すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「まっぷたつの子爵」 イタロ・カルヴィーノ (イタリア)  <晶文社 単行本> 【Amazon】
1716年のトルコ対オーストリアの戦争で、ぼくの叔父であるテッラルバのメダルド子爵は、砲弾を受け、体が左右まっぷ たつになってしまった。右半分だけは野戦病院に連れていかれ、ぶじに命をとりとめた。だが、ぼくの住む故郷、テッラルバの領土に 戻ってきた右半分だけのメダルト子爵は、人間らしい心を失った、人を殺してもなんとも思わないような男になっていた。
にえ イタロ・カルヴィーノ寓話三部作第2弾です。この本は、18世紀初頭が舞台。
すみ 同じ国と国の戦でも、「不在の騎士」の頃は剣の戦い、この本では大砲が登場! しかも メダルド子爵は、その大砲の弾を受けて、左右まっぷたつになるっていうんだからスゴイよね(笑)
にえ 全体的には、かなり残酷ではあっても児童文学みたいな、ちょっと牧歌的な雰囲気が漂ってたけど、冒頭の トルコ対オーストリアの戦だけは、けっこう生々しかったよね。
すみ トルコ人が半月刀で馬の腹を裂いちゃうっていうのは、ちょっと怖かった。
にえ でも、残酷な戦闘で心が引き裂かれるっていうならわかるけど、体が引き裂かれて、右半分と左半分になっ ちゃうっていうのはスゴイ。こういう大ボラな空想の飛躍は、カルヴィーノならではで楽しいよね。
すみ 3作のなかでは、この作品が一番、寓話的というか、童話的というか、民話のような雰囲気が強かったよね。
にえ うん、語り手である「ぼく」という存在がなかったら、ホントに民話、寓話そのもの。「ぼく」という存在があったから、 小説になってるって気がした。
すみ 「ぼく」は孤独な少年なのよね。叔父のメダルド子爵の右半分が帰ってきたときには7歳か、8歳。メダルド子爵の姉が密猟者とのあいだに つくった子供で、両親が死んでから引き取られたんだけど、テッラルバ家の一員とは認められてなくて、同じぐらいの歳の友だちもいなくて。
にえ やっとできた友だちが60歳ぐらいの老人、トレロニー博士だもんね。
すみ トレロニー博士は変な人だったよね〜。医者なんだけど病気が怖くて、医学には興味がないの。やっているのが人魂の研究、墓場で人魂を捕まえるのに夢中になってるの。
にえ それだったら、メダルト子爵の父親だって変な人だったよ。鳥と一緒に大きな鳥籠に入って暮らしてるの。
すみ 変な集団も出てきたよね。《きのこ平》に住んでる癩病患者は、服も着ないで欲望のままに生きてたし、《寒さが丘》に住んでるユグノー教徒は祈りの言葉も忘れて、 「ペストに飢饉だ!」「ペストに飢饉だ!」って叫んでるし。
にえ 本来ならばどちらも、時代ゆえに迫害された、同情すべき人たちなのに、この本に出てくる人たちに関しては、あまりにも心根がゆがんでて、軽蔑するしかないのよね。
すみ で、そんな変わった人たちのところに、さらに変わった、というか悪の大魔王のようなメダルト子爵の右半分が帰ってきます。
にえ メダルト子爵の右半分は不気味で怖かったよね。なにかといんねんをつけて人々を処刑するし、罠を仕掛けたり、だまして毒きのこを食べさせようとしたり。
すみ 人が苦しんだり、死んだりするのを見て、半分だけの口でニヤリと笑ってるんだもの、不気味だよ。
にえ でも、恋をするのよね。相手は貧しい羊飼いの少女パメーラ。パメーラはとっても賢いから、うまく魔の手から逃げ延びるのだけれど。
すみ メダルト子爵の気持ちの伝え方がまた不気味だよね。高い木の枝に雄鶏を縛りつけ、青虫をたからせてると、それは《明日の朝、森で会おう》って意味だったりして(笑)
にえ それをすぐに解読しちゃうパメーラがすごい。こういうムチャさがカルヴィーノの楽しいところだよね。
すみ で、そんなところにメダルト子爵の左半分が帰ってくるの。左半分は善行に徹していて、右半分とは正反対。
にえ ただし、心のない善行だから、悪行と同じぐらいたちが悪いのよね。
すみ 単純に考えれば、心がなければ善行も悪行に等しいっていう寓話のように受けとれる話だった。でも、いろんな解釈ができるよね。自分なりに研究すれば、これ1冊で卒論書けちゃうでしょ。 まあ、それはともかくとして、物語として大変おもしろいので、ぜひどうぞ。