すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「月」 アマール・アブダルハミード (シリア)  <アーティストハウス 単行本> 【Amazon】
シリアで暮らす4人の男と女の愛と性の物語。キンダ・カヤーリは女性問題を扱った小説や随筆で、 世界に名をはせた三十代の女性。その夫のナディーム・カナワーティもまた多数の著作があり、妻との共著も 広く読まれている。ウィサーム・ヌーラディーンは夫妻の隣人。結婚したばかりで、ごく保守的な女性であるが、 みずからの運命を受け入れがたく感じはじめている。ハッサン・アジルクリーはイスラム教の導師を父に持つ 青年だが、得意な嗅覚を持ち、本人が望んでいないにも関わらず、メンスの女性を嗅ぎ分けることができる。
にえ 私たちにとって、初のシリアの作家さんの本です。
すみ なんとも不思議な小説だったよね。
にえ そうそう、一人ずつの名前を挙げられた章のなかに、<想念>とか <出来事>とか<ひらめき>とか区切りがあって、研究発表みたいな形式だけど、ストーリーは普通に進んでるの。
すみ しかも内容は同性愛とか、不倫とか、そういう話が中心で、とても イスラム教社会の話とは思えないんだよね。
にえ 作者は、有名な映画監督の父とスター女優の母を持ち、アメリカの大学に 留学してたって書いてあったから、これは西洋かぶれで、イスラム教社会からは浮いた存在のような人なのかなあ、なんて 思ったんだけど。
すみ でもじつは、過去にはバリバリのイスラム原理主義者だったこともある人 なんだよね。サルマン・ラシュディが「悪魔の詩」で命を狙われることになったとき、ある信念に異議を唱えただけで、 どうして人が一人殺されなくてはならないんだと疑問を感じはじめ、イスラム原理主義に背を向けるようになったのだそうな。
にえ この本を読んでから経歴を見ると、そんな骨太な人だったんだと驚くよね。
すみ うん、でも、シリアにいながらにして、こんなふしだらな小説を書くなんて、 やっぱりよほどの人なんじゃない?
にえ そうなんだよね。愛と性を描きながらも、イスラム教を批判するセリフあり、 イスラム社会で抑圧される女性たちに自立をうながす記述ありで、これはけっこう覚悟がないと書けないかも。
すみ キンダとナディームの夫婦がイスラム社会を批判した本を書いているために、 命を狙われているかも、なんて設定になってるし、登場人物の口から、あれほど立派な著作をしている人たちが 命を狙われるなんておかしい、なんて思いっきり書いてるしね。
にえ タイトルからして強烈なんだよね。邦題では「月」となってるけど、 原題は「月経」。「月経」なんて題名の本がシリアの本屋に並ぶってところからして驚かされるよ。
すみ まさに「月経」って題名がふさわしい内容なんだよね。邦題も「月経」で よかったんじゃないかとも思うけど、小説じゃないと思われちゃうかな。
にえ まず、単純にハッサンが女性の月経を嗅ぎ分けられるところが題名そのものなのよね。 ハッサンは月経の匂いの種類とその濃さを分類して、L2とか、P3とか、M1とかタイプ分けしちゃってるの。
すみ 誰それの月経はT9で、きわめて強烈な匂いでたちが悪いから、月経のあいだは近づ かない、とか、すごい記述だよね。
にえ ハッサンはイスラム教の導師を父に持ちながら、イスラム教を信じていないし、 父親の決めた女性と結婚するつもりもない。でも、表だって逆らって遺産を受けとれない立場にはなりたくないから、 なんとか適当に、上手に立ち振る舞おうとしてるの。
すみ ウィサームは新婚なんだけど、すでに夫の利己的な性生活にはうんざりしてて、 女性の友だちと同性愛に目覚めちゃうのよね。
にえ 妻の浮気が大問題になるシリアでは、夫にばれる心配のない、既婚女性どうしの 同性愛が盛んだなんて思いっきり書いてあったけど、大丈夫なんでしょうか。
すみ それにしても、アメリカの小説みたいな、開けっぴろげを通り過ぎて、へたすると 露出狂的になってしまうような同性愛と違って、コソコソと隠れてやるぶんのエロティックさはあるよね。
にえ まあ、露骨にいやらしい描写はないんだけどね。
すみ それからまたハッサンや他の女性もからんで、男女入り混じってゆるされない性の饗宴が 繰り広げられていくんだけど、これがまたあっけらかんとして、ぜんぜん陰湿さがないんだよね。
にえ キンダとナディームはそれぞれが自立しながら、本気で愛し合ってる夫婦で、 それがかえって浮いているように感じるから、それはそれでおそろしいかも。
すみ すべてがあまりにもサラッと書かれてるから、結婚前に情事を楽しむ軟弱な青年や アバンチュールを楽しむ若く美しい人妻たちの軽い物語としてスルスルッと読んじゃうけど、読み終わったあとから、 けっこう怖くなってくるよね。
にえ 抑圧的なイスラム社会で、こっそりつかみとった自由を謳歌してる男女の話。 一歩先の闇があとからジンワリにじり寄ってくるような気がしました。