すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「バベットの晩餐会」 イサク・ディーネセン (デンマーク) <筑摩書房 文庫本> 【Amazon】

<バベットの晩餐会>
ノルウェーの高い山々のあいだにあるフィヨルドの山麓に、 ベアレヴォーというこぢんまりとした町があった。65年前、その町にはマチーヌとフィリッパという 若い盛りはとうに過ぎたが、なお気高く美しい中年の姉妹が住んでいた。二人は敬虔な監督牧師の娘で、 その清らかさのため、憧れる者は多くとも、おそれ多くて求愛さえされなかった。二人を敬愛した男性の一人、 オペラ歌手のアシーユ・パパンから、ある日手紙が届いた。フランスから逃げ出さなくてはならなくなった バベットという不幸な女性を預かってほしいという。やって来たバベットは14年間、忠実な家政婦として二人に仕えた。 ふだんは二人の言いつけを守って質素な料理を作っていたバベットだが、監督牧師の生誕百年を記念する祝賀会で、材料を買う金は 自分で出すから、豪華な料理を出させてくれと二人に頼んだ。
<エーレンガート>
120年前のこと、バーベンハオゼン大公と大公妃のあいだに、ロッター王子という それは美しく、聡明な嫡子が生まれた。ロッター王子は世俗的な恋愛にはまったく興味を示さなかったが、画家カゾッテの 計らいで知り合ったロイヒテンシュタイン家のリュドミラ王女と結婚することになった。ところが困ったことに、二人は結婚し てまもなく、日にちの合わない子供を授かってしまった。恥ずべき婚前交渉があったことを隠すため、二人はしばらくローゼンバート 城に隠れ住むことになった。武官シュレッケンシュタイン将軍の娘エーレンガートは、二人が隠れ住むあいだだけ、リュドミラの話し 相手の侍女として仕えることになった。
にえ 私たちにとって、2冊めのイサク・ディーネセンです。
すみ この前読んだ「アフリカの日々」では名前がアイザック・ディネーセンと なってたけどね。
にえ デンマーク語の発音には、こっちのイサク・ディーネセンのほうが近いのだそうな。 でも、イサクというと、「伊作」とかって漢字をついあてはめて、江戸時代に農業を営む男の人をなんとなく連想してしまう 私としては、どっちがいいか複雑だわ(笑)
すみ まあ、名前のことは置いといて、「アフリカの日々」とは、かなり違った印象の本だったよね。
にえ そうなの、そうなの。「アフリカの日々」は封建社会のなかでもしっかりと自立した 女性の凛々しい姿と、まっすぐな視線の美しさに感動をおぼえつつ読んだんだけど、この本に収録されている中編2作は、 かなりクラシカルな雰囲気の物語だし、共感とはまた違った感覚で読んでしまうよね。
すみ うん、だれが正しくて、だれが間違ってるともいえないような登場人物たちが 織りなすストーリーだったよね、どっちも。そういう物語を読むおもしろさみたいなものがあったかな。
にえ 「バベットの晩餐会」のほうは、山奥の田舎で清らかに、美しく暮らす姉妹と、 そこで働くことになったバベットが対照的というか、交わらない関係というか、なんか不思議な共存を見せてたよね。
すみ 最初は、自分のことより他人のことを優先して考える姉妹の清らかな生き様に感動 させようとする物語かなと思ったんだけど。恋の始まりの予感をかんじながらも、遠慮して去っていく男の人たち、田舎の 人々に敬愛されて静かに暮らす美しい姉妹、ってかんじで始まってて。
にえ そうそう、そしたら14年間も忠実に働いてくれたバベットが豪華な料理を作るって言いだしただけで、 変なものを食べさせられるんじゃないかと疑ったり、疑ってることを平気で周囲の人に話して歩いたり、なんというか、狭い世界で暮らしている人ならではの 珍しいものを好まない了見の狭さというか、疑り深さというか、そういうのが見えてくるんだよね。
すみ でも、そういうわずかな日常からの逸脱に怯えを感じるってのが、なにより ピュアな人たちって証拠なんじゃないの。むしろここではいったん、無垢な二人を脅かすようなことをする、バベットに怒りをおぼえたりするべきではないかしら。
にえ バベットのほうは最初のうち、辛い経験をしてパリから逃れてきて、二人と暮らすことで 浄化されていった滅私の女性という印象だったんだけど、あとのほうで本性を現しすのよね。
すみ 本性を現すっていうより、心の奥底にしまってあったプライドをはじめて表に出すって 感じでしょ。ここで読者は、バベットへの怒りが尊敬へとドラスティックに変化するわけよ。
にえ 私はバベットがじつはある才能を持ち合わせていて、その才能を大きく開花させていた過去があり、 それをもう過ぎたこととして胸の内に抑えこんでしまっているのかと思いきや、プライドがメラメラと燃えつづけてたってことがわかって、 執念の炎を見せつけられた姉妹は懼れおののくって展開だと受けとったんだけど。
すみ まあ、たしかにとりようによって最後のほうのバベットのセリフは、私はあんたたちに見下されて るだけの家政婦じゃないのよ!ってくすぶった怒りを爆発させた発言ともとれるし、プライドを持ちつづけていたからこそ、私は私で気高く 生きてこられたんですって気概ともとれるけどね。でも、これはすなおに気概のほうでしょ。
にえ いやいや、私はプライドの持ち方があまりにも違って、互いに理解し合えるとも思え ないような女性たちが、理解し合えないまま一緒に暮らすってのが女性独特でなんとも怖ろしいような、痛ましいような、 そういう静かで壮絶な物語だと思ったよ。
すみ まあ、うがった読み方だとは思うけど、いかようにも読める余裕を残し ているのがこの小説の魅力のひとつだから、そういう読み方もありってことにしときましょ。
にえ 「エーレンガート」のほうは、武家育ちで、しなやかで逞しい筋肉を持つ エーレンガートの凛々しく、美しい姿が印象に残る物語なのよね。
すみ すらっと背が高くて、肩幅が広くて無駄な贅肉なんてまったくなくて、 しかも美しい顔立ちをしたエーレンガートが、荒馬を駆けさせる姿は想像するだけで溜息が出ちゃう。
にえ 早朝の湖で生まれたままの姿になって水浴する姿なんかも美しかったよ。 どうせなら、バタフライでザブザブ泳いでほしいとか思ったりもしたけど(笑)
すみ 荒馬を乗りこなしても男まさりじゃなくて、女性らしさを失っていないところが エーレンガートの魅力なんだし、そういうかいま見せる女性らしさにハッとさせられるべきシーンなんだから、泳いじゃダメでしょ。
にえ そうそう、婚約者のいるエーレンガートは他の人に恋心を抱いてしまうんだけど、 その時とった行動がまた凛々しいのよね。
すみ それこそ、うぶで潔癖な女性だからこその凛々しさでしょ。
にえ 王子様がいて、お姫様がいて、宮廷画家がいて、騎士がいて、っていう 古典的な構図かと思わせながら、たとえ未来は捨てようと、自分の恋の相手は自分で選ぼうとするエーレンガートの 言動にハッとさせられたりするのよね。
すみ そうそう、女性がみんな、一本筋が通ってて折れないって感じは、 「バベットの晩餐会」も「エーレンガート」も「アフリカの日々」と共通してた。
にえ 「アフリカの日々」ほどには感動しなかったけど、小品ならではのおもしろさを 堪能できたかな。
すみ 貴族的な雰囲気がありながらも、さだめに屈しない女性像。またひとつ、 ディーネセンの魅力を知ってしまったという喜びを感じられる本でした。