すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「チェゲムのサンドロおじさん」 ファジリ・イスカンデル (アブハジア) <国書刊行会 単行本> 【Amazon】
ロシアの南に位置する小さな国、アブハジアの片田舎チェゲム村出身のサンドロおじさんと、おじさんの 周囲の人々をめぐる7つの短編小説。
にえ 私たちにとっての、初ファジリ・イスカンデルです。
すみ アブハジアはロシア帝国、ソビエト連邦に入っていたこともある小さな国。 広島県程度の広さで、国土の4分の3は山で万年雪が積もったりしているけど、海岸沿いは温暖で、海水浴客で賑わうという そういう国だそうです。
にえ けっこうそういうお国柄を知らないで読むと、頭に「?」が浮かんじゃうよね。
すみ うん、詳しく知らなくても困らないと思うんだけど、スターリンが出てきたり、 ロバやラバが移動手段だったり、暖かい気候だって思ってたら、大雪が降ってどうのこうのと書いてあったりするから、 まったく知らないとちょっと混乱するよね。
にえ ラバについての知識もあったほうが良いよね。ラバはラマとは違います(笑)
すみ そうそう。ラバは馬とロバの交配でできる雑種の動物で、顔はロバに近くて、 体はふっくらしたロバっぽい馬って感じ。ラバとラバは交配しても子供はできず、雌のラバと牡の馬だと子供はできるけど、 ラバではなくて、ほとんど馬に近くなっちゃう。ということで、ラバはかわいくて人にとっては役に立つけど、一代限りの ちょっと可哀想な動物なの。
にえ と、これだけ前知識があれば、とりあえず大丈夫。ってことで本題に入ると、 サンドロおじさんは、「サンドロおじさん」って牧歌的なイメージのする呼称とは、だいぶイメージが違ってたよね。
すみ 豪農の息子で、大変な美男子で、舞踏家でもあり、公爵夫人を夢中にさせるほどの女たらしでもあって、と、 こうなるとロシアバレエの引き締まった筋肉に美しい横顔の麗しい踊り手あたりのような容姿を想像しちゃったりするんだけど。
にえ しかも、怒鳴っただけで騎士を落馬させるほどの大声だったり、とんでもないお喋りだったり、 武勇伝を数多く持っていたり、と、ここまで来ると想像が追いつかなかったりもするんだけどね(笑)
すみ それぞれの短編は独立していて、けっこう雰囲気が異なってたよね。 ソ連時代の恐怖政治を匂わせる話があると思えば、田舎の村の牧歌的な話もあり、でもやっぱりコルホーズ批判もあったりするんだけど。
にえ でも、小国の歴史を背景にした作品、なんてまじめなだけでおもしろくない紹介をしてしまうと、 イスカンデルに笑われてしまいそうなんだけどね。だって、エンドゥール人とか、ケングール人とか、イスカンデルが子供の頃に想像でこしらえたという 民族が混じってたりするんだもん。
すみ 恐怖と笑い、悲哀と笑いの一風変わった溶けあい方は、まさに私たちのロシア語で書かれた文学の イメージにピタリと符合したね。
にえ 正直に言えば、ちょっと味付けで物足りなかったりもして百点までは行 かないんだけど、それでもとてもいい本でした。まあまあオススメ、かな。
すみ 本当は全32編のところを、翻訳本では7編に絞り込んだそうだけど、 32編でも飽きずに読めそうだなと思えるだけの魅力はあるよ。とにかくひとつひとつのお話がよくできてて、 当り外れなくそれぞれにおもしろいです。
<チェゲムのサンドロおじさん>
現在、80歳近くになるサンドロおじさんは、相変わらず稀にみる美しい容姿をしていた。かつて公爵 夫人と浮き名を流したことも、容易に理解できる。おじさんは金持ちのアルメニア人のために、メニシェヴィキを 追い払ったことがあった。
にえ まずはこれを読むと、サンドロおじさんがどれほど勇敢で、人に威圧感を与えるほど堂々とした 男だったことがわかるよね。
すみ 個人的には、アルメニア人が小心者の金持ちとして登場して、今まで読んだ本で作り上げた私の アルメニア人のイメージが変わって、おもしろいやら淋しいやらだったんだけど(笑)
<自宅のサンドロおじさん>
かつてサンドロおじさんは、プラトン・パンツラヤ率いる有名なアブハジア歌舞団のすぐれた踊り手で、花形パタ・パタラヤに 肉薄するほどの勢いだった。その後の一斉逮捕で、プラトンやパタは逮捕され、長い刑を食らったが、おじさんは賢く振る舞い、難を逃れた。
にえ この話で今度は、おじさんが頭も良くて、しかもみんなに尊敬されてて、お偉方にも顔が利くって ことがわかってくるのよね。
すみ ここまでの2編は、紹介的な感じで、ストーリーはそれほどおもしろくないのよね。 ググッとおもしろくなるのはここから先!
<ペルシャザルの饗宴>
アブハジア歌舞団は、スターリンを招いたラコバに呼ばれ、出し物を演じることになった。花形パタ・パタラヤと 新進気鋭の踊り手サンドロとの白熱する競演が、宴に華やかな彩りを添えるはずだった。
にえ これはとにかく、ラストのほうの種明かしがおもしろかった。驚かせてもらったよ。
すみ スターリンはサンドロを見て、前に会ったことがあるような気がする って言うんだけど、どうなんでしょうね。
<老ハブグのラバの話>
サンドロの父ハブグは、チェゲムでは尊敬を集めていたが、なぜか馬に乗らずラバに乗り続けていた。 コルホーズでは馬が与えられ、恥ずかしいロバやラバに乗る必要など、まったくなかったのだが。
にえ これはスンゴイ良かった〜、というかモロ好き好きでした。ハブグに飼われてる ラバが語り手になってるんだけど、ラバがせつないし、ホントにラバが喋ってるような感じだし、頑固一徹、自分の哲学を ハッキリ持ってるハブグがまた心の底があったかい人で、ジンと来てしまった。
すみ ラバがロバの言葉も馬の言葉もわからないのに、なぜかアブハジア語だけは 理解するってのが不思議なんだけど(笑)、老主人を尊敬して慕い、自分の仔馬にたいする偏愛に苦しんだりする様が、 なんとも愛しかったね。
<略奪結婚、あるいはエンドゥール人の謎>
サンドロの青春時代の話。サンドロの友人で、貴族の息子アスランは、家族の反対を押し切って、 えくぼが愛らしい百姓娘のカーチャと結婚するつもりだった。ところが、サンドロは会ったとたんに カーチャに恋心を抱き、カーチャもまた、アスランには尊敬の気持ちしかなく、本当に愛せる男は サンドロだと気づいた。
にえ これは結婚をめぐるシェークスピア的どたばた劇。
すみ なぜか皆さん、エンドゥール人にたいする偏見が強いんだけど、 これはたいして大袈裟なものじゃなくて、小さな国に住むたいして変わらない民族どうしの単なるけなしあいって気がしたけどね。
<おお、マラート!>
劇場前の海岸の並木通りで写真屋を開業していたマラートは、小柄で、毛虫のような眉をしていたが、 女にはめっぽうもてた。ただ、なにかというとチェゲムの親戚たちがうるさいことを言ってくるのが困りものだったのだが。
にえ マラートは今は老人、若い頃にはすごくもてたっていろんな話をするんだけど、 どこまで本当なのかは謎。
すみ サーカス団の蛇使いの女とつきあってたとか、ベリア閣下の愛人に手を出したことがあるとか、 次々に驚くような恋愛話をしていくのよね。
<大きな家の大いなる一日>
1912年の盛夏、大きな家の庭先で、サンドロは客人に若かった頃のおもしろい話を披露していた。 そのすぐそばでは、サンドロの妹カーマが、姉の小さな息子ケマリチクのお守りをしていた。その向こうでは、 サンドロの弟ナヴェイが、大きな声で祖母にロビンソン・クルーソーを読んで聞かせていた。
にえ のどかな家庭風景、でもその先には予期せぬ不幸が待ち受けていたりして、だからこそ、より美しく感じる のどかな家庭風景なのよね。
すみ この話を読むと、サンドロを「サンドロおじさん」と呼ぶ語り手が、どういう関係の身内なのかわかるのよね。 うまくまとまって、読後感が良かったです。