=「すみ」です。 =「にえ」です。 | |
「マルコ・ポーロの見えない都市」 イタロ・カルヴィーノ (イタリア) <河出書房新社 文庫本> 【Amazon】
フビライ汗の派遣使である、ヴェネツィアの青年マルコ・ポーロは、フビライ汗に求められ、訪れたさまざまな都市について 語りはじめた。七十の銀の丸屋根がならぶ都市ディオミーラ、館という館に螺旋階段のある都市イシドーラ、 アルミニウムづくりの塔がそびえる都市ドロテーア、次々に語られる不可思議な都市の記憶。マルコ・ポーロが 語り尽きることはなく、フビライ汗が聞き飽きてしまうこともなかった。マルコ・ポーロはもはや旅立とう とはせず、二人は永遠の時を過ごしていた。 | |
この本は、マルコ・ポーロの「東方見聞録」の、イタロ・カルヴィー ノ版パロディです。 | |
ヴェネツィアに帰ったマルコ・ポーロが旅の思い出を語ってるんじゃなくて、 まだ若々しい青年のマルコ・ポーロが、フビライ汗に報告をしてるって設定なのよね。 | |
本は2、3ページの細かい章に分かれて、それぞれの都市について語られて いるんだけど、意味深な番号の振り方をしてあって、そのへんも気にしながら読まなきゃいけないところが、 いかにもカルヴィーノ流。 | |
マルコ・ポーロの話だというのに、最後の方になってくると、空港の ある都市が出てきたりして、マルコ・ポーロは時間も超えて旅をしたの?ってところも、いかにもカルヴィ ーノ作品だったよね。 | |
一つ一つの都市については、ほんのさわりだけってかんじで、細かく描写してるわけ じゃないから、サラッと読み流そうと思えば、サラサラッと進んじゃう。 | |
というか、この情報量で想像を膨らますのは無理だよね。 | |
でも、空気のかわりに泥がつまった都市とか、出ていったはずなのに 出ていけてない都市とか、死んだはずの知人に会える都市とか、どれも妙に思わせぶりな都市なんだよね。 | |
途中でチョコっとずつ、マルコ・ポーロとフビライ汗の会話も挿入さ れてるけど、これがまた意味深だったよね。 | |
いったいなにを読みとらなきゃいけないの、と思いながら読んだのだけど、 巻末のあとがきによると、「あなたの作品には何が隠されているのか」と訊かれたカルヴィーノは、「たぶん、虚ろがある」 と答えたのだそうな。つまり、なにもないのね(笑) | |
私はあれ読んで安心した。カルヴィーノの後期の小説を読みおえると、心がカラーンとからっぽになっちゃっ たみたいな、変なスカスカ感がいつもあって、それについては、私がよく理解できてないからなのね〜と罪悪感を かんじていたんだけど、それでよかったのかしら、なんて。 | |
それにしても、「レ・コスミコミケ」や「柔かい月」や「パロマー」のときには、 ちょっと下世話で、イヒヒって私たちでもわかりやすく笑える部分があったりしたけど、この本はちょっと詩的というか、 哲学的というか、高尚なかんじで身近さはなかったよね。 | |
そのぶん、難しい理屈とかなくて、楽にスルッと読める。 | |
スルッと読めるだけに、つかみそこねてそのまま通り過ぎちゃいそうで、 読むのに苦労したりもしたけど。 | |
短い章のひとつひとつを読んでは少し考え、読んでは少し考えで、 堪能すればよいんじゃないでしょうか。独特の雰囲気がなんとも味わい深いし。 | |
都市だけじゃなくて、マルコ・ポーロもフビライ汗も、時のはざまの 中に消えていく幻のような、そういう透明感というか、喪失感のようなものがあったね。 | |
感情移入とか、想像力とか、そういうものが入りこめない美しさがありました。 なんかよくわかんなかったけど(笑) | |