すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「スロー・ラーナー」 トマス・ピンチョン (アメリカ)  <筑摩書房 文庫本> 【Amazon】
ピンチョンが有名になる前の4つの短編と、『X』後に発表された1つの短編に、ピンチョン自身の解説つき。
<スロー・ラーナー(のろまな子) 序>
ピンチョン自身の各作品に対する解説。
にえ この本は、開いたとたんに笑ってしまいました。わははっ。
すみ 笑うっていうか、驚いたよね。
にえ 作家は自分の作品の言い訳をしてはいけないとか、自分の 作品を説明しちゃいけないとか、そういうのって大原則だとずっと思ってきたのに、なんとピンチョンは、 冒頭のこの章で思いっきりやってくれてます(笑)
すみ しかも半笑いじゃなく、ごく真面目に、誠実に説明してくれ ちゃってるよね。
にえ この作品を書いた頃は、自分がこの程度のレベルにしかなか ったとか、この作品のこの言葉は知識がなくて意味がわからないまま使いましたとか、この作品のプロット は何という作家の、何という作品から盗みましたとか、この作品のこういうところが良くないとか、とにか く細かい解説なの。
すみ ピンチョンは、未熟な頃の自分の作品なんて恥ずかしいけれ ども、これから小説を書く人の役に立ってくれれば、って書いてたよね。
にえ ここまで誠実に、しかもヌケヌケとこんなことをやられたら、 私はもうピンチョン好きですって言うしかなくなる(笑)
すみ それにしても、初期の頃の4作は、かなり青いというか、 なんというか、米国、いや世界で最高の作家とまでいわれてる人のものにしては、ちょっとヘボすぎだよ ね。
にえ スロー・ラーナー(のろまな子)ってピッタリな題名だよね。 ピンチョンさん、さすがによくわかっていらっしゃる(笑)
すみ たしかにこれ読めば、これから作家になろうって人は自信持てるかも。
にえ ちなみに、青いなかにも代表作の原石のようなものがちらほら 見え隠れしてるので、ピンチョンの他の作品を読んでから、この本を読んだ方がいいと思う。全作読んでか ら、がベストでしょうね。私たちは知らずに2冊めに読んでしまったけど(笑)
<少量の雨>
三十歳のリヴァインは大学卒でありながら、自らすすんでなった陸軍の通信兵。休暇を楽しみに待って いたが、近くの村をハリケーンが襲い、救援隊として向かわなければならなくなった。
1959年3月『コーネル・ライター』誌に掲載。
すみ たいした目標もなく、仲間とたわむれながらダラダラッと軍隊 やってるリヴァインが、ピンチョンっぽいなと思った。ちなみにピンチョンも軍隊経験があるんだそうな。
にえ 主人公リヴァインの名前をヒントに、どの作家のどの作品から アイデアをパクッたか、わかる人いるかな。私は知ってから、やっぱりピンチョンはこの作家の影響を受け てたんだ〜とあらためて思いました。
<低地>
ロング・アイランドで妻と暮らすデニスは、ゴミ屋とドロボウの友人が訪ねてきたために、妻に家を 追いだされ、ゴミ集積所に泊まることになった。
1960年『ニュー・ワールド・ライティング』誌16号に掲載。
すみ これはラストがファンタジックになってて、まあそれなりに おもしろかったな。中盤は硬い部分と柔らかい部分が分裂状態で、ちょっと読みづらかったけど。
にえ 細かいうえにどうでもいいような話なんですが、 万が一、翻訳者の方か出版社の方がご覧になってくださったら、本文中に「優勝馬ホワールアウェイ」って 出てくるんですが、これは三冠馬にして1941年、42年のアメリカ年度代表馬であるWhirlawayの ことですよね。この馬は日本では「ワーラウェイ」って通り名で統一されてます。競馬好きなら 名前だけ見て時代背景がググッと浮かんでくるはず、改訳のときはぜひ「ワーラウェイ」にしてあげ てください。
<エントロピー>
アパート契約切れのパーティは40時間も続いていた。それでも客足は途切れず、ミートボール・マリ ガンはそろそろお開きにしたいところ。
『ケニヨン・レビュー』誌1960年春季号に掲載。
にえ 倦怠感漂う雰囲気はいいけど、ストーリーがないためか、 主人公のミートボールって名前ばかりにどうしても気が行ってしまう(笑)
すみ 書きたいものはわからないでもないけど、まだ未消化なんだ よね。ただ、ピンチョン本人のこの作品の失敗についての指摘とあわせて読むと興味深いものはあるな。
<秘密裡に>
1898年ファショーダ事件当時、スパイであるポーペンタインは北アフリカで、ある計画を 企てていた。新しく知り合った美しい姉妹と、怪しげな考古学青年、それにスパイ仲間であるグッド フェロウとともに、列車で旅をするのだが。
1961年5月『ノーブル・サヴェッジ』誌第3号に掲載。
にえ 今読めば、あとで書く作品の方向のようなものが見えてきて おもしろいけど、この作品だけで見ると、よくこんな駄作を掲載する雑誌があったなと思ってしまうんで すけど(笑)
すみ スパイだもんね、スパイ! なんか登場人物の動きもギクシ ャクしてるし、ラストもヤケに青臭いし。これ読んで、コイツは才能のあるやつだと見抜いたとしたら、 やっぱり編集者ってスゴイ。
<秘密のインテグレーション>
自宅の地下で実験を繰り返す天才少年グローヴァと隣人のティム、ぶとっちょでいたずらを生き甲斐にす るエティエンヌと黒人少年のカール、子供でありながらアルコール中毒を経験し、アルコール漬けから立ち 直ったという経験のあるホーガンの5人は、あるとんでもない企みを計画中。ところが、いざ実行に移そう というときになり、アルコール中毒の中年男を助けに行くハメになった。
1964年2月19日付け『サタディ・イヴニング・ポスト』誌に掲載。
にえ これだけはいいのよね。子供時代を鮮やかに浮かび上がらせた、 とっても質のいい短編。『X』発表後とはいえ、短期間でこの成長ぶりは怖ろしい。文章もなめらかだし、 ストーリー展開も自然だし、書きたいものがキッチリ書けてて、前の4作とはぜんぜん違うの。この作品を 読むためだけで、この本の価値ありかも。
すみ これはピンチョンも、なんだかんだ言いながら気に入ってる みたいね。ただ、この作品だけ突出して良いから、前の4作品があらためてなんだったのって気はしなくも ないけど(笑) ピンチョンの子供時代の経験も色濃く繁栄された、ノスタルジックな作品です。