すみ=「すみ」です。 にえ=「にえ」です。
 「儚い光」 アン・マイクルズ (カナダ)  <早川書房 単行本> 【Amazon】
<第一部> 第二次世界大戦下、ポーランドで隠れて暮らす7歳のユダヤ人少年ヤーコプ・ビアは、 ドイツ軍の侵略によって両親を殺され、15歳の姉ベラの行方はわからなくなってしまった。泥の中から 出てきたヤーコプを見つけたギリシャ人地質学者アトスは、ヤーコプを衣服のなかに隠し、故郷であるギ リシアの島ザキントスに連れ帰った。飢えに苦しみながらもヤーコプに知識を授け、深い慈愛で守りきっ たアトスは、大戦後、ヤーコプを連れてカナダのトロントに移り住む。あえて消さない記憶を心の中で くりかえしながら、ヤーコプは成長し、詩人となった。
<第二部> 詩人ヤーコプに憧れるユダヤ人学者ベンの両親は、強制収容所を経験し、その記憶に 苦しみつづけていた。暗黒の記憶のために、現代の常識からはややはずれた行動をしてしまう両親を理解し ようとするベンだったが、経験したものとしていないものの溝は親子でも埋められない。ベンがわかりあい たいと思うヤーコプも両親も、なぜかベンではなく、ベンの妻ナオミにだけ心を開く。
にえ ガーディアン小説賞をはじめとして、カナダ、アメリカ、イギリスの数々の文学賞を受賞した作品です。
すみ アン・マイクルズは詩人で、これが初の長編小説なんだとか。
にえ 耳元でささやかれているような、静かな、静かな小説だったよね。
すみ 詩人の小説といっても、景色の描写は極力おさえられてた よね。心理描写というか、心の中の旅に焦点を絞って書かれてた。
にえ 読んでるあいだ、なんだろう、この感覚はと思い続けてた んだけど、この小説って新しくなることを極端なまでに拒んでいて、それゆえに新しい小説なんだよね。
すみ たしかに、古い小説をひもといたような、窓からの弱い陽射し に埃が煌めいているような雰囲気はあった。
にえ まずね、この小説はホロコースト、反ナチス・ドイツを謳いあ げたユダヤ人文学であるんだけど、最近のホロコースト文学から逆行してるんだよね。
すみ ああ、最近のってわりと、ちょっと新しい切り口で反戦を 訴えようとしてるというか、この小説ほど真正面から見据えてないよね。
にえ うん、ドイツ兵もじつは普通の農民だったり、貴族だったり、 床屋だった人たちがかりだされ、そういう行為をしてしまっていた、だから戦争は怖いんだという切り口 とか。
すみ ドイツ兵のなかにもいい人はいたとか、強制収容所以外の場所 で苦しんでる人たちがいたとか、そういう切り口もあるよね。
にえ 大戦が遠くなっていくとともに、殺すこと、殺されることの 恐怖が薄れ、その他の部分で訴えていかないと読者が受けとりづらいって配慮が出はじめてると思うんだけど。
すみ そうだね、その点、この小説は初期のホロコースト文学そのま まだったよね。
にえ ドイツ軍を心のない一塊りの悪として捉え、残虐な行為を並べ て見せてた、ストレートなホロコースト小説だった。
すみ でも、描きだしているのは、終ったからそれでいいのではなく、 その後も苦しみつづける人々の姿だったんじゃないの。
にえ そう、ひたすらせつせつと、過去から逃れられない人たちを鮮 やかに描きだしてた。だから古い切り口から派生した、まったく新しい小説なのかもしれない。
すみ 悲惨な記憶にたいする態度も新しい捉え方だったよね。 辛かったことを忘れて、これからは明るく生きようとか、記憶から逃れたいのに逃れられずにもがき 苦しむとか、そういう慣れた小説とは一線を引いてた。
にえ 今はいなくても、亡くなった人たちはかつて現に存在した のだし、経験したことも実際にあったことなのだから、むりして忘れようとすることはおかしい、それが たとえ苦しみや悲しみだけをもたらす記憶であっても、それはあなたの大切な一部だ。この本からは そういうメッセージが伝わってきたよね。
すみ 記憶は古いのよね、でもこの捉え方は新しい。それが古い ものが新しいものとして感じられる、不思議な感覚につながっているのかも。
にえ 登場人物がみんな、古い記憶に悲しみ、苦しめられていたけ れど、そこから逃れようとはしてなかったよね。共存して生きようとしてた。
すみ 死の存在を認めてから、生を噛みしめているようでもあった よね。
にえ ヤーコプが姉ベラの記憶とともに思い出し、愛すのはクラシッ クの作曲家たちの名曲、映画を観て好きになるのは少し古めの女優、アトスが研究するのは古い地質、ベン が教えていたのは伝記論、それに遠い過去の気候学も出てきたし、ベンの両親は環境に合わせて習慣を変え ようとはしなかった。すべてが新しいものを拒んだ古いものに徹していた。
すみ 第二次世界大戦中にドイツがやったことは、日本がやったこと でもあり、痛みを感じながら読みました。同じアジアのなかにも、似た体験をして、苦しみを持ち続け てる人たちが大勢いるんだよね。
にえ 戦争の記憶以外にも、男女の愛のあり方の難しさとか、 親子であることの難しさとか、いろいろ考えさせられたよね。なにより、生きることがあらためてせつ なくなったし。とった賞がすべて英語圏内というところからしても、文章の美しさを堪能する小説でもあると 思うんで、これ読んで原書でも読んでみたくなる人、多いんじゃないかな。