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「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」 パウロ・コエーリョ (ブラジル) <角川書店 文庫本> 【Amazon】
スペインの小さな田舎町サラゴーサに暮らすピラールには、幼い頃をともに過ごした少年との思い出があった。 彼はサラゴーサを去り、世界を回った。彼はピラールに頻繁に手紙を出してくれたが、二人は12年間、会うことはなかった。 サラゴーサで教師の職に就き、29歳になったピラールのもとに彼から、マドリードで講演を行なうので会いに来て ほしいと手紙が届いた。片道4時間かけて会いに行ったピラールに、彼は「僕は君を愛している」と告白した。
にえ 今日から3回は、パウロ・コエーリョの三部作のご紹介です。「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」「ベロニカは死ぬことにした」「悪魔とプリン嬢」の3冊で三部作なんだそうです。
すみ 三部作といっても、ぜんぜん別の話だから、どれから読んでもいいのよね。三部作と知らずに読んでた方も多いんじゃないかな。
にえ そうそう。共通する登場人物もなし、舞台もまったく別のところ。ただ、 「一週間という短い時間のうちに人は生まれかわることができる」っていうテーマでどれも書かれてるの。
すみ まあ、毎週、毎週生まれかわるってわけはないから、人生のなかにひとつだけ、こんな 一週間があるかもしれないってことよね。
にえ あたりまえでしょうが(笑)
すみ いや、私は、人というのは変わることができる、人生は単調なようで、こういう まったく違う自分に生まれかわる機会を得ることもある。それは別に長い年月をかけて変わっていくとは限らず、たとえば 一週間という短い期間かもしれないって、そういうことを書いてあるんでしょうねって言いたかったのっ。
にえ はいはい。この「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」は、人を愛することにおびえてる女性が主人公なのよね。
すみ 29歳っていうのがポイントだろうね。この本の主人公のピラールも、 設定年齢に相応しくいろんな恋愛経験をしてきたみたいで、そのために愛する人が去っていくことにおびえる気持ちがあって、 相手の胸に飛び込んでいく勇気が出せずにいるの。
にえ そんなピラールが愛することになる男性は、実はふつうの女性でもなかなか一緒に 生きることを踏み切れなくなるような男性なのよね。
すみ 12年ぶりに会った初恋の人っていうのは、愛しはじめるきっかけとしてはOKだけど、 問題はそのあとだよね。
にえ 彼はどんな病も治すという、不思議な力をもつ修道士になっていたの。
すみ そりゃ便利だ、って訳にはいかないよね。彼には神から授けられた力があり、使命があり、ってことになってくるから。
にえ 彼も、彼女も、愛を貫くためにはすべてを捨てなくてはならないところまで追いつめられちゃうのよね〜。
すみ でも、話はそれだけじゃないよね。彼の信じる信仰の話もタップリ出てきて。
にえ それが私には、けっこうやっかいだった。キリスト教から派生してるみたいなんだけど、 キリストよりもマリア、マリアというより神そのものが女性であるってところからはじまる教義みたいで。
すみ もともとキリスト教徒だったら、ハッとさせられることが多そうな内容だけどね。
にえ まあ、キリスト教徒でなくとも納得できる部分も多くて、キリスト教の枠から脱した、もっと 広い信仰の持ち方、考え方だから、それじたいには共感したりもしたんだけど。
すみ 新興宗教のノリの集会はちょっと怖かったよね。なんか全員に天使が憑依して、おかしな言葉を話しだしたり。
にえ それに私は奇跡ってものがどうも受け付けられないのよ。神の存在を信じ、 正しい生き方を模索するっていうのはいいと思うんだけど、信じたから与えられ、奇跡が起こせるようになったとか、そういう 話になってくると、どうも信仰の純粋さを疑ってしまうというか、結局なにかをもらいたいから信仰してるの? 信仰ってそんなものなの?みたいな疑問が頭をもたげてきてしまう。
すみ とりあえず、この1冊だけじゃあ、パウロ・コエーリョって作家も、パウロ・コエーリョが本から訴えかけているものも理解しきれないって気はしたよね。
にえ うん、まだなにも判断できないと思った。
すみ ちなみに小説全体は、美しく透明感のあるお話で、読みやすくも胸迫るものがあって、疑問は多々残りつつ、なかなかよかったってことで。