=「すみ」です。 =「にえ」です。 | |
「霧の中の虎」 マージェリ−・アリンガム (イギリス)
<早川書房 ポケミス> 【Amazon】
まったくの無欲で、なにごとにもこだわらない人柄が広く慕われている司祭アブリルの美しい娘メグは、 ジェフリーという将来有望で、まっすぐな性格の青年と婚約し、幸せの絶頂にあった。ところが、5年前に 戦死したはずの夫、マーティンを最近になって写したばかりだと思われる写真がメグのもとに届きはじめた。 メグはまだ25歳になったばかりだが、戦争という事情があって若い頃に結婚し、20歳の時に未亡人にな っていたのだ。写真の送り主からの指示で、ロンドン警視庁のルーク主任警部とともに駅に赴いたメグの目の前に、 生きているマーティンの姿が現れた。しかし……。霧につつまれた、戦争の傷跡残るロンドンで、経験深い 刑事たちおも震えあがらせる、悪という存在が今、息をふきかえす。 | |
私たちにとっては、初マージェリ−・アリンガムです。マージェリ−・アリンガムは、 日本でだけはあまり知られてないけど、欧米では、クリスティ、セイヤーズと並んでイギリス三大ミステリ女流作家の一人といわれている ビッグネームの作家さんなのだそうです。 | |
ジョン・ディクスン・カーは、アリンガムに本を贈るとき、「最も優れた ミステリ作家へ──ただし、私をのぞいて」なんて献辞を書いたんだそうな。そんなスゴイ作家なのに、日本では あんまり翻訳されてないのよね、もったいないなあ。 | |
そうなの、読んでみて思ったんだけど、私はクリスティよりセイヤーズより、 この人のほうが好きかも。心理描写の迫力がとにかくすごくて、読んでて震えがきたよ。 | |
最近の作家さんの犯罪心理の追究とは、またちょっと切り口が違ってたよね。 なんだろう、時代を感じるんだけど、それがまた良かった。 | |
この小説はサスペンスだったけど、深層心理を追っていき、悪とはな にか、正義とはなにか問いかけてくるような小説で、サスペンスという娯楽小説の域を超えてたよね。 | |
最近のサイコサスペンスとはまた違う感触で、それがゾクゾクするのよね。 切り裂きジャックとかそういう、いにしえの殺人鬼の実話を読んでるような、もやもやと霧がかかったような わからなさが、不思議な雰囲気をかもしだしてる。 | |
分析しまくりの現代ものサイコとは一線を画してて、かえってそれが 新鮮だったよね。ずっと日本で知られてなかったのは残念だけど、今読むからこそのおもしろさがあると思うな。 | |
この人はもともと、クリスティ、セイヤーズ、カーなどと共に日本に 紹介されていくはずだったんだよね。 | |
たまたまその時代の日本でミステリの王様状態だった江戸川乱歩が、このマージェリ−・アリンガムが お気に召さなかったために、アリンガムだけが、日本であまり翻訳されなかったみたい。 | |
今だったら、国内作家の一人が、こいつは嫌いだと言っても、他の人から擁護論がとうぜん出て くるんだろうけど、70年、80年ほども前の日本では、原書で欧米のミステリを読む人も少ないし、ミステリ界はまだ未熟な状態だし、 江戸川乱歩一人の意見が、あっさり通ってしまったんだろうね。 | |
一読者として意見を言った江戸川乱歩がべつに悪いとは思わないけど、 一人の好みだけで、こんなに素晴らしい作家が日本でほとんど読まれずに終わったっていうのは、本当に惜しい。 | |
で、この小説なんですが、最初は、マーティンが生きているのかって 謎があって、そこからまったくわからない状態のまま、どんどん話が進んでいくの。 | |
メグにマーティンを生きていると思いこませようとしている人がいるにしても、 目的がまったくわからないのよね。 | |
そんななか、ロンドン警視庁にはもうひとつ、大変な騒ぎが持ち上がるの。 刑務所に入っていたというのに本名も素性もわからない自称ジャック・ハボックという殺人をするために生まれてきたような男が、 じょうずに猫をかぶって精神科医をだまして、刑務所の外に出て、精神科医を殺して逃げたの。 | |
しかも、そのすぐあとには、もう3人も殺して、しかも被害者のうちの一人は 将来有望な警察官、ロンドンの街に戦慄が走るのだけれど。 | |
ハボックという悪のために生まれてきたような男と、対立の存在なのが、 メグのお父さん、司祭のアブリルなのよね。 | |
アブリルは自分の持っているものを誰にでも渡しちゃうような、芯からの善人で、 だけど、その奥には鋭い知性と鋼のように善を信じる精神が宿っているという、ビビッとくるキャラなのよね。 | |
不思議なことに、ハボックが理解できるのはアブリルだけだし、もしかしたら、 アブリルを理解できるのもハボックだけなのかもしれないのよね。この二人の対照的な存在感は鮮やかだった。 | |
ハボックを追うロンドン警視庁の老練な刑事たち、一人でハボックに対峙しようとする アブリル、事件に巻き込まれていく人々、緊張が一度もとぎれずにラストに突き進んでいったよね。 | |
しかも、マーティンの家に代々伝わる宝を探すっていう、新たな目標も浮上してきて、 で、あのフランス映画のような味わい深いラストでしょ、もうたまらなかったな。 | |
ただ、これを読んで、地味と思う人もいるのかもしれない。ミステリ評論家の あとがきにも、あのレクター博士に比べると物足りないかもとか、トリックとか謎解き要素がたらないと感じるかもとか、 そういう懸念が書かれてたし。 | |
う〜ん、でも、それっていかにもミステリをミステリとしてしか読ま ない人の意見だよね。表面的なテクニックにばかりにこだわらないで、もっと純文学なみに深い読み方をし ていけば、この本の良さがわかると思うんだけど。この奥行きの深さは今こそ評価されていいんじゃないの。私は絶賛しちゃう。 | |
うん、ミステリという枠にとらわれずに読んでほしいよね。派手なアクションとかを 期待されたら困るけど、善と悪との精神的なしのぎあいは迫力だったし、無垢とか、正義とかってキャラを割り当てられた登場人物たちの 言動も見事にはまって、完成度の高い仕上がりになってる小説だった。今から日本にマージェリ−・アリンガムのブーム、来ないかな。 | |