大作家先生R氏の小説に、A、B、Cからそれぞれ名前がはじまる3人の女性が登場したり。
にえ あとは、ロシア出身のいろんな作家がいじりまくられて登場してたり、ナボコフ自身の名前さえもが、 並び替えられて登場してたり。
すみ 大作家Rっていうのも、経歴からしてナボコフ自身がモデルだったりするんだよね。 Rっていうのは左右ひっくり返すと、ロシア語で「私」を表わすらしいんだけど。
にえ フロイト派の心理分析も、からかいの対象として出てきた。タートルネックのセーターが、 異常な欲望の象徴として扱われてたりして。
すみ そして最後の一行で、この小説の語り手の正体がわかるっていうんだけど、 私は2度読んでもわかりませんでした。
にえ 私もわからなかったよ。ってことは、部分部分で多少楽しんでも、 この本をホントに楽しめたとは言えないのよね。
すみ けっきょく、見え隠れしてるものとか、ナボコフ自身の人生との不思議な符合とか、 ほとんどは「ノート」で教えてもらって、初めてそういうことなのかとわかるレベルだったし。
にえ サラッと読んで気づいて、あらまあ、ナボコフったらってクスクス笑いながら 読めたらかっこいいなあとは思うけど、私たちでは無理だったね。遙かに無理。自分の無知無能さをあらためて自覚させられただけかな。
すみ どうやら私はこの本を読むには言葉に対する敏感さにも欠けてるみたいだし、知識のほうも、ナボコフのことをほとんど知らないし、ロシアの有名人とか推理できるほどの知識もないし、英語ではこういう言葉をドイツ語ではこう言って、 フランス語ではこう言う、なんて言語知識もないし、とにかくナボコフが楽しませようとしてくれても、反応できるだけのものをこっちが持ってないから、 笛吹けども踊らず状態。
にえ お呼びでない読者だったね。私たちのような者が読んではいけない本でした。
すみ 2度も読んで、悲しくなっただけでした、シクシク(笑)