すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「フリッカー、あるいは映画の魔」 セオドア・ローザック (アメリカ)  <文藝春秋 文庫本> 【Amazon】 (上) (下)
1950年代なかば、ウェスト・ロサンジェルスにある地下の映画館クラシック座で、ジョナサン・ゲイツは はじめてマックス・キャッスル監督の映画をみた。当時のジョナサンはまだ高校生、大衆的な映画を楽しむ青年ではあったが、 難しい映画談義に参加できるほどの知識も興味もなく、古典的な名作映画を上映するクラシック座に集まる知的な映画フリークたちは遠い存在だった。 しかし、クラシック座の共同経営者であるクレアと知り合い、ジョナサンの人生は一変した。ジョナサンよりずっと年上のクレアはヨーロッパで 様々な映画人たちと交流を広げていたこともある女性で、性行為とともに映画講義をほどこす性癖があった。クレアによって映画批判に目覚めたジョナサンは、 UCLAで映画を学び、クラシック座とも深く関わるようになった。そんな時、マックス・キャッスルを知ったのだ。時代とともに消えた低予算のカルト 映画監督マックス・キャッスルの映画にひそむ魔とその驚くべき才能の両方に気づいたジョナサンは、マックス・キャッスル研究の第一人者となっていった。 キャッスル映画の奥には深遠なる闇への階段が待っているとも知らず。
にえ 実際の長さ以上に長さを感じる小説だったよね。2、3千ページは読んだような気分。
すみ いやいや、それより大量の映画を一気にみたような読後感だったよ。
にえ そうだね、とにかくマックス・キャッスル作品のみならず、たっくさんの映画の映像が 文章で描き出されてて、読みながら映像をみているような気分にさせられたからね。
すみ おまけにどれもが、なんとも不気味な映画ばかりなんだよね。
にえ 生首が並んでたり、よく見ると目がいっぱいある暗いジャングルだったり、流れ出す大量の胎児だったり、 とにかく悪趣味の極みみたいな映像の連続だった。
すみ そうそう。でも、小説全体も気色の悪い話かというとそうでもなくて、 映画と青春のメモワール、みたいな、意外と心地よいお話だったりするのよね。
にえ まあ、それも悪夢への長い長い序章に過ぎなかったりするんだけど、ま、それはいいか(笑)
すみ 最初はね、ジョナサン青年が年上の知性派女性クレアによって、映画に目覚めていくところからはじまるの。
にえ クレアの映画熱はとにかく凄まじいんだよね。人生そのものを映画にかけてて、 大切な映画フィルムを救出するためには、愛するジョナサンを生け贄に捧げることも辞さないの。
すみ 好き嫌いもはっきりしてるしね。名作映画がクレアによって大絶賛されたり、 痛烈なこき下ろしを受けたり、そりゃあもう、うわ、そこまでいうかってぐらい徹底していて、映画好きならクレアの意見に 賛成かどうかは別として、めいっぱい刺激されまくるんじゃないかしら。
にえ クレアは元恋人のシャーキーって男性とクラシック座を経営してるんだけど、 上映する映画はもちろんなにもかもクレアが決めてて、まさに女帝って感じよね。
すみ 初っぱなから、クレアの強烈な個性に圧倒されっぱなしだった。
にえ それから、マックス・キャッスル映画との出会いがあるの。
すみ 忘れられたカルト映画監督キャッスルの映画は、いわゆる深夜上映の三流ホラーものがほとんどなんだけど、 ただのホラー映画にはない、観ている人をとことん不快にするなにかがあるのよね。
にえ それに技術面の素晴らしさ。マックスの抜きんでた技量がわかっていくうちに、有名映画監督である、 「市民ケーン」のオーソン・ウェルズやら、「マルタの鷹」のジョン・ヒューストンやらが影響を受けたって逸話がタップリ出てきて、 虚実混合の小説世界にどっぷり浸かれちゃいます。
すみ 逸話だけじゃなくて、だんだんと登場人物が増えていくと、これがまた個性派揃いでおもしろいんだよね。
にえ マックス・キャッスル映画のカメラマンだった、今はよぼよぼの老人の小人男性とか、自分の父親の遺してくれた財産で、 箸にも棒にもかからないような映画を撮っては芸術だと雄叫ぶ男とか、どの人も強烈な個性なんだけど、リアリティのある複雑な人物像がくっきり描かれてて、 薄っぺらくないんだよね。
すみ マックス・キャッスルを研究するようになったジョナサンは、少しずつ、でも大量にキャッスルの知られざる 過去や映画の秘密を知ることになり、さまざまな人たちと知り合うことで、成長を遂げていくの。
にえ 背景では、ドラッグとサブカルチャーに狂乱するアメリカの若者たちの退廃ぶりや、映画を含めた アメリカ文化の時代の流れなんかがくっきりと浮き彫りにされてて、そっちもまた興味深く読めたよね。
すみ ただ、アメリカ文化の先を読む予言的なセリフがいくつか出てくるんだけど、 それらがあまりにも的確で、そりゃあ、書いてる作者はその先どうなるか知ってるから、そこまで言わせられるんだろうとツッコミたくなったりもしたけどね(笑)
にえ それはちょい昔の時代を書いたアメリカの小説によくある、先見の明がある登場人物がかならず コカ・コーラの株を買うの法則ってやつで、気持ちよく読み流せばいいんじゃないかな(笑)
すみ とにかくまあ、おもしろいんだけどゆっくりモードで話が進むから、これはもう、 先を急がず、流れに身を任せて書いてあることを楽しめばいいよね。
にえ 最後まで読んで納得したけどね。マックス・キャッスル映画の先にある驚愕の事実を、「なんじゃそりゃ」じゃなくて、 真実味を感じつつ受けとめるためには、この長さが必要なのよ、じつは。
すみ マックス・キャッスルを探るうちに、とんでもないところにまでたどりつくからね。 でも、そのとんでもないことを早く知りたいと焦らず、そのページ、そのページに書いてあることをめいっぱい 楽しんだほうがいいのよ。そうすれば、最高におもしろい小説なんだから。