すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「過去にもどされた国」 ピータ−・ディッキンソン (イギリス)  <大日本図書 単行本> 【Amazon】
イギリスでは、「大変動」が起きていた。機械文明を否定する風潮が、やがて機械に触れるものを忌み嫌い、迫害するという異常な事態になっているのだ。気象を自由に変えることのできる天候師の少年ジェフリィは、妹のサリーとともにフランスに逃げ出した。しかし「大変動」を起こした源を探るため、ふたたびイギリスに潜入する。
にえ これはディッキンソンが少年少女のために書いた本。他の本についていた解説によると、イギリスでは有名なミステリ作家が児童書を書くのが、一時流行ってたみたい。
すみ この本は好評だったみたいで、同じ「大変動」を扱ったシリーズとして、『過去にもどされた国』『心のやすらぎ』『悪魔の子どもたち』と主人公を変えて、三冊連作になってるのよね。
にえ 少年少女向けとはいえ、現在の機械文明に一石を投じようとするような話の持っていきかたといい、核爆弾やモルヒネなんて物騒なものを小物に使ってるところといい、なんか、ぽいなって感じがしたよね。
すみ 後半の魔法使いの城のあたりは、いかにも子供向けって設定だったけどね。
にえ でも、登場人物は癖のある人たちばかりで面白かったよね。
すみ あとさ、ジェフリィが使う天気をかえる呪文が詩のようで美しかった。
にえ 文章も「ですます調」じゃなかったから、読みやすかったよね。私は子どもの頃から、持って回ったようでクドクドしい、あのですます調の文章が嫌いだったのよ。
すみ ああ、わかる、わかる。なんかさ、知らないオバサンに耳元で囁かれてるみたいで、気色悪かったよね(笑)
にえ あとさ、これ読んでて思い出したんだけど、こういうジュニア・ブックス? 小学校高学年から中学生向けの図書って挿し絵がついてるでしょ。
すみ ああ、こういうページの途中についてる色のついていないペン画のことね。
にえ うん、もちろんさあ、マザーグースとかアリスシリーズみたいに、絵がついていたほうがぐっと気持ちが惹きつけられるものも沢山あるよ。でも、この本みたいなとってつけた絵、これが子どもの頃、嫌いだった。
すみ この本の絵は、翻訳されたあとで日本の挿し絵画家の人が描いた絵がついてるのよね。
にえ まずイヤなのはね、こういう絵ってだいたい主人公の姿を遠目から見た視線で描いてあるでしょ。
すみ まあ、そういう絵が多いかもね。挿し絵を描く人にしてみれば、主人公のドアップより、背景とかも一緒に描きたいだろうから。
にえ 子供の頃の私なんて、今以上に本の世界にのめりこんでるわけ、つまり本を読んでいる間は、完全に主人公の視線で本の世界を見ているのね。それなのに、挿し絵は客観的に遠目からの視線で主人公を描いているのよ。
すみ あ〜、主観で見るのと、客観で見るのとでギャップが生じるのね。
にえ だから挿し絵を見るといつも、のめりこんでた気持ちをしらけさせられて、おまえが読んでるのは作り事の世界だよ〜、おまえは本の主人公じゃなくて、本を読んでる子供の一人に過ぎないんだよ〜、って言われてるような感じがして、せっかく夢中になってたのに、すうっと冷めた気分になってしまってた。
すみ 私はこの、いかにも大人が描きましたってかんじの、愛想のない絵の印象が嫌いだったな。大人が子供のために描いてやってるんだよって思い知らされるみたいで。
にえ 自分の空想とのズレもかならずあったしね。
すみ そうそう、それにね、たとえば話にお城とか出てくると、そのお城がどんな感じなのか、字で書いている以上のことを知りたいと思って挿し絵にそれを期待するんだけど、だいたい挿し絵はお城を遠くから見たような、どうでもいいような絵で、字で読んでいる以上の情報はなにも伝えてくれないの。いつも、なーんだってがっかりしてた。
にえ 作者が挿し絵も描いていたり、作者と挿し絵画家の人がいっぱい話し合って描いてあったりすると、だいぶ違うんだろうけどね。どうしても海外小説の翻訳だと、日本の画家と海外の作家との意志の疎通が難しくなるんだろうし。
すみ さてさて、話が逸れまくってしまったので戻しましょう。この本はなかなか入手困難みたいなので、興味のある方は、図書館なんかを探すしかないですね。
にえ ちょっと前に書かれた本だけど、古さをまったく感じさせない内容だから、もったいないよね。
すみ 謎あり、冒険ありの楽しい物語だしね。「大変動」後のイギリスは、変な動物が出てきたり、攻撃的な人たちに追われたりとかして、ちょっと不思議の国のアリスっぽくもあった。
にえ 私たちはついでだから、残りの2冊も読んでおきましょう。