すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
「マーティン・ドレスラーの夢」 スティーヴン・ミルハウザー (アメリカ) <白水社 単行本> 【Amazon】
1881年、9歳のマーティンは父親の経営している葉巻店に立っていた。ウィンドウに飾った、マー ティンのアイデアで作った葉巻の木が人目をひき、入ってきた客たちは、年齢に合わず商品知識が豊富で、 客の好みに合わせる能力に長けたマーティンから葉巻を買う。いつも来る客の一人にヴァンダリン・ホテルのフロント係 チャーリーがいた。マーティンはチャーリーに、わざわざ昼休みに遠回りしてこなくても、ホテルに葉巻を届けてあげる から、かわりにホテルでドレスラー葉巻煙草商を宣伝してくれと持ちかけた。それを機にヴァンダリン・ホテルに出入りする ようになったマーティンは、副支配人に見初められ、午前中だけのパートタイムで、ドアボーイとして働くこととなった。 それが運命の始まりだった。
にえ 待望のミルハウザーの新刊、しかもピュリツァー賞受賞作品です。
すみ ストーリーは、ミルハウザーのファンならお馴染みのパターン、かな。
にえ うん、ストイックなタイプの天才で、なにかに取り憑かれたようにひとつのことに夢中になってる 男がどんどん才能を開花させていき、最後には……という、『アウグスト・エッシェンブルク』『フランクリン・ペイン の小さな王国』『エドウィン・マルハウス』『展覧会のカタログ ─エドマンド・ムーラッシュ(1810 〜46)の芸術』あたりと似かよってたよね。
すみ あ、並べられて気づいたけど、ぜんぶ題名に主人公のフルネームが 入ってるのね。
にえ ただ、感触的にはだいぶ違ってなかった? 影の存在がなかったからかな。 いつもなら、ストイックな天才に惚れこんで手を貸す、天才という光の影的な存在が一人いるんだけど、この 小説では、マーティンと手を組む人は何人かいたけど、ずっと付き添う影の存在的な人はいなかったから。
すみ それもあるし、あなたが挙げた作品の登場人物だとどれも、小説とか、アニメー ションとか、からくり人形作りとか、浮世離れがゆるされる芸術的な職業だったけど、この本のマーティン はストイックさはあっても従業員だったり、経営者だったりするから、浮世離れがゆるされなかったってのも あるよね。
にえ とにかくひとつの才能だけが突出してあって、あとは何もなくてもいいっていう 今までのミルハウザーの小説の天才肌の登場人物たちとは一線を画してたよね。接客から経営からウィンドーの飾り方 や設計についてのアイデア出し等々、いろんな才能を持ち合わせてなくちゃいけなかったから。
すみ マーティンはスゴイ勢いで発展していくニューヨークで、ホテルの 従業員として、独立してからはカフェレストランチェーンのオーナーとして、趣向を凝らしたホテルの経営者として、 どんどん出世していくのよね。
にえ 筋だけ追うと典型的なアメリカン・ドリームみたいだけど、もとから マーティンが大衆に支持されるべく生まれてきたような人で、しかも運命に背中を押されて進んでいる姿は、 高い崖から落とされるために、山の上のほう、上のほうへとせき立てられていってるみたいで、そういう破滅の予感が 最初から漂ってたかも。
すみ マーティン自身がそれを望んでいるようにすら感じられたよね。
にえ どんどん現実から超えたところへと突き進んでいったしね。現実的なものから、 幻想的なものへと移っていく課程はドラスティックで、最後のほうなんて、『バーナム博物館』の域に達してたよね。
すみ で、話の大筋はもう一本あって、こちらはマーティンの恋愛の話、と 言っていいのかな。こちらも最初から破滅の予感が漂いまくってた。
にえ マーティンは母と娘二人の三人家族であるヴァーノン一家と知り合い、 美しいけれどぼんやりとして話もかみあわないような姉のキャロリンと、意気投合するけどかなり不美人の エメリンのあいだを揺れ動くのよね。
すみ 揺れ動くっていうか、エメリンはなんでも話せてビジネスのアドバイスも 期待できる親友として、キャロリンは手に入れることに価値があるお姫様のように扱い、と姉妹を使い分けてたみたい。
にえ 使い分けてたっていうより、どうしようもない衝動でしょ。とっても話が合うし、 人としては好きだけど、不美人な妹は女としては愛せない、フワフワと浮かんでいるような姉は手に入れたくなるけど、 心の底からは愛せない。そういう気持ちに正直に従った結果というか。
すみ この本はそういうシビアなまでのリアルさが際だってたよね。
にえ リアルと言えば、とくに心理描写が凄みを増してたよね。たとえば人と 会って、ちょっとイヤな気分になって、席に座ったとたんに落ち着いて、今度は心地よい気分になっていく、 そういうごく短い時間の心理の動きが細やかに描写されてた。
すみ あまりにも細やかだから、理解してついていくのが精一杯で、共感するところまで 行けないってのが、実はあったりしたんだけどね。
にえ とにかくまあ、恋愛のほうは他の女性の存在もあったりして、一筋縄に はいかないどころか、ウネウネとした縺れのなかにはまりこんでいくのだけれど。
すみ とにかくミルハウザーは凄みを増してたな〜って感じた。私がもしも文学評論家とかだったら、 大絶賛してたと思う。でも、小説を楽しみたい一読者としては、正直なところ、好きになるのがとても難しい作品だった。
にえ う〜ん、ふだんはヨーグルトにお砂糖を入れてる人が、スンゴイ上質の ヨーグルトを食べて、きめも細やかで本当に高級なヨーグルトなのはわかったけど、お砂糖が入ってないから 美味しいと感じられない、みたいな、そういうつらさはあったね(笑)
すみ カフェレストランやホテルってのが、いくら現実を超越していっても甘 やかな夢の存在とはなってくれないこともあったし、正直すぎるほどの心理描写のリアルさも、あまりにもシビアで 拒絶されているようだったし。どこにも入りこむ隙間を残しておいてもらえなかったような。
にえ けっきょくは、主人公を愛せなかったってことに尽きるんじゃないの。 理解できるし、人としてわかるんだけど、なんかもうどうにもこうにも愛せなかったのよね。男性が読めば、また違うのかも。
すみ うん、それでも今までとまったく違うストーリーで、驚きまくっていたとしたら、 これはこれで感動したかもしれない。他の作品と共通点が多かったから、ついつい勝手にこういう小説でありますよう にと願って、期待どおりじゃないからって、この拒絶感を味わっちゃってるのかなって気もする。
にえ とりあえず、オススメかオススメじゃないか、微妙ってことでご勘弁を。