すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「ペドロ・パラモ」 フアン・ルルフォ (メキシコ)  <岩波書店 文庫本> 【Amazon】
フアン・プレシアドは顔も知らない父親ペドロ・パラモを捜しに、コマラの町にやってきた。母親が亡くなるとき、 かならず自分たちを見捨てたペドロ・パラモに会って、今までのつぐないをさせろと言い遺したからだ。しかし、辿り着いてみると コマラの町に生きている者はいなかった。ただ、死者ばかりが過去を懐かしんで、うごめいているだけだ。
にえ これは良かったよね〜。短いけど、ラテンアメリカ文学の極みみたい な、濃厚な小説だった。
すみ 表紙には、ラテンアメリカ文学ブームの先駆けとなった古典的名作って 書いてあったよね。1955年に書かれた作品だから、古典っていうほど古くはないんだけど、もう存在が 古典的名作の位置づけになってるってことだろうね。
にえ 読む前にちょこっと調べてみたら、フアン・ルルフォはたった2冊の 小説を残しただけで亡くなってしまってるんだけど、熱狂的な支持者の研究書とかが多数刊行されてて、 ちょっとカリスマ的な人気のある人みたいだった。
すみ あとがきに、1980年にスペイン語圏の作家や批評家たちへ、ラテ ンアメリカ文学の最良の作品を選んでもらったら、この「ペドロ・パラモ」とガルシア=マルケスの「百年の孤独」がトップの座を 分かち合ったって書いてあったけど、それも納得だよね。
にえ だれでも読めば好きになるってたぐいのものではなくて、読む前に、 ラテンアメリカ文学を読むぞって覚悟がいる小説だとは思うけど、それにしても良かった。
すみ 文章は削りに削ったって感じだったよね。暗に匂わすような記述はあっても、 はっきりとは書いていない部分も多くて、それがなんだか怪しい生き物の住むジャングルを外側からのぞいている みたいな、そういう快感につながっていったような気がする。
にえ 私はなんといっても、途中でパッと急に視界が開けるのが快感だったな。
すみ そうそう、最初は迷宮にまよいこんでいく幻想小説のような雰囲気なんだよね。 怪しげな町、生きているのか死んでいるのかわからない人たちとの出会い、それに過去の話が唐突に挿入されてて、 わからないまま手探りで進んでいくって感じだった。
にえ 最後までこの調子なのかなと思ったよね。前半部分だけで幻想小説としては かなりおもしろかったから、このまま最後まで行くんだろうと思いこんでしまった。
すみ 死者の町でさまよう青年の話だよね。生きていると思ったら、とうの昔に死んで る人だったり、いないはずの人が急に現れたり、怪しげな雰囲気に酔うようだった。
にえ それが突然、視界が開けて、語り手であるフアン・プレシアドが今どこにいて、 だれに話をしているのかとか、コマラの町で過去にどんなことが起きたのかとか、はっきりとした物語になって、 鮮やかに見えてきたのよね。
すみ 暗い暗い白黒の映画を観ていたら、急に極彩色のカラー映画になったみたいで、 驚いた。
にえ 最初のほうのところで、サラッと読み流してた登場人物があとで重要な人物だとわかったりするしね。 自分の本だったら、登場人物の名前にマーカーでラインひいておきたいぐらい伏線が張り巡らされてて、気が抜けない 小説だった。
すみ 過去の話では、ペドロ・パラモは有能だった父親を亡くし、借金にまみれて財産を 失いそうになってるのよね。
にえ でも、ペドロ・パラモは悪知恵というか、かなり賢いやり方で窮地をしのぎ、 さらにのしあがっていくの。
すみ ペドロ・パラモは、なるべく自分の金は使わずにうまく人を使おうとあくどい口約束をしたり、 邪魔な奴は殺したり、いかにも南米の極悪人って感じで、強烈な存在感だったよね。
にえ 女もとっかえひっかえで使い捨てだしね。よせばいいのに、なぜだか女はこういう悪党に 惹かれちゃうのよね〜。
すみ でも、ペドロにはじつは生涯をかけて愛したスサナって女性がいるの。
にえ スサナはペドロ以外の人の目から見ると、あまり魅力のある女性じゃなさそうだよね。 美人じゃないし、後家だし、狂人だといわれるぐらい言動がおかしいし。でも、ペドロにはスサナしか見えないんだよね。 このへんの高熱ぐあいも南米的で良かった。
すみ 小手先で他人を利用して危ない橋を渡り続けるペドロ、明日の見えない スサナへの愛、すべてが破滅に向かって進んでいるのよね。
にえ ラテンアメリカの小説で破滅に向かっていくと、墜ちていく底は、欧米小説とは 比べものにならないぐらい深く暗いよね。この闇の濃さは知ってしまうとたまらないものがあるな。
すみ 南米小説好きじゃない人には勧められないけど、わりと好き、 興味があるって方には、やっぱりぜひ読んでみていただきたい小説でした。とにかく完成度の高さに 震えが来てしまった。