すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「物語に閉じこもる少年たち」 セオドア・アイザック・ルービン (アメリカ)  <ポプラ社 単行本> 【Amazon】

デイヴィッドとリザ 時計にこだわりつづけ、傲慢な態度でしか人に接することができない15歳の少年デイヴィッドは、人に触れられることを極端に嫌っていた。 精神障害治療センターで、ミュリエルというもうひとつの人格を持った12歳の少女リザに出会ったとき、デイヴィッドの心に変化が現れた。
ジョーディ 地下鉄が大好きで、ドアノブに紐をつけた「ユラユラ」を持ち歩いていないと安心できない少年ジョーディは、特に重い精神障害を持った子供たちしか 入ることをゆるされない州の特殊な学校に入学許可が下りた。そこには、サリーという女性が待っていた。
リトル・ラルフィと<人形(ひとがた)> どこの誰なのかまったくわからない17歳ぐらいの少年が州立病院に運びこまれた。 無気力と暴力の爆発を交互に繰り返す少年はラルフィと名付けられた。若き女性研修医イザベラは、少年を一目見たときから好きになった。
にえ これは、アメリカ精神分析学研究所所長という肩書きのある精神科医が書いたフィクションの小説です。
すみ 精神科医が書いた、統合失調症(本文中では、書かれた年代のためにあえて旧呼称、精神分裂病が使われています)の 少年、少女たちのお話、というと、つい身構えてしまいそうになるけど、これは驚くほどホンワリとやさしい感じだったよね。
にえ うん、驚いた。少年や少女の心の激しい葛藤を書いてあっても、どこか 可愛らしいと思える余裕があるし、ラストはどれも、ほぼハッピーエンドと言えるような後味のいい終り方だし、 本当に現場にいる人が書いたのかな〜ってぐらいだった。
すみ でも、基本はきっちり抑えてるのよね。専門用語の羅列なんてまったくないから、とっつきやすくて気にするのを忘れちゃうほどだけど。
にえ 分析とか、そういうものより、単純に子供たちを愛するってことが一番大事なんだよって、それだけのメッセージにしぼってあるから、 この心地よさなのかな。
すみ 子供たちに接する大人たちがみんな、けっして急がせない、愛情を持って接する、ゆっくり理解しようと努力するって態度に徹しているからね。
にえ とにかくやさしい視線で書いてあるから、登場する少年少女たちがみんな可愛くってしょうがなくなるの。やさしい気持ちになれること間違いなし。
すみ 「デイヴィッドとリザ」は、他人に触れられることを極端におそれる尊大な態度の少年デイヴィッドが、 語呂合わせでしか話ができない少女リザと出会って、少しだけ心を開いていくお話。
にえ デイヴィッドをやさしく見守るアランっていう医師がまたいいのよね。 いくらデイヴィッドに挑発されても、おだやかに接しつづけてて。
すみ リザに恋心を抱きながらも、認めようとしないデイヴィッドが愛しくなったね。このお話は、 アメリカではテレビドラマ化も映画化もされているそうです。
にえ 「ジョーディ」は統合失調症ながらも、精神的にどんどん成長していく少年の内面から世界を描いたお話。
すみ 最初は、お母さんのことすらわからないのよね。ただ、女の人っていう意識しかなくて。それからだんだんと 成長していくと、ショーディとともにパアッと視野が広がっていく思いがして心地よかった。
にえ 私たちが当たり前だと思ってることにも新鮮に驚くジョーディのピュアさは、まぶしいほどだったよね。
すみ ジョーディの抱えた不安の現れは「ユラユラ」で、「ユラユラ」をどこで手放すかがこのお話の ポイントだと思うんだけど、誰もジョーディに、そんなみっともないものを持って歩くのはやめなさい、とは言わないの。
にえ 表だってなにかすることはないけど、サリーの対応がみごとなんだよね。サリーはジョーディに4年もの 長い間、ピッタリつきっきりでしょ。アメリカではごく一部にしろ、そんなに充実した教育制度があるのかなあとちょっとビックリしたけど。
すみ 同じアメリカでも、問題のある子供を一度にたくさん抱えて、戦々恐々としたハードな日々を過ごしているトリイ・ヘイデンの 著作の中とは大違いだよね。これならついてる大人のほうもゆとりがあって、ゆったりと子供に接しられるし、子供たちもノビノビと成長できる。
にえ 「リトル・ラルフィと<人形(ひとがた)>」はくっきりと起承転結のあるお話だった。身元不明の少年と、 若き女性研究医イザベラの心が通じ合えるまでのお話。
すみ ラルフィと呼ばれる少年のなかでは、いつも<自己>と<人形>というふたつのパーソナリティが葛藤してるのよね。
にえ 自己は心の世界で、アリでもあり、クジラでもあるの。アリにはアリの生活があり、クジラにはクジラの生活がちゃんとあって。
すみ ラルフィが<自己>って言葉を使ったとき、イザベラはつい耳慣れた言葉だから、「自己はだれにでもある」なんて 返事をしちゃうんだけど、これはある意味引っかけ問題だよね。直感によって、ラルフィの言う<自己>の意味にたどりつくイザベラは偉いっ。
にえ イザベラ自身も、弟の死というトラウマを抱えてるんだけど、迷い、戸惑いながらもラルフィに近づこうとしながら成長していくのよね。 一番大切なのは、知識でも、分析でもなく、直感だっていうイザベラの師の教えは、イザベラと同じような仕事に携わってる方々も、ウンウンとうなずきながら読めるんじゃないかな〜。
すみ 邦題が、なんかいかにもって感じで避けちゃいそうになったけど、中に入っている三つの小説は、ちょっと甘いのかなってぐらい、 やさしく、心地よいお話でした。興味のある方は、怖がる必要なしですっ。