すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「マイトレイ」 ミルチャ・エリアーデ (ルーマニア)  <作品社 単行本> 【Amazon】
ある会社で、技師としてインドに渡った25歳のアランは、インド人の上司ナレンドラ・センの推薦で、 仕事はきついが給料が大幅に上がる僻地の職場に移った。しかし、慣れない気候と疲労のため、発病して しまう。すると、ナレンドラ・センはアランを自宅に招き、そこで看病してくれるという。どうして そこまで親切にしてくれるのかと不思議に思いながらも、アランはセンの家へ越した。そこに、心を惹かれる 不思議な印象の16歳の少女、マイトレイがいたからだ。
にえ ミルチャ・エリアーデは20世紀最高の宗教学者と言われながらも、 インドでは師と仰いだインド哲学の大家ダスグプタに追放され、戻ったルーマニアでは共産主義を批判して 居られなくなり、招かれて世界各地の大学を転々とした人です。
すみ 学者でありながら、小説も書いていたのよね。小説だけはすべてルー マニア語で書いていたの。ルーマニア語の小説を読む人はごく少数なのだけど、エリアーデはこだわりつづけたみたい。
にえ そんなエリアーデが、インド哲学の大家ダスグプタと決別するきっかけ となった、ダスグプタの娘マントレイとの悲恋を小説にしたのが、この「マントレイ」。
すみ 小説では、エリアーデは技師のアランになってるし、ダスグプタは会社の上司に なっているけど、マントレイの名前はそのまま使ってるのよね。それだけ、エリアーデにとってマントレイって 名前は大切なんだろうね。
にえ エリアーデって、まさに天才のなかの天才って人なんだけど、小説を読むと、 なんというか、純情すぎてちょっと幼稚さも感じるなあと思っていたけど、そういうエリアーデの真っ直ぐすぎる ような純粋さが、この小説でピタリときた。
すみ 小説だけど、ほぼ自伝なんだよね。だから、アランは技師なのに神学を 研究しているような口ぶりだし、ナレンドラ・センは小説では単なる会社の上司になってるけど、本当はエリアーデが 追放されても生涯にわたって師と仰いだダスグプタ。これは最初にわかってる必要があるよね。
にえ うん、小説のナレンドラ・センは、自分たちがいざというときに ヨーロッパに逃げられるよう、アランを養子にしようと計画したり、アランとマイトレイの恋を知ってから は、一方的にマイトレイに暴力を振ったりするし、これが本当はナレンドラ・センという小物の男ではなく、 ダスグプタという偉大な哲学者なんだってことをわかってないと、アランが最後までナレンドラを気遣いつづけるのが理解 できない。
すみ で、単に25歳の青年と16歳の少女の親に認められないための悲恋 かと思えば、東洋思想と西洋思想の理解し合えない溝みたいなものが、浮き彫りになっていく小説だったよね。
にえ マントレイはヒンズー教徒、アランはキリスト教徒、ささいなことへの 罪悪感のズレから、結婚観や人生観にいたるまで、すべてにおいて完全にわかりあえないんだよね親の反対よりも、 そこに悲劇があった。
すみ しかも、マントレイに出会ってヒンズー教の思想も知ってしまったアランは、 自分と同じキリスト教徒たちにも違和感をかんじるようになっちゃうのよね。世界中のあらゆる宗教を学ぼうとした エリアーデの原点を見るようだった。
にえ アランはたびたび、これが彼女たちの思想なのかと戸惑ってたね。たとえば、 マントレイは、木にも魂があると本気で信じていて、男の人を愛するように一本の木を愛したことがある けど、アランには理解できない。
すみ 最初から、結ばれない二人だったのかなって気はした。マントレイは 全部を投げ出して愛しちゃう人。アランの前に好きだった老師にたいしても、魂を捧げるような愛し方をしちゃってるし。
にえ だからって動物的な人ではないのよ。美について講演をしたり、 詩集を出版したりするほどの才女だし、頭を使った行動もとれるし。16歳なりの幼さもあるけど、大人びたところもある。
すみ アランは正反対。マントレイが自分を本当に愛しているのかどうかつねに疑っているし、自分が本当 にマントレイを愛しているのかどうかさえ疑いつづけている。マントレイのような愛し方はできないの。
にえ 典型的なインテリの恋ってかんじで、じれったくもなるけど、つねに 立ち止まっては、疑い、悩み、そういう愛し方しかできない人だから、しょうがないんだよね。
すみ マントレイを愛してはいないとまで言ってしまったりするんだものね。 これではマントレイの一途な想いには答えきれない。ときには卑怯な男にも見えてしまうんだけどね。
にえ そこへさらに思想の違いが大きな壁となってるでしょ。アランはマイ トレイのためにキリスト教を捨ててヒンズー教徒になってもいいと言ったし、マイトレイはアランのために キリスト教徒になると言ったけど、改宗しても、根っこに染みついてたらそれまでなのよね。
すみ この二人のズレが、親に反対されたあと、たんに別れるだけじゃなく、 とんでもない悲劇にまで発展してしまうの。マントレイの立場になってみれば、16歳の恋で人生がメチャ メチャになってしまうのだから、悲劇どころじゃないってところまで行ってるし。
にえ インドで暮らす白人たちや、白人たちに対するインド人たちの態度も 裏側までかいま見えたし、思いのほか深い小説だったよね。
すみ エリアーデが湿っぽくもならず、言い訳もせず、淡々と語っているから いいのよね。
にえ 書く人が書けばいくらでも盛り上げてロマンティックな情景にできる 部分も、時にはカッコでくくって自嘲的に、時には内省的に、心の痛みを抑えこんで書いているって気がした。
すみ これはあくまで自伝的小説で、多少なりともミルチャ・エリアーデに興味がある人じゃないと、 小説として楽しめないような気がするけど、エリアーデを知ろうと思ったら、ぜったいに読むべき作品でしょう。