すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「ミスター・ヴァーティゴ」 ポール・オースター (アメリカ)  <新潮社 文庫本> 【amazon】
1927年、セントルイスで、両親を亡くして孤児となり、情のない伯父夫婦のもとで暮らしながらも、 街で小銭をせびるような生活をしていた9歳のウォルトは、イェフーディ師匠と出会った。イェフーディは、 13歳の誕生日までには空を飛べるように仕込んでやるから、自分についてこいという。連れて行かれた ウィチトーの家には、歯が二、三本しかない太ったジプシー女のマザー・スーと体中がねじれてせむしの 黒人少年イソップがいた。人目を避ける暮らしながらも、四人はいたわり合い、助け合うようになっていった。 そしてウォルトは、空が飛べるようになるための三十三段階の厳しい修行の階段を、少しずつのぼりはじめた。
にえ これは、いつもと同じポール・オースターだけど、いつもと違う ポール・オースターって感じだったよね。
すみ うんうん、主人公が孤児だったり、親しかった人が時の流れと一緒に 後方へ消えていくような感じはポール・オースターらしいなと思ったけど、今までと違ってて、戸惑うとこ ろも多かった。
にえ 最初のうちの児童文学かなってぐらいのファンタジーな雰囲気も違 ってたけど、なんといっても本の中に流れる時間の感覚が今までのと違ってたな。
すみ この本では、ウォルトが9歳の少年の時から、77歳の老人になるま での長い時間を、時を追って丁寧に語っていってるのよね。
にえ そのためか、波瀾万丈の人生で退屈するところはなかったんだけど、 なんかいつもより本の中でゆったりと時が流れてるなって気がした。
すみ ウォルトは最初、こにくたらしい生意気小僧なのよね。「それで決まりと 行こうじゃねえか」なんていばりくさった口のきき方で。
にえ で、地の文章が、そのウォルトの語りでつづられた一人称形式だから、 とにかくめいっぱい元気だったよね。
すみ それで俺はどうした、こうしたって軽快な語り口で、話がトントンと 進んでいった。この爽快感も今までになかった感じだな。
にえ オースターの小説の主人公ってだいたい野球好きだけど、ウォルトは特に そうだったよね。セントルイス・カージナルスの大ファンで、時代の流れもダイリーグの歴史とともに語られて いくの。こういう時代背景のつけ方って、アメリカっぽいよね。
すみ ウォルトは実は、傷つきやすい淋しがりやさんでもあるのよね。伯 父さんや伯母さんが、自分を平気で手放したとわかると、めいっぱい傷ついて、でも、それを一生懸命つっ ぱって隠したりして。
にえ それでも、へこんでないでなんとかしてやろうってガッツがあって、 そこにイェフーディ師匠は惹かれたみたい。私もすぐに好きになって、すんなりウォルトの人生に入って いけたな。
すみ ガッツがないと、あの修行には耐えられないよね。空を飛ぶための 修行は、ほ〜んとに厳しい修行なの。私だったら絶対いやだ〜。
にえ え〜、でも、空を飛べるんだよ。
すみ そうなんです、この本の書き出しは「十二のときに、俺ははじめて 水の上を歩いた。」ということはつまり〜っ!!
にえ 厳しい修行を終えたウォルトは、「ウォルト・ザ・ワンダーボーイ」 となり、人々の度肝を抜いてやるのよね。そこからは旅と冒険の物語であり、失敗と成功の物語。
すみ 1920年代のアメリカは、ローリング・トウェンティーズといわれ てるそうだけど、この本読めば、その時代の雰囲気もつかめて、めいっぱい楽しめるよね。広いところに 人を集めて見世物をする田舎町、マフィアがはびこるシカゴの街、どの場所にも時代独特の匂いと刺激が満 ちてた。
にえ 心から信頼しあい、必要としあうウォルトとイェフーディ師匠の関係 も素敵だったな。どこかに遠慮があって、ちょっとせつなくって。
すみ でもね、やっぱりポール・オースターですから、ファンタジックで、 楽しいばかりじゃないの。
にえ あまりにも心なく残酷な暴力や、ちょっとした偶然で、ウォルトやその 仲間たちは運命に翻弄されてしまうのよね。
すみ 今まで読んだオースターの本だと、主人公がひどい目にあっても、 一歩引いてみる余裕があるというか、さめた気持ちで読めてたんだけど、この本はそうはいかなかった。 かなり痛かったな。
にえ うん、情が移るような登場人物たちだったし、出来事はこれまで読ん だみたいな、悪夢のような幻想じゃなく、けっこうナマナマしいリアルさがあったりして、客観的に読めな かった。
すみ そこが今までで一番違ってたかもしれないね。登場人物も物語も、 一歩こっちに近づいてきたみたいで、ポール・オースターに慣れてきていただけに戸惑ってしまった。でも、 いい意味でだよ。新鮮な驚き。
にえ ウォルトの人生は、さらに転落あり、再浮上ありと繰り返し、さらに 運命に翻弄されて二転、三転。ウォルトも大人になれば多少えげつない面も出てきます。でも、ご安心あれ。 悲劇的なラストじゃありません。最後はちょっと爽やかにニンマリ、かな。
すみ ポール・オースターも円熟期を迎えて、人生の讃歌をうたいあげるよう になったのかな、なんてことも頭をよぎったり、アメリカ小説の色が濃くなったな、なんて思ったりもして。 またまた、この先のオースターの作品を読むのが楽しみになってきました。