=「すみ」です。 =「にえ」です。 | |
「木のぼり男爵」 イタロ・カルヴィーノ (イタリア)
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1767年6月15日、オンブローザの別荘で、ディ・ロンドー家が昼食をとりはじめた。12歳のコジモと8歳のわたしは、その日が大人と一緒の食卓につく、はじめての食事だった。 父のアルミリオ男爵は時代遅れの長い鬘をつけている。母のコッラディーナ夫人は軍人口調でマナーを正す。在家のままで尼になった姉バッティスタは、料理が得意だが性格はねじれ、 時おりおかしなものを食卓に出す。叔父であるカッレーガは騎士であり、弁護士でもある。教育係のフォーシュラフルール僧師は老齢で、ぼんやりとしている。食卓に出てきたのは カタツムリ。コジモはカタツムリは食べたくないと言い張った。父はそれなら食堂から出て行けと言った。コジモは食堂から外に出て、木に登った。そしてそれきり生涯、木から地面に降りることは一度もなかった。 | |
イタロ・カルヴィーノ寓話三部作3弾です。これは、18世紀なかばから19世紀初頭、啓蒙主義 とフランス大革命の時代が舞台。 | |
第1弾が鎧の中がからっぽの騎士、第2弾が体半分になっちゃった子爵、で、この本は木に登ったっきり 地面に降りない男爵の話なのよね。 | |
あくまでも比べたらって話だけど、一番まともかな(笑) とりあえず普通の人間でも、やってやれないことはないからね。 | |
全体の流れとしても、これが一番、寓話から遠く、小説に近いって感じだったよね。 | |
まあ、じっさいのところ、木に登ったきり降りないってだけで、じゅうぶん現実離れしてるし、変なんだけどね(笑) | |
でもさあ、この木から絶対に降りないって設定、「まっぷたつの子爵」のメダルド子爵の父親が、鳥籠から絶対に出ないっていうのにも 共通するし、この前読んだばかりのアレッサンドロ・バリッコ「海の上のピアニスト」のノヴェチェントが、船から絶対に降りないっていうのにも共通するよね。 こういう話って、イタリアには土壌的にあるものなのかな。 | |
そういえば、そうだね。ただ、その二人と比べたら、この本のコジモはずっと自由だよね、あっちこっち行けて。 | |
うん、最初に木から降りない男の話って聞いたとき、一本の木にずっととどまってる人なのかと思ったから、そりゃあ不自由だろうと思ったけど、 コジモは木から木を渡って、どこまででも行っちゃうんだよね。 | |
最初のうちは、自分ちの領地内をまわるぐらいだったけど、そのうちにまず、隣家の領地に行って、そこの娘ヴィオーラと恋をしちゃうのよね。 | |
ヴィオーラは強烈キャラだったよね。姉のバッティスタもいいこん乗してると思ったけど、ヴィオーラは果物泥棒の少年たちを手玉にとったりするし、 男と見ればたぶらかしにかかるし、スゴイ女の子だった。 | |
カルヴィーノの本に登場する女性って、だいたいみんなメチャメチャ強いよね。精神が鋼でできてるみたいで、逆境に強いし、弱気はいっさいなし。そういうところ、好きだな(笑) | |
それから、海岸に行って、海賊と戦ったり、遠くの町まで行って、スペイン貴族たちと親しくなったり、有名な盗賊が友だちになったり、冒険につぐ冒険だよね。 | |
飼い犬までできちゃうし、各種の組合員にもなって、木の上から会合にも参加するし、屋敷で暮らしてる弟より、ずっと行動範囲が広いぐらいだよね。 | |
3冊のどれもそうだったけど、エピソードがまたどれも気がきいてて、楽しいの。奇想天外でドヒャッと言わせてくれるような、こんなもんだろうって枠を超えた話ばかりだから飽きないのよね。 | |
異常な登場人物がいないぶん、ユニークな方の登場があったよね。木の上からナポレオンと話したり、驚いことに、トルストイの「戦争と平和」の登場人物がチラッと現れたりして。 | |
この本が一番小説らしいと言ったのは、歴史的背景画かなりきっちり書きこまれてるところにもあったのよ。だから、 フランス革命の話があったからナポレオンっていうのは、ああ、そういう洒落たことをするかって感じで読んだんだけど、まさか小説の登場人物が出てくるとはね。 | |
そういう大ボラ吹きぶりは、カルヴィーノらしいよね。かならずこちらの予想を超えてくる。 | |
あと、老年になってきてコジモが思想を語るようになるでしょ。他の2冊は書き込まれたエピソードから読者が思想を見つける寓話だったけど、 この本は直接訴えてる部分があって、それで寓話から一番遠く感じたところ。 | |
コジモは啓蒙主義者で、フリーメーソンのメンバーだったりするのよね。地面に降りないという自分の行き方の意義を、かなり模索してたみたいだったし。 | |
啓蒙思想っていうのは、それまでの宗教的権威の抑圧を打破して、もっと自由に進歩や改善、つまりは幸福を求めていこうっていう当時の運動なんだけど、たしかにコジモは縛られない存在だったよね。 | |
それはカルヴィーノのその後の作品に見られる、科学の常識的概念にも、宗教や道徳観念にも縛られない、どこまでも想像を膨らませていく自由な発想にもつながってる気がしたよね。 | |
な〜んて、三部作紹介のシメらしい、いかにもな話になっちゃたけど、カルヴィーノの言う「自由へと至る三段階」、時代背景の順に並べてみると、なんとなくわかるよね。 まあ、難しい話は抜きにして、3冊どれも物語として本当におもしろかったです。オススメ〜。 | |