すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「ウォーターランド」 グレアム・スウィフト (イギリス)  <新潮社 クレストブックス> 【Amazon】
52歳の歴史教師トム・クリックは退職を迫られている。老人介護の仕事をしていた妻のメアリが神の意志だといって赤ん坊を誘拐してしまったからだ。 トム・クリックは教壇に立ち、生徒たちに語りはじめる。子供たちよ……。それはフランス革命の話ではなく、 生まれ故郷フェンズと自分、そして家族の歴史。イングランド東部のこの沼沢フェンズで、父方のクリック一家は水とともに暮らしつづけた。 母方のアトキンソン一家は、沼地を出て大麦を作り、ビールで富を築いた。そして自分とメアリーのこと。母が亡くなり、水門番の父と、体は大きいが、じゃがいも頭で 字を読むことすらできない兄ディックと暮らしていたトムは、歴史が好きな、勉強のよくできる少年だった。 トムは通学に使う汽車のなかで、性への好奇心に満ちた美しい少女メアリと出会った。トムとディック、そしてフレディ・パーというトムと同い年の少年は、 メアリとの若い性の誘惑に迷い込んでいった。そして、トムが16歳の時、フレディーの水死体が、水門に流れついた。メアリは、フレディの死に責任があるというのだが。
にえ 私たちにとっての、初グレアム・スウィフトです。グレアム・スウィフトは、「ラスト・オーダー」って本で、 ブッカー賞を取ってるんだけど、これはそれよりずっと前に書いた作品だそうです。
すみ もう20年近くも前に書かれた小説らしいけど、いまだに人気があって名作の呼び声が高く、 やっと和訳出版されたってかんじみたい。
にえ それにしても、説明するのに困るような、不思議な感触の小説だったよね。
すみ たしかに言えるのは、ゆったりした流れの小説だから、ストーリーを追って ガンガン読むんじゃなくて、作品世界を堪能してノンビリと読むのがベストだろうってことかな。
にえ いろんな時代の話が交差してたよね。そのまま、トムの頭のなかにある、 静かな混乱を表しているようだったけど。
すみ まず、現実のトムは教壇に立つ歴史教師なのよね。トムを辞めさせて、歴史の授業じたいも なくしていこうとしている校長のルイスよりも年上で平教師っていうんだから、なんとなく立場もわかる。
にえ トムのクラスには、歴史を学ぶより未来を学んだほうがいいんじゃないかと主張して、 逆らってばかりいるプライスって生徒がいるのよね。プライスとの会話を通して、なぜ過去を振り返って歴史を学ぶ必要があるのか ってことが、語りつくされてた。
すみ 授業をたびたび中断させられながらも、プライスを見所のある生徒だと認め、 誠実であろうとするトムの姿勢が心地よかったな。
にえ それから、沼地で暮らすクリック一家の歴史でしょ。沼地は干拓と洪水の繰り返しで、 読んでると、あまりの不毛さに、どうして沼地から逃げようとしないんだろうとさえ思えてくるよね。
すみ 粘着質タイプの性格で、黙々とあるがままを受け入れて沼に寄生して暮らす 人たちには、一種独特の雰囲気があったよね。
にえ それから、沼地を離れて大麦を育て、ビールでどんどん繁栄していく アトキンソン一家の歴史。アトキンソン一家には、伝説のようになってる女性がいるのよね。
すみ その女性が、アトキンソン一家繁栄の象徴のようでもあり、つねに暗い影を落とし続ける 元凶のようでもあった。トムは「むかしむかし」って語りはじめるけど、本当にそれがピッタリくるような、 現実にあったことのようで、伝承話のようでもあったな。
にえ うん、クリック一家と比べると、波乱に満ちた歴史だけど、トムが語ると、 やっぱりどこか夢の中の話のようで、少し陰湿な、それでいて不思議な雰囲気があったよね。
すみ それから、トムとメアリの青春の頃の話があるんだけど、トムの生活に 暗い影を落とす原因は、クリック一家、アトキンソン一家のこれまでの歴史、そして両家の出である両親の結婚にまつわる事情に あるんだよね。
にえ まさに、歴史がなくては、今の生活も環境もないってわけよね。普通でなく 生まれてきた兄のディック、母親と父親が寝物語に話す過去の出来事、隠していること、その時だけを見れば 不可解なことばかりだけど、歴史をたどると、なるべくしてなったように思えてくる。
すみ じわじわと狂気に浸食されていくような一家の歴史だもんね、どちらの家も。
にえ で、落ち着いた生活をしていたはずのメアリが52歳になって嬰児誘拐を やってしまう原因は、この青春の頃の出来事にあるのよね。
すみ 十代の頃のメアリは性への好奇心が強くて、自由奔放で、若いからこその身勝手さがあって、 大人になってからのメアリとは別人のようだった。
にえ トムとディックとフレディの三人は、メアリに振り回されてしまってたね。 そこには、大人から見れば当然のような落とし穴が待ちかまえているのだけど。
すみ でも、美しくもあったよね。不道徳なんだろうけど、まばゆいばかり に輝いてた。おそれを知らない若いときだけに放てる輝きだろうね。危ういからこそ、はかなく美しいんだろうし。
にえ 若い頃の話は繰り返しも多くて、進みものろいけど、緊張感があって 惹きつけられたね。知識も足りないまま、性欲に流されていくトムとメアリとフレディ、それに、わからないまま 巻き込まれてしまうディック。どうしても無垢なディックが犠牲者に見えてしまうけれど、それぞれが失ったものは大きいよね。
すみ 静かで、それでいて熱のある小説でした。イギリス文学好きだったら、読むべきでしょう。 時間と気持ちの余裕があるときに、じっくりご堪能あれ。