すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
「ダマセーノ・モンテイロの失われた首」 アントニオ・タブッキ (イタリア) <白水社 単行本> 【Amazon】
リスボンの小さな新聞社に勤める27歳の青年フィルミーノは、一週間の夏期休暇を終えて戻ってくる と、作家エリオ・トリーニの論文を書くつもりだった。ところが、部長はポルトへ行き、殺人事件の取材を してこいと言う。いやいやながら発ったフィルミーノは、ポルトの森林公園でジプシーの老人が見つ けた首なし屍体について調べるため、ドナ・ローザという女性が経営するペンションに滞在することになっ た。そして、調べが進んでいき、なくなった首が見つかると、フィルミーノに匿名の電話がかかってきた。 「首の主はダマセーノ・モンテイロ」。
にえ タブッキに関してはもう何回も、今まで読んだのとぜんぜん 違ってて驚いたってセリフを言ってしまったんだけど、また言うしかないね(笑)
すみ うん、今度こそホントに驚いた(笑)。今まで読んだタブッキ と大きく違うの。まず、文章が違う! 今までの透明感のあるというか、冷ややかというか、そういう文章 と違って、ごく普一般的な他の人の小説を読んでる感触。
にえ 翻訳者さんが違うからかな、とも思ったけど、でも、会話とか、 描写部分とかから考えて、まんざら翻訳家が変わったからってわけではなさそう。もとの文章からして違っ てるみたいなのよね。
すみ 話のもって行き方も違うもんね。今までだと、どう進んでいく のか読む側が探りながら読み進めていくって感じだったけど、この本に関しては、普通にストーリーが追え るというか、しっかり連れて行かれるというか。
にえ おまけに、かなり純粋なミステリー小説の仕立てになってて、 え、タブッキはミステリ作家に転身したの?ってそれにも驚きまくり。
すみ 社会派ミステリーだよね。しかも、まったくの創作ではなく、 1996年にリスボン郊外のサカヴェンで実際にあった殺人事件をもとにして書いてあるらしいの。
にえ 社会派だよね。ポルトガルにおけるジプシー問題、それから国 家権力の横暴にたいして、かなり痛烈に批判してる。法律とか、人権論とかにも触れていってるし。
すみ 実際にあった殺人事件への憤り、国家警察に対する怒りが ストレートにぶつけられてる、しっかりと現実に眼を向けた小説だったよね。
にえ うん、今までの幻想的な雰囲気なんて入りこむ隙間はないって 感じ。
すみ ただ、今までの読者へのサービスとしてか、フェルナンド・ペ ソアが、なんとなんとカメレオンとして登場するの。ここにタブッキの脱ペソア後の余裕を見たような気が したけど。
にえ 登場人物のはっきりした個性も、今までにない感じだったよ ね。一番薄めのキャラが主人公フィルミーノだけど。
すみ そのフィルミーノにしても、本当は作家についての論文が書き たいけど、生業は新聞記者、恋人がいて、ポルトには幼い頃のいやな思い出があってあまり好きではない、 とはっきりキャラづけがあったからね。薄いといっても、若いからまだ定まらないところがあるってだけで。
にえ まず、冒頭に出てくるのはジプシーの老人マノーロ。彼が首な し屍体を発見するのだけど、ここで現在のジプシーたちの辛い暮らしが浮き彫りになってたよね。
すみ マノーロは奥さんに王様と呼ばれてるんだけど、昔は豊かな暮 らしをしていたから、本当に王様みたいだったし、今は貧しく、虐げられた暮らしをしているから、王様と 呼ばれることはそのまま皮肉になっちゃってる。マノーロの他にも、ジプシーを助ける運動をしているウェ イターとかもあとから出てきて、問題の深刻さはかなり訴えられてたよね。
にえ マノーロのあとは、ちょいクセのある新聞社の人たちが出てき て、フィルミーノがポルトで滞在することになるペンションの女主人ドナ・ローザが登場するんだけど、彼 女はちょっとかっこいいキャラだったよね。
すみ いまでは伝説となっているバッカスという名のバーのおかみだ った人で、今は小さなペンションを経営してるだけだけど、じつは裏から表から、ポルトではめちゃめちゃ 顔のきく、知らない人はいないって女性。
にえ そのドナ・ローザが、フィルミーノをバックアップしてくれる のよね、これは心強い。
すみ ロトン弁護士を紹介してくれたのも、ドナ・ローザだしね。 ロトン弁護士がまた個性的なの。後半はこのロトン弁護士とフィルミーノがタッグを組んで、国家警察の 陰にひそむ敵と戦うことになるんだけど。
にえ ロトンは貴族で富豪、本当は働かなくても食べていけるんだ けど、貧しく虐げられた人々を助けることが恵まれた生まれを持つ自分が果たすべき贖罪だと信じて、 無料で弁護をやってる人なのよね。
すみ そういうと、すごいかっこいい人みたいだけど、食い意地の 張ったおデブさんだし、喘息もちだし、難しい話を長々として相手を困らせるし、なかなか大変な人なの よね。
にえ ロトンがべらべらとしゃべりまくる文学論だの、法律だのに ついての難しい話にフィルミーノは苦しめまくるけど、読んでる私も苦しめられた(笑)
すみ でもとっても魅力的な人。で、ロトンは法廷で戦い、フィルミ ーノは新聞で世論に訴えかけるという手段でタッグを組んで戦うのだけど、相手は巨大権力をバックにつけ てるから、なかなか大変です。
にえ それでも諦めようなんて考えもしない二人に、最後は爽やかな 風が吹いてくるような心地よさを味わったよね。最後のロトン弁護士のセリフもズキッと来て良かったし。
すみ 翻訳者さんはタブッキが「供述によるとペレイラは……」で 転身を見せた答えがこの本にあるって書いてたけど、たしかにペソアから脱し、幻想から脱し、社会問題に 正面から向かっていこうとするタブッキの姿勢が、より明確になってた。最初に読むタブッキとしては勧 めないけど、タブッキを何作か読んだあとには、ぜひ読んで驚いてもらいたい作品かな。昔の幻想的な小説 のほうがよかったって意見も当然出るとは思うけど、私はこの新しいタブッキも好き。
にえ 初期のほうの作品から読んだ方が、ひとつずつの小説として楽し めるだけでなく、タブッキという作家の変遷もあわせて楽しめるから、この作品は後回しにしたほうがいいの かもね。ただ、他のタブッキ作品とはぜんぜん違うってわかった上で読んでもらえば、これはこれで完成さ れた良い小説だった。べつに過去のタブッキ作品を読んでないと理解できないというわけでは全然ないからね。