=「すみ」です。 =「にえ」です。 | |
「夏の黄昏」 マッカラーズ (アメリカ)
<福武書店(ベネッセ) 文庫本> 【Amazon】
フランキーは十二歳、背ばかりがひょろひょろ伸びて、友だちらしい友だちもいない。夏、どこにも所属できない孤独をかみしめながら、黒人の家政婦ベレニスと、いとこのジョン・ヘンリと三人、落書きだらけの台所で不毛な会話を繰り返すだけ。そこに軍人の兄が婚約者を連れて帰郷、彼らの結婚式にフランキーも招待された。そこでフランキーは、ある決心をした。 | |
これは「結婚式のメンバー」「結婚式の仲間」といった邦題にもなっていて、みんな同じ作品です。 | |
マッカラーズの経歴からすると、これって自分の十二歳の頃をかなり反映して書いてあるんだな、と思うよね。 | |
うん、田舎町で暮らすことの焦燥感とか、父親が実際は時計商、この話では宝石商、ってところとかね。 | |
思うんだけど、アメリカの純文学って、マッカラーズも含めて、孤独がテーマになってるものが多いよね。 | |
その中でも、マッカラーズはピカイチなんだろうな。この本も胸にしみまくった。 | |
どうってことないストーリーなんだけどね。田舎に住んでる少女の、一夏に起きたちょっとした出来事を一通り紹介してるだけなのよね。すごい事なんて起きない。 | |
フランキーは母親が死んでて、父親だけしかいないんだけど、その父親とも涙ものの心のふれあい、なんて出てこないしね。 | |
それが、なんだろう、あまりにもリアルで、こちらをしらけさせないよね。 | |
フランキーの孤独にしても、夜空の星を見上げて、ああ、私ってなんて孤独なんでしょう、なんて言いながら自分を抱きしめる、なんてドッチラケな描写はないのよね。 | |
ちぇって言いながら、それなりに生きている。でも孤独。でもそれを書き連ねてはいない。でも伝わってくる。なんでしょう。 | |
今さら私がこんなことを言っても笑われるだけだと知りながら、あえて言っちゃう。やっぱり天才だわ、この人!(笑) | |
何回も読み返せば、何回でも新しい発見ができそうな気がするよね。この本にしても。 | |
十二歳の少女って他の小説に出てきても、正直なところ、私とは違うなあって感じしかしないんだけど、この少女は気持ち悪いぐらい自分の十二歳を思い出させるの。 | |
落ち着かなくて、愚かで、無鉄砲で先のこと考えてるようで考えてなくて、大人のようで子供で、なにかあればすぐおろおろしちゃって・・・、ああ、もう、なんでこういうふうに書けるのってかんじよね。 | |
あとさあ、『哀しき酒場の唄』でも思ったけど、さりげなく 書き方が変わってるよね。普通の文章で出来事を淡々と普通に書いてあるようで、普通の作家なら力を 込めて書くような山場的なシーンはかならずと言っていいほど軽くはしょってる。 | |
出来事が大事じゃないんだよ、心が大事なんだよってことかなあ? | |
う〜ん、なんか読んでて不思議な感触がするよね。 | |
他の作家では味わえない感触だよね。ちなみに、マッカラーズは五十歳で亡くなってしまったので、長編はこれと「哀しき酒場の唄」を含めて全部で五作しかありません、淋し〜い。 | |
三十歳の時に、リューマチで左半身不随になって、病気とたたかいながら右手だけでタイプを打ってた人だから、生きてるあいだにしても、作品はたくさん書いてないからね。 | |
ちなみに、同じ男の人と二回結婚してて、その人が自殺したりと、マッカラーズの人生そのものにも、孤独がつきまとってるのよね。 | |
でも、作品は孤独が根底にあっても、どこかのびのびとした爽やかさがあるよね。 | |
その辺が南部文学の良さなのかな? | |
そうかもしれない。読んでると、乾燥した風が吹いてくるようだよね。 | |
以上、ますますマッカラーズ信奉者になっていく私たちでしたっ(笑) | |