すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
「悲しき酒場の唄/騎手」 カーソン・マッカラーズ (アメリカ)  <白水社 uブックス> 【Amazon】

「悲しき酒場の唄」 南部の架空の田舎町。夫マーヴィンをわずか十日で追い出した 男勝りの女アメリアは、いとこだと名乗る男ライマンと暮らしだすが、そこにマ−ヴィンが戻ってきて……。
「天才少女」 かつては天才ピアニストと言われた少女が陥った状態は。
「騎手」 事故で再起不能になった友人を見た騎手の、わずかな時の切れ端。
「マダム・ジレンスキーとフィンランドの王様」 優秀な音楽教授マダム・ジレンス キーを大学に招き入れたブルックは、彼女の異常に気づきはじめるが。
「旅人」 パリに住むジョン・フェリスは、ニューヨークで、八年ぶりに別れた 妻と出会った。
「家庭の事情」 二人の子供を持つマーチンは、妻エミリーのアルコール依存に悩ん でいた。 
「木石雲」 新聞少年は、夜明けの酒場で、愛を語る中年男に声をかけられた。
にえ カポーティの「叶えられた祈り」で、レズビアンだ、なんて、こきおろされてたカーソン・マッカラーズですが。
すみ アメリカでは南部女流作家の代表格として、とても有名な人みたいだけど、日本の本屋さんには全然並んでないよね。
にえ 私たちも最近名前を知って、読むのははじめて。
すみ で、感想は?
にえ よかった、よかった、よかった、ものすご〜く、よかった。こんなに素敵な小説を書く人のことを、レズだとかなんだとか、どうでもいいようなゴシップ持ち出してわざわざ書いちゃうカポーティが悲しくなった。
すみ 堅苦しい言葉はいっさいなしで、柔らかく、登場人物の行動や言葉を書いてるだけなんだけど、心に染みこんでくるみたいだったよね。
にえ どの話もね、文字を読んでるんじゃなくて、その映像を見ているような、その場にいて、そこの匂いを嗅ぎ、肌触りを感じているような、そんな感覚になってくるの。
すみ まず、最初に読んだ「悲しき酒場の唄」。これでもうマッカラーズ信奉者になっちゃったよね(笑)
にえ 南部の架空の町で地道に暮らす人々、感情を表に出さず、男のように暮らす女。その女に惚れた男と、その女が惚れた男。不思議な三角関係の話。
すみ 説明も心理描写も控えめに、淡々と出来事を書きつづってるんだけど、これがリアルで、しかもそこはかとない可笑しさと、悲しさがあるのよね。
にえ 小説だと、わりと主人公って主義主張があって、一貫した行動をとるじゃない? でも、実際の人って、わけのわからない行動したり、言ったりして、けっこう一貫性がなかったりする。
すみ うん、そうなの、そうなの。でも、その裏には交錯する感情とか、その他もろもろの想いとかがあるのよね。それが人間を滑稽にもするし、せつない存在にもする。そういうのをさりげなく、訥々と書いてあるの。
にえ しかも、ほんの少し顔を出すだけの人たちとか、短い情景の描写とかが、ものすごく厚みがあって、読んでて、そのちょっと昔の南部の町に自分も住んでいるような気になれたよね。
すみ しかも、そこに住んでる人たちと同じような考え方をする存在になってね。あ〜、もう、なんでこんなに自然に、こういうことが書けちゃうの〜!!
にえ 他の作品もそうだったけど、登場人物がみんな、ほんわりとしてるよね。
すみ うん、過激な行動に出たり、信念に向かって突き進んでいったりしないの。
にえ 手を伸ばせば届くような自然な存在だよね。
すみ 「天才少女」の押さえた焦燥感もよかった。「マダム〜」の罪のない嘘もよかった。「家庭の事情」の子供たちの日常生活の描写もよかった。
にえ そうそう、「家庭の事情」では、母親が取り乱しているのに、子供たちはあえてそのことに触れずに普通に生活してる、あのさりげなさはいいよね。
すみ うん、泣き叫んだり、父親を問いつめたりはしないのよね、ただ、なにも言わずに、何もなかったかのように他の話をしている。あのリアルさったら、もう。
にえ 私たちも大好きなアン・タイラーは、カーソン・マッカラーズの後継者みたいな言われ方をしているらしいけど、それもわかる気がする。
すみ どちらも、本当の意味で普通の人のなにげない日常を、たまらなく魅力的な話に仕上げられる希有な作家だよね。
にえ ほんと、日本であまり知れ渡ってないのが残念すぎる。私たちはこの人の翻訳してある本は全部読もうね。