=「すみ」です。 =「にえ」です。 | |
「中心の発見」 V.S.ナイポール (イギリス)
<草思社 単行本> 【Amazon】
<自伝へのプロローグ>ナイポールの父や母、そしてその一族、生い立ち、そして作家への歩みと文学への出発点をつづった自伝。 <ヤムスクロの鰐>コートジボアールで出会ったさまざまな人々を中心に書きつづった紀行文。 | |
この本が、草思社のV.S.ナイポール・コレクションの2になります。 | |
ふだんなら、自伝とか紀行文とかエッセーとかは避けるほうなんだけどね。これもけっして厚い本ではないのに、 読むのに妙に時間がかかってしまった(笑) | |
とりあえずコレクションと名づけられて番号が振られてしまうと、意地でも飛ばさずに 番号順に読みたくなってしまうのよねえ(笑) | |
でも、これが初めてのナイポール作品だったら、「なんとも言えない」で終わってただろうけど、 「神秘の指圧師」「ある放浪者の半生」と、ここのところで2冊読んだうえでは、考えさせられることが多々あったよね。 | |
うん、とくに「ある放浪者の半生」を読んだとき、父親の存在の大きさが気になってたんだけど、 そういうことだったのかとこの本でわかった。 | |
ナイポールの父親は新聞記者で、小説も書いてた人。ナイポールに作家になるよう勧めたのも父親だったのよね。 | |
師と仰ぐ人のもとで記者としての仕事に励んでいたのに報われない結果になったこと、大きな妻の一族に押し潰されたような 人生だったこと、自伝とはいえ、父親についての記述が大半を占めてたよね。 | |
父親とは離れていた時期が長くて、子供の頃のほとんどは母親と過ごしてたみたいだけど、 「ある放浪者の半生」と同様、母親のことにはほとんど触れず、父親のことばかりが語られてた。 | |
ナイポールにとっては父の存在っていうのがホントに、ホントに大きいのね。作家としてのナイポールにとって、 と言うべきなのかな。 | |
フリーランサーとしてBBCラジオで働きながら、何度も挫折していた 小説を書き上げるということを、とうとう成し遂げた顛末についてもつづられてたね。 | |
まず、書き出し部分がポンと出てきたところから、小説の中心となるものを発見することに よって、小説が書けたっていう流れが、けっこうハッとさせられた。 | |
クスリと笑えるような同僚たちのアドバイスがおもしろかった。 | |
で、<ヤムスクロの鰐>のほうなんだけど、こっちはナイポールがアフリカの コートジボアールを訪れたときのことをつづった紀行文。 | |
紀行文は苦手なのよね。なんか、どうしても小説っていうのが完成された形だっていう 思いこみがあるせいか、小説になる前の材料を読んでるような気分がしちゃうの。 | |
でも、コートジボアールの人々の語るアフリカというものを探っていくナイポールと 同行している気分で読むと、アフリカというより、ナイポール自身の故郷トリニダード島についての考え方、とらえ方みたいなものが 見えてくるようではなかった? | |
そうね、政治的な不安定さ、いまだに呪術や古い慣習に囚われる人々の暮らし、 特定の権力者、意外なほどの近代化、どれもナイポールがアフリカを透かしてトリニダードを見ているようではあったかな。 | |
報酬をちょっと多めに渡したために、案内役の態度がガラリと変わってしまった逸話とか、 ちょっと様子のおかしな女性の悲しい過去を知った話とか、短い話の積み重ねがけっこう楽しめたし。 | |
それにしても、アフリカは複雑だね。ナイポールの知人の女性の最後の言葉には、ズシンと来るものがあった。 | |
ということで、文章は読みやすかったし、ナイポールの原点ってものにちょっとだけ 触れることができたような気がするし、これはこれで楽しく読めました。 | |
そうだね。今のところの3冊だと、ノーベル賞作家とはいえ、同じインド人系の作家 サルマン・ラシュディのほうが作家としての格は数段上かなって勝手に思ってたりもするんだけど、そのへんは 今後のナイポール・コレクションの刊行に期待。 | |