すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「ある放浪者の半生」 V.S.ナイポール (イギリス)  <岩波書店 単行本> 【Amazon】
ウィリー・サマセット・チャンドランの父親はインドの僧侶の家系出身だった。インドがイギリス領となって 寺を捨て、村を離れて、藩王の宮殿と有名な寺院のある大都会へ行った祖父は、代書屋からはじめて藩王の宮殿の 役人にまで出世した。ウィリーの父親は大学生となったが、僧侶だった先祖に反発し、藩王国の高官にされそうに なることにも、学長の娘と結婚させられそうになることにも反発し、被差別階級出身の醜い女性と結婚し、無言の行で 名をはせた。まったく愛情を感じない妻と暮らすつらさを平然と息子に話す父親に反発を感じたウィリーは、 父とは違う生き方をしようとイギリスへの留学を決意した。
にえ 私たちにとって2冊めのナイポール本。これは、ノーベル賞受賞前に書いた作品だそうです。
すみ 原題は”HALF A LIFE”、まさにそのとおりの半端な人生を歩んでしまった 男の物語なのよね。
にえ 章の名前のつけ方も、それを暗示するように中途半端だった。(一)が「サマセット・モームの訪問」、(二)が「第一章」、 (三)が「再訳」。第一章はあるけど、第二章はないし、再訳はあっても、初訳はないし。
すみ 「永遠のモラトリアム小説」って紹介されてたけど、ウィリーの半生はほんとにモラトリアム状態のまんまよね。 ただ、永遠っていっても、41才までの半生しか書かれてないから、そこから先はわからないんだけどね。
にえ 父親への反発と、なにを目的として生きたらいいかという迷いと、まあ、 普通だったら大学生のうちに終わるようなモラトリアム状態を、41才まで続けちゃったって感じかな。
すみ ウィリーの置かれた環境ってものが、日本の大学生とはまたぜんぜん違うものだから、そうやって 言いきられると同意はできないけどね(笑)
にえ もともとは、父親の生き方への幻滅に端を発しているのよね。父親もまた、長く モラトリアム状態から脱せられなかった人なんだけど。
すみ 父親は、ガンジー思想に触発されたり、インドのカースト制度に反発を感じたりして、 教科書を燃やしたり、好きじゃない女と結婚したり、無言の行をやったりするけど、すべてがシッカリとした思想という 地に足が着いた状態じゃなくて、なんとなくみたいな流れでやってしまい、やってしまったことに戸惑いって繰り返しなのよね。
にえ 寺の片隅で無言の行をやってるときに、変わった奴がいると注目を浴びて、 そこに訪れたのがサマセット・モーム。これが息子ウィリーのミドルネームの由来だっていうんだけど、この話がまた眉唾もの。
すみ サマセット・モームは一時期好きで読んだんだけど、本国イギリスでは日本ほど評価の 高くない作家さんなんだって。驚きっ。
にえ ウィリーの父親は、サマセット・モームの小説に自分のことが2ページにわたり書かれてあるって 言うんだけど、じっさいのサマセット・モームの小説には、それらしき人物は登場してないみたいなんだよね。
すみ なんかそういう調べればわかるようなことを平気でうそぶいて、自分でも本当のことだと思いこんじゃう 中途半端さが、この父の特徴かも。
にえ 被差別階級の醜い女性と、したくもないのに結婚してしまった、娘はブサイクで先の人生真っ暗だ、 なんて息子の前で嘆いてみせるような人だからねえ。
すみ ウィリーは母親のことを愛しているって言うけど、そのわりに母親のことにはほとんど触れられていないのよね。 やっぱりすべては父親への反発から来てるのかな。母親の親戚の革命家については何度も言及があったけど。
にえ 革命家の血が流れてるってことをかなり意識してたね。
すみ どうしても父親とは違う生き方がしたくて、ウィリーはイギリスへ留学するんだけど、 そこでまだフラフラとしてしまうの。
にえ イギリスではさまざまな人に出会うけど、類は友を呼ぶのか、やっぱりどこか 中途半端な人たちだった。
すみ とくに印象に残る大学の友人、混血のジャマイカ人パーシー・カトーは、闇の商売に手を広げてたりして、 けっこうスリリングに暮らしてるんだけど、混血であるがゆえの居場所のなさみたいなものがたえずつきまとってて、どこか逃げ腰だったね。
にえ そのうちに、ウィリーはラジオニュースのレポーターになったり、小説を書いたり、 ちょっとずつ生き方が定まったかなって感じになったんだけど。
すみ でも、ウィリーはそこで本腰を入れて踏んばるぞ、とはならないのよね。 大学も卒業せずにアフリカのポルトガル領に。
にえ そこにもまた、中途半端な人たちがいるのよね。アフリカ人でもなく、だからって何人でもないような。
すみ 素晴らしい伴侶を得て、農場経営という仕事を得たり、不倫に溺れてみたりもするけど、 やっぱりウィリーはまだなにか探してた。
にえ ナイポールの自伝的でもあり、でも完全にフィクションの小説でもあり、そういった意味でも半端で、 その半端さがなんとも共感できる半端さで、なんか伝わってくるものがあったね。
すみ しょせん移住民でしかないといううっすらとした居心地の悪さ、植民地といううっすらとした居心地の悪さ、 ウィリーの人生のうっすらとした居心地の悪さ、すべてにうっすらと居心地の悪さを引きずったまま生きるウィリー。軽く読めるけど、ズシンとくるものがありました。