すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
  「越境」  パット・バーカー   (イギリス)  <白水社 単行本> 【Amazon】
イングランドの北部、ニューカッスルに住む児童心理学者トム・シーモアは、妻ローレンと川べりの道を 散歩していた。ローレンは子供ができないことに苛立ち、二人の夫婦関係は危機に面している。 深い川に突き出てした桟橋にさしかかると、様子のおかしな青年がいることに気づいた。青年は手にしていた 瓶を振って錠剤を掌にのせて一気に飲み下すと、瓶を投げて川に飛び込んだ。自殺だ。トムは川に飛び込み、 青年を助けた。偶然の発見で一人の青年の命を助けることができたと思ったトムだったが、後日、病院にいる 青年を見舞うと、青年とは初めて会ったわけではないことがわかった。彼の名はダニー、10歳のときに老婆を殺し、 トムの精神鑑定によって有罪になっていた。ダニーは無期懲役の刑に服した末に新しい名前を与えられ、出獄していたのだ。
にえ 1993年にガーディアン小説賞を受賞し、1995年にはブッカー賞を受賞して、 イギリスでは人気、実力ともに認められているにもかかわらず、日本ではこの小説が初翻訳となるパット・バーカーです。
すみ これは読みやすくて、書いてある内容もいいと思うんだけど、小説と してのおもしろさがわかるには、ちょっと難しい作品って気がしなかった?
にえ う〜ん、作品中ずっと危険な予感をはらんでいて、かってに衝撃的な展開をきたいしちゃうんだけど、 全然違う方向に行って、ちょっとついていけなくなったような気はする。
すみ けっこう驚くべきことは起きるんだけど、文章が淡々としたままだからそんなにドラマティックな感じがしなくて、 きっとこのあとにもっと凄いことが起きるんだ〜なんて思ってしまって、そしたら終わっちゃった(笑)
にえ 「越境」って題名の意味を、もう少しよく考えてから読んだほうが良かったのかもしれない。
すみ でもさ、原題の”Border Crossing”からきているとはいえ、 「越境」っていう日本語は、どうしても国境を越えるってほうを先にイメージしない? 最初にこの題名を 見たとき、戦争かなにかで国境を越えて別の国へ行って暮らすことになった人の苦労話を書いてあるのかな、なんて思ったんだけど。
にえ うん、<境界>って言葉は心理学ではよく出てくる言葉で、まあ、単純に解釈すれば ダニーが境界線の向こう側の人格を持った人間ではなく、境界領域にいるんだけど、境界を越えてしまった人間ってことで、 「越境」って言葉の意味はあってるんだけど、一般的な言葉のイメージとはズレちゃうかもね。
すみ 日本語でそういう状態を、「境界線を越える」とは言っても、「越境」とはあまり言わないでしょ。 なんかそういう感覚のズレが、この小説の良さと私の理解不足のあいだにある溝を象徴しているような気がするよ。
にえ あなたは単に、後半までひっぱられてる緊張感から、サスペンス小説的な展開を 期待しちゃったってだけでしょ。
すみ まあね(笑) 違うって頭ではわかってても、どうしても始まりから展開から、サイコサスペンスの定石的な 流れなもんで、そっちに期待が行っちゃうのよ。
にえ さてさてストーリーなんですが、児童心理学者のトムが投身自殺を図る青年を 助けるところから話が始まります。
すみ 偶然発見して、偶然助けた、と思ったら、そうでもなかったのよね。助けた 青年は10歳の時に老婆を殺し、トムの精神鑑定で有罪判決を受けてしまったダニー、今は違う名前が与えられてるけど。
にえ イギリスでは、こういう処置がとられるのね。少年犯罪の犯人は釈放されたあと、 新しい名前と身分を内務省から与えられ、別人として暮らしはじめるの。
すみ ダニーも別の名前で、今は大学生。でも、マーサっていう保護観察官がついてるから、 完全に自由で新しい生活ってわけでもなさそうだけど。
にえ ダニーはこのトムとの再会をきっかけに、正式なカウンセリングじゃなく、 たんに会って話すという形で、トムと定期的に会いたいと申し出るの。
すみ ダニーはいまだに、トムの決定的な一言によって有罪になったことを恨んでいるようでもあり、 トムに助けを求めているようでもあるのよね。
にえ トムは自分が知らないダニーの過去を知るために、裁判の時のダニーの弁護士や、ダニーが入っていた 少年院の院長にあったり、親しくしていた教師に会いに行ったりするの。
すみ だんだんとダニーの実像が見えてくるのよね。表面的には、美少年で優秀、だれからも愛されて、とても殺人を犯した少年とは思えない。
にえ でも、人を操ることが好きで、相手を支配し、操って、規則の境界線を越えさせることを得意とする 恐ろしい少年だって気づいた人もいるのよね。
すみ そこでまた、境界線越えなのよね。たとえば教師と生徒は二人っきりになっちゃいけないとか、 そういう規則を自分じゃなく、相手をコントロールして相手に破らせる。今まで規則の線を越えずにきちんとやってた人たちが、ダニーと接すると、 いつのまにか越えてしまう。
にえ トムもまた、いつのまにかダニーによって、カウンセラーと患者という線引きがきちんとできなくなっていくのよね。
すみ 境界線越えは他にもあって、過去に罪を犯した人も、本来ならば出所後はプライバシーという線が引かれ、 報道関係者もその線を越えちゃいけないはずなのに、その線引きが完璧ではない現状についても語られていくの。
にえ で、一番のテーマは、ダニーのような正常と異常の境界領域にいる人間をどう扱っていけばいいのかという 社会への問題提起だったと思うんだけど、私は少年犯罪の心理的追求の話かと思って読んじゃったから、ちょっとズレが生じてしまった。
すみ すごくよく書けた小説だとは思ったんだけど、なんかモヤモヤっとした読後感。 感情移入の先を間違えたのかもしれない。