すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「鏡の中の言葉」 ハンス・ベンマン (ドイツ)  <河出書房新社 単行本> 【Amazon】
国民言語大粛清により、言葉は一つの意味しか表わせなり、長い歴史のなかで人々は、それを疑うことすらなくなっていた。 ところが言語学者のアルベルトは、愛する女性ラケルから教えてもらったひとつの話がきっかけで、この国の言葉に疑問を持つようになった。 過去、ひとつの言葉には多くの意味があり、メルヘンがあり、駄洒落があった。そして、ある一人の存在しない人物が、人々の 心のよりどころになっていた。知れば知るほど、国民言語大粛清以前の言語世界に惹かれていくアルベルトだったが、 それは自分の体がコーヒーの中の砂糖のように溶けてしまう、河向こうの流刑地に送られる危険が増すことだった。
にえ ハンス・ベンマンが「石と笛」の次に書いた作品だそうです。
すみ これはSFなんだよね。主人公は中年を過ぎたかってぐらいの大人だし。
にえ でも、ハンス・ベンマン本人は、SFだろうが、ファンタジーだろうが、自分の書いたものはみんなメルヘンだとおっしゃってるそうだけど。
すみ メルヘンの定義じたいが、私たちの持ってる単純なものとはまったく異なるんだろうね。だって私には、おっしゃってることが全然理解できないもん(笑)
にえ この本もけっこう難しかったよね。つっこんだ言語学の話になってくると、 読み返しても読み返しても、なんとなくでしかわからなかった。
すみ でも、難しい話はそんなに長々しくなかったし、わからないなりに流してしまえば、 全体のストーリーがおもしろかったよね。
にえ あなたの得意な流し読みね(笑) それにしても、あいだいあいだに挟まってる寓話がどれもおもしろかったな。
すみ うん、さすがメルヘン作家だと言い張ってるだけのことはある!
にえ 独裁者と語り部の話とか、求婚相手のために 自分磨きの旅に出る青年の話とか、どれもオリジナリティーに溢れてる上に、先が読めないおもしろさがあって、言語学の難しい話があっても、 この挿入されてる寓話が読みたくて、最後まで読んでしまった〜。
すみ ストーリーだっておもしろかったよ。言語の一義性に疑問を抱いた言語学者アルベルトが、 少しずつ本当の言葉のおもしろさを知っていくんだけど、読んでるとアルベルトと一緒に、なにげなく使っていた言葉の持つ魅力を再認識させられちゃう。
にえ それに、ほんのりとした恋愛小説でもあったしね。手紙だけで愛を深めていく大人の男女の純愛というか、 たがいに尊敬を高めていくというか、そういう清らかな純粋さが美しかった。
すみ 舞台は、地球上でもないようだし、どことも特定できない世界なんだよね。
にえ むかしむかし、裂頭者スピリディオンって人が言葉を熟成させ、どんどん種類を増やしていって、 ひとつの言葉の動詞系だけでも膨大なものとなっていき、学校では授業の約3分の2が言語の勉強についやされるようになってしまったの。
すみ それに異議を唱えたのがハドゥバルト派の人々。スピリディオン主義者の人々を倒して言葉を統一し、 世界を単純明快で暮らしやすいものへと変えていったってわけ。
にえ 言語は一義性となり、古い書物は焼かれ、意味合いの複雑な思想も、宗教も、 すべて削除されてしまったのよね。
すみ それから八代の後、だれも今の言葉や世界に疑問を感じなくなってしまった頃、言語学者のアルベルトが、 遠くに住んでる女医のラケルに教えてもらった話がきっかけで、言語の多義性に目覚めるの。
にえ アルベルトはやがて、地下組織の存在を知ることになるんだよね。
すみ 友人のエルヴィン宅に招かれるんだけど、そこには浴室の鏡に見せかけたマイクロリーダーがあって、 言語大粛清以前の本のマイクロチップが読めるようになってるの。
にえ そこでナゾナゾ好きの仲間や駄洒落好きの仲間に出会い、アルベルトは言葉の持つ本当の魅力を知っていくのよね。
すみ ほぼ全編、アルベルトがラケルに送った書簡で綴られているから、アルベルトの視線から物語になってるんだけど、 やさしくて純粋で、なかなか心地の良い視線だった。
にえ でも、なんかラケルを祭り上げて褒めたたえ、けっきょく自分のことを好きにさせようとしてるってもくろみが、 かいま見えたりもしなかった?(笑)
すみ そんなに他人の清らかな恋愛を見るとケチつけたくなるんだったら、自分が汚らしいドロドロの恋愛に溺れればいいわっ。
にえ それはイヤ。この本はとりあえず、けっこうおもしろかったけど、「石と笛」ほどではなかったってことで。